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2月7日は北方領土の日です

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このページを印刷する最終更新日:2019年11月1日

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北方領土対策について(内閣府北方対策本部のホームページより)

北方領土問題とは

 北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々です。これら北方四島には、1945年(昭和20年)8月の第二次世界大戦終了直後、ソ連軍(現ロシア軍)により不法に占拠され、日本人の住めない島々になってしまいました。非常に悲しいことです。
 北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。
 北方領土問題とは、先の大戦後、半世紀を経過した現在、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。
 内閣府は、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島早期返還の実現を目指して、外交交渉を支える国民世論の結集と高揚のための広報・啓発の充実、又は政府と民間が一体となった返還要求運動の全国的な発展・強化を図るとともに、北方四島との交流の推進など、北方領土問題解決のための諸施策を推進していきます。

北方領土返還要求運動とは

 北方領土問題を解決するためには、ロシアとの外交交渉を粘り強く継続していく必要がありますが、この対露交渉を支えるのは、国民の一致した世論と力強い支持です。同時に、北方領土返還を求めるわが国の国民世論を、日露間の真の友好関係を求めるわが国民の声として、正しくロシアに伝えることも必要です。
 終戦直後、北方領土元居住者を始め、根室の人々によってあげられたこの領土返還要求の声は、やがて北海道全域に広がり、さらに、全国各地に浸透していきました。現在、民間団体を中心に北方領土返還要求運動は、幅広い国民運動として全国各地で大きく展開されています。また、国においても北方領土の返還を求める国民の願いをさらに結集するため、北方領土問題を政府広報の重要テーマとして取り上げ、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの各種媒体を通じて全国民を対象に広域的な広報活動を行っています。

北方領土の日

 北方領土問題に対する国民の関心と理解をさらに深め、北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るためには、「北方領土の日」を設けるべきであるという声は、かねてから運動を熱心に進めている民間の各団体から揚がっていました。また、昭和55年11月には、衆・参両院において全会一致で「北方領土の日」の設定を含む北方領土問題の解決促進に関する決議が行われたのを始め、全国の都道府県議会などにおいても同様な決議が相次いで行われました。
 このような各方面からの強い要望を受けて、政府は、昭和56年1月6日の閣議了解により、毎年2月7日を「北方領土の日」と定めました。2月7日は、1855年のこの日、伊豆の下田において日露通好条約が調印され、平和裏に日本とロシアとの間の国境が画定された日です。この事実こそ、わが国が北方四島の返還を求める重要な根拠なのです。
 毎年、北方領土の日には、東京において「北方領土返還要求全国大会」が、内閣総理大臣、衆・参両院議長、各政党代表、民間団体代表などの出席のもとに開催されるのを始め、この日を中心にして全国各地で多彩な行事が行われています。

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