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地形と気候

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このページを印刷する最終更新日:2010年7月1日

ページID:1752

ページの概要:地形・気候などの情報

地形

 名古屋市は、本州中央部の濃尾平野に位置し、伊勢湾に南面しています。面積は326.43平方キロメートル、緩やかな東高西低の地勢です。

 市域の北から南にかけては庄内川が、東から南にかけては天白川が流れ、伊勢湾にそそいでいます。また、市の中心部には、名古屋城築城の際に開削された運河−堀川−が、台地のすそに沿って南北に通じています。

 名古屋市の地形は、東部の丘陵地、中央部の台地、北・西・南部の沖積地の、大きく3つに分かれます。

 東部(守山・千種・名東・天白・緑区)は、市域の東北端にあたる東谷山(198.3メートル)を最高所として、標高50から100メートル程のなだらかな丘陵が続き、三河の山地につながっています。この地域は、猿投山の花崗岩が風化してできた良質の粘土を産することから、古墳時代から鎌倉時代の初めにかけては、一大窯業生産地を産み出しました。地質は、新生代第3紀層の安定した地盤であるため開発も進み、現在では、住居地あるいは文教地区となっています。

 市の中央部(中・東・昭和・瑞穂区と南・熱田区の一部)は、北から南にかけてなだらかに傾斜する、標高10から15メートル程の平坦な台地に立地しています。この台地は、山崎川や精進川などの河川による開析作用などで、名古屋・熱田・瑞穂などいくつかの台地に分かれ、さらに浸食作用による小さな谷が入り込んでいるため、複雑なようすを示しています。台地上には、原始時代以降の人々の生活の痕跡が認められ、特に弥生・古墳時代の遺跡が数多く分布しています。台地の南方一帯は、古代には干潟のような景観だったらしく、高市黒人の「桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 汐干にけらし 鶴(たづ) 鳴き渡る」という歌が『万葉集』におさめられています。また、江戸時代には、伊勢湾が内田橋あたりまで入り込み、熱田の宮宿は桑名との海上交通−七里の渡し−の港として賑わっていました。台地は新生代第4紀の洪積層で、地盤も安定しているため、商業・住宅地としてさかえ、中心部では再開発が進められています。

 北・西・南部(北・西・中村・中川・港区と熱田・南区の一部)は、河川の堆積作用によって形成された沖積地で、最も低い所で海抜−1.73メートルです。地盤沈下は、昭和40年代と比べ、現在では沈静化の方向にあります。気候の変化による海水面の低下と、干拓事業などにより、現在の海岸線が形成されました。この地域は、伊勢湾台風の折、甚大な被害があったように、洪水の危険や排水の苦労があるものの、水利はよいため、稲作を主とする農業地帯として発展し、古代から中世にかけては、「安食(あじき)荘・富田荘」という荘園もありました。干拓事業が活発になるのは江戸時代になってからで、国道1号線より南の一帯は、水田として開発されました。市域の北・西部の低地では、高燥な自然堤防を選んで集落が営まれましたが、市の人口増加とともに市街地化が進み、工業用地確保のための埋立も行われ、名古屋港付近は工業地帯となっています。

気候

 名古屋市の気候は比較的穏やかとされていますが、夏の平均湿度は70%を超すことが多くてむし暑く、冬は「伊吹おろし」と呼ばれる冷たい北西の季節風が吹き、季節により厳しい面もあります。

 平成19年の平均気温は16.6℃、最高気温39.4℃、最低気温−0.9℃で、名古屋に観測所が設置された明治23年以降の記録の推移を見ると、汎地球的な規模といわれる温暖化傾向を名古屋の観測記録からも読み取れます。また、名古屋地方は、台風の進路にあたっており、伊勢湾台風に代表されるように多くの被害を受けてきましたが、昭和50年以降急激に来襲する台風の数が減少しています。近年いわれている異常気象の影響を受けて、名古屋の気候も変化してきているようです。

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