史跡散策路「天道・塩釜と坂道コース」
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ページの概要:史跡散策路「天道・塩釜と坂道コース」について
名古屋市天白区役所 郵便番号:468-8510 名古屋市天白区島田二丁目201 電話番号:052-803-1111(代表) 所在地、地図
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八事交差点から東へ向かう国道153号線の1本南の道路が、いわゆる八事旧道といわれ、起伏のある街道の両側は桜が多く、かつては、人通りの途絶えることがない程の賑わいであったという。
曹洞宗。宗源山と号し、永禄11年(1568)の創建。はじめ清洲城下、外町にあったが、清洲越しで慶長15年(1610)、名古屋の南寺町(門前町)に建立した。その後、大正12年現在地に移るが、昭和20年5月17日未明の大空襲によって、山門などごく一部を除き本堂や庫裏などが焼失した。安置されている千手観世音菩薩は恵心僧都(源信)の作といわれ、腹部に平家の悪七兵衛景清が矢尻で彫ったという胎蔵仏が納められている。
日・月・星・神明・天王の五社を祀るため五社宮と称する。創建不詳。寛保元年(1741)丹羽郡稲木荘寄木村の天道宮を八事山に遷座。神仏混淆して寺院となった天道宮を八事山へ遷座に際して旧来の神祗として祀った社が五社宮である。明治維新の神仏分離令により高照寺と分離した。
臨済宗。元は、延喜式神名帳に記載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社(稲置天神)で、享保9年(1724)天道山高照寺と改め、寛保元年(1741)愛智郡八事邑の現在地に遷座。本堂は天道宮ともいわれ、御本尊は天道大日如来も祀っている。往時の寺域は広大で、五社宮はもちろん、八事の八勝館あたりまで境内であったといわれている。
前身は明徳4年(1393)に開創された末寺十数ヶ寺をもつ真言宗の一本山であった。数度の火災のため荒廃したが、寛永元年(1624)二世物道和尚が復興改宗され、陶金山佛地院と命名。十一世鶴峰和尚の代の大正7年現在地に移転し、音聞山佛地院と称するようになった。ご本尊は釈迦牟尼仏を祀っている。大正10年発刊の「東山名勝案内」によれば、「音聞山(現在の御幸山)の西南麓にあり、三方に碧地を控え、最も景勝を占める。」とある。
真言宗。創建不詳。前身は鎌倉期に開創された真言密教の古刹。大学院は文字どおり徹頭徹尾学問修業の寺であり、祈願の寺である。京都の醍醐寺末で、中世の頃八事に塔頭末寺数々寺をもつ大聖寺という古刹があり、現在の元八事の地に修行僧の教育にあたる寺子屋があったが、これが草創期の大学院の姿である。寛永18年(1641)備中出身の僧善能法印がこの地に草堂を結び、本尊青面金剛(庚申さま)を奉安し、真言密教を広めた。「尾張徇行記」に、庚申堂一宇あり、山伏これを監理するとあるのは大学院のことである」と記載されている。
祭神は応神天皇を始め四柱を祀る。明治43年に八幡社(現境内地)、下八事の一之御前社、八幡山の高峯神社を合祀し、名称を八事神社と改めた。
祭神は塩土老翁命(しおづちのおじのみこと)。弘化年間(1844から1847)の頃、天白村の豪農山田善兵衛が陸奥国国幣中社塩竈神社から分霊を賜り、奉祀したことにはじまる。神社には、市の保存樹で樹齢百数十年という藤の老木があり、見事な薄紫の花を咲かせる。安産と子どもの守護神として参拝者が多く、桜の頃の護児祭は特に賑わう。
公園内に二つの石碑がある。明治23年4月2日陸軍大演習が行われたとき、明治天皇がここで諸軍を統監、さらに大正2年11月13日陸軍特別大演習のとき、大正天皇がこの地を御野立所として再び統監された。これを記念して、大正4年村民によって建てられたのがこの碑である。
地下鉄塩釜口駅の南西、塩竈神社を抱き込むような形で御幸山がある。春の桜、秋の紅葉の美しさが人々の心をとらえる。山からの夜景は、宝石をちりばめたように美しい。
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