ページの先頭です

ここから本文です

3D市政資料館バーチャルツアー

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2021年4月9日

ページID:105470

市政資料館の内部を自由に見学することができる3Dバーチャルツアーです。

3D市政資料館バーチャルツアー(外部リンク)別ウィンドウ

※撮影協力:株式会社ZEROBASE様

※利用に伴う通信費(パケット代)はお客さまのご負担となります。

みどころ

市政資料館の建物

市政資料館の建物は、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として、大正11年(1922年)に建てられ、昭和54年(1979年)に現在の三の丸に移るまで、約60年間、中部地方の司法の中心として活動しました。建物の歴史的な価値を認める多くの方より寄せられた、建物を残してほしいとの声を受け、昭和59年には、国の重要文化財に指定され、平成元年に名古屋市市政資料館として開館して今日に至ります。

建物の外観部分、中央階段室、復原会議室の三か所が国の重要文化財に指定されています。この建物が竣工した翌年には関東大震災が発生し、以降大規模なレンガ造りの建物が新たに建てられることはなくなったため、当館は我が国における最後の大規模なレンガ造りの建物である、とも言われています。


建物外観の画像

中央階段室

市政資料館の建物は、19世紀後半に流行した建築様式であるネオバロック様式で建てられており、建物内部の中央階段室は、その特徴が最もよく表れています。

左右対称のつくりになっていること、2階から3階までが吹き抜けになっていること、そして茶色と黄色のツートンの化粧柱がずらりと並んでいる点など、ネオバロック様式を一段と感じていただける場所となっています。

中央階段室の画像
大理石の手すりの画像

ステンドグラス

中央階段を登り切った正面に、一段と目を引くステンドグラスがあります。よく見ると、中心の左右に、色の違う玉が二つ、天秤の上に載っているのがわかります。これは罪と罰を表しています。「罪を犯せば罰が与えられる」ということから、公平な裁判が行われることを示しています。
さらに吹き抜けとなっている天井を見上げるともう一つのステンドグラスがあります。こちらには公明正大を表す日輪が描かれています。この建物が裁判所であったことの名残が感じられます。
ステンドグラスの画像
天井のステンドグラスの画像

マーブル塗りの柱

中央階段室の4か所には黒い柱があります。柱の上半分の部分は、マーブル塗りといって色を付けた漆喰で大理石に似せて作られたものです。柱の下半分の部分は、天然の大理石です。実際に触ってみると、上と下で冷たさが違い、下の大理石の部分が冷たく感じられることがわかります。
この柱以外にもマーブル塗りで仕上げられた柱や壁がいくつもあります。
マーブル塗りの柱の画像

(2階)愛・地球博 名古屋市パビリオン「大地の塔」記念展示

50インチディスプレイに映し出される「大地の塔」万華鏡の模様映像(約25分)や、大地の塔総合プロデューサーを務められた藤井フミヤさんが、大地の塔の展示内容を説明している全体の説明映像(約25分)などを展示しています。
大地の塔展示室の画像

(3階)第1常設展示室(名古屋控訴院メモリアル)

重要文化財旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎の創建記念展示として、当初の資料を、全体模型や神剣神鏡のレリーフ(レプリカ)、マーブル塗りの柱(レプリカ)などとともに展示しています。
第一常設展示室の画像

ピックアップ(スレート屋根)

スレート建物の屋根に葺いてある黒い板は、粘板岩に分類される薄くはがれる性質をもった、スレートと呼ばれる石材です。市政資料館の屋根に使われているスレートは、「雄勝すずり」という有名な硯の産地である宮城県石巻市で産出された石になります。
ちなみに、東京駅丸の内駅舎の屋根の一部にも、石巻市のスレートが使用されています。
スレート屋根の画像
スレートの画像

(3階)第2常設展示室(復原会議室)

この部屋は、創建時控訴院の会議室として設置され、長い間、重要な役割を果たしてきました。重々しい雰囲気の中、当時の幹部たちが議論を重ね、重要な決断をくだしたのかもしれませんね。
復原に取り掛かったときには、長い歳月の中で幾度か内装が変えられてしまった後の状態でした。そこで、残された文献や当時の写真、聞き取り調査などを手掛かりとして創建時の姿に復原したものです。
この建物の中でも最も優れた部分の一つであり、中央階段室とともに内装が重要文化財に指定されています。
復原会議室の画像

ピックアップ(天津緞通)

足もとにひろがる赤いじゅうたんは、天津緞通(てんしんだんつう) と呼ばれています。市政資料館が開館する際に復原した手縫いの一枚織りじゅうたんです。
中国の天津で作られたこの高級なじゅうたんは、毛あしが長いのが特徴です。踏み入れると、靴底から伝わる沈みそうで沈まない絶妙な感触が心地よく、市政資料館として開館して以来、多くの人が通行しているのですが、全くすり切れる様子がありません。その質の高さが実感できます。
てんしんだんつうの画像

(3階)第3常設展示室(名古屋の近代建築史)

名古屋市内には、明治期から昭和戦前期に建てられた、モダンな建物が沢山ありました。こらちの展示室では、残念ながら実物が残っているものは一つもありませんが、市政資料館の建物が裁判所として使用されていた時代に市内に建っていた建物の模型を展示しています。
第3常設展示室の画像

ピックアップ(いとう呉服店模型)

明治43年(1910年)、中区栄の交差点に店舗として建設されましたが、大正14年(1925年)に、いとう呉服店が松坂屋百貨店と改称され、南大津通の現在地に移転したため、その後は栄屋の店舗となっていました。木造建築で、外壁に石を貼ったり、西洋古典様式の装飾をつけたりするなど、全体をルネサンス様式にデザインしています。
伊藤呉服店模型の画像

(3階)第4常設展示室(名古屋市の歩み)

市制施行前の明治期から戦後の昭和期まで、名古屋今昔写真パネル、当時の公文書や行政資料で名古屋発展のあしどりを辿ります。
第4常設展示室の画像

ピックアップ(電車焼き打ち事件)

市内の交通を民間会社が担っていた当時(大正3年9月) 、不況下に料金値上げが打ち出されたため、値上げに反対した市民が、鶴舞公園に集まり、その後、各所で電車や車庫を焼き打ちするという事件が起きました。そこで、大正11年8月、名古屋電気鉄道から市内線を買収し名古屋市が経営に乗り出しました。やがて現在の名古屋市交通局(地下鉄、市バス)へと発展していくこととなります。
電車焼き討ち新聞記事の画像

(3階)第5常設展示室(市勢の発展)

明治22年(1889年)に市制が施行され名古屋市が誕生しました。面積は約13.34平方キロだったものが、その後、熱田町の合併をはじめ、周辺の町村を順次合併し、拡大していった結果、約25倍の325平方キロになりました。
また、名古屋市が誕生した当時の人口は、わずか16万人でしたが、昭和44年(1969年)には200万人を突破、さらに発展を続ける名古屋市の歴史を展示しています。
第5常設展示室の画像

(3階)第6常設展示室(名古屋の都市形成)

明治以降に名古屋に甚大な被害をもたらした、濃尾地震、名古屋空襲、そして伊勢湾台風。幾多の苦難を乗り越えて現在の名古屋の都市が形成されるまでの過程を展示しています。
第6常設展示室の画像

ピックアップ(復興都市計画)

名古屋市は、第二次世界大戦では、大規模な空襲に遭いました。名古屋市では、戦後復興に伴い墓地の集団移転、100メートル幅の道路を東西・南北に一本ずつ配置する等の大胆な復興都市計画を進めました。100メートル幅の道路(久屋大通、若宮大通)の分離帯には運動のできるスペースなども配置され、市民の憩いの場となっています。
名古屋市内のジオラマの画像

(3階)第7常設展示室(国際交流)

名古屋市が姉妹友好都市提携を結んでいる海外の都市を紹介し、あわせて各都市から送られた記念品を展示しています。

(  )内の年は姉妹友好都市提携を結んだ年を表しています。

  • ロサンゼルス市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)(昭和34年)
  • メキシコ市(メキシコ合衆国)、南京市(中華人民共和国江蘇省)(昭和5 3年)
  • シドニー市(オーストラリア連邦ニュー・サウス・ウェールズ州)(昭和5 5年)
  • トリノ市(イタリア共和国ピエモンテ州)(平成17年)
  • ランス市(フランス共和国)(平成29年)

姉妹友好都市提携についてくわしくは以下のホームページをご覧ください。

名古屋市公式ウェブサイト(名古屋市の姉妹友好都市)

第7常設展示室の画像

(3階)第8常設展示室(明治憲法下法廷復原)

当時は裁判所と検事局が同じ建物にあり、裁判官と検察官が同じ檀上にいるのが特徴です。この部屋は、控訴院第二号法廷として使われていた場所で、当時の室内の様子を復原しています。裁判官以外の検事、弁護士、書記も法冠と法服と呼ばれる制服を身に着けている点が現在の法廷と異なります。
第8常設展示室の画像

(3階)第9常設展示室(現行憲法下復原法廷)

明治憲法下の法廷と異なり、検察官は訴訟上での当事者の一方であるものとして、正面に裁判官を配し、左右に検事と弁護士が別れて着席しますが、どちらに着席するかは、裁判所により異なります。
第9常設展示室の画像

(3階)第10常設展示室(司法制度)

明治憲法と憲法発布略図、日本国憲法とその発布式典、司法制度や名古屋の裁判所の年表や、市政資料館の建物が裁判所として使用されていた時代に実際に裁判で使われた証拠品を展示しています。
第10常設展示室の画像

ピックアップ(名古屋城金シャチ盗難事件)

名古屋城の金シャチのうろこをはがして、換金しようとした事件では、お城の管理体制に踏み込むなど、双方の主張を聞き、裁判所が公正な立場で判断をしようとしていたことが当時の記録からわかります。
判決文の画像
押収物の画像

(3階)第11常設展示室(陪審法廷復原)

市民が裁判に参加する制度として陪審制度と呼ばれる制度がありました。現在、市民が裁判に参加する制度として裁判員制度がありますが、当時の陪審制度の陪審員は、刑の量刑の判断に参画しない点が裁判員制度と大きく異なります。陪審法廷は、市政資料館の建物の西側、現在の駐車場の辺りにありましたが、こちらの展示室では、当時の陪審法廷室内を再現し展示しています。
第11常設展示室の画像

(1階)留置場

留置場は罪人が刑に服すところではなく、裁判官、検事が取り調べのため、被疑者や被告人などを一時的に留置しておく場所です。独房(一人部屋) と雑居房(相部屋)があり、罪状が窃盗など比較的軽微な場合は雑居房、殺人などの重い場合には独房に入りました。
ここは地下ではなく、建物の一階ですが、夏でも少しヒンヤリとした雰囲気を感じる場所です。それは中庭側で日当たりがよくないからなのか、建物の下にある堀の跡や池を埋めた跡に由来する湿気によるものなのか、詳細はよくわかっていません。
留置場の画像

このページの作成担当

総務局行政DX推進部市政資料館庶務担当

電話番号

:052-953-0051

ファックス番号

:052-953-4398

電子メールアドレス

a9530051-01@somu.city.nagoya.lg.jp

お問合せフォーム

お問合せフォーム

ページの先頭へ