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名古屋のあゆみ

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このページを印刷する最終更新日:2009年7月7日

ページID:1750

ページの概要:名古屋市の現在までのあゆみ

名古屋市役所

関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康が、海陸の連絡に便利な那古野台地に築城工事を始めたのは、慶長15年(1610)のことでした。これに伴って清洲の士民が移り住み(清洲越し)、市街地ができあがりました。以来、徳川御三家筆頭の城下町として尾張藩の中心となり、江戸・大坂・京につぐ発展をみました。
 

 明治4年(1871)に行われた廃藩置県で、新政府は名古屋県(翌5年に愛知県と改称)を置き、管内を6大区に分けて名古屋と熱田を第1大区としました。その後、明治11年(1878)、名古屋区として初めて独立行政区となり、明治22年(1889)10月1日の市制施行で、名古屋市は人口約15 万7,000人、面積約13.3平方キロメートルでスタートをしました。

 明治・大正から昭和の初頭には経済界の活況に伴い、商工業都市として順調な発展を続け、昭和12年(1937)に名古屋汎太平洋平和博覧会を開くに至りました。しかし、この年に日中戦争がぼっ発、以降、戦時非常体制一色へ・・・。

 太平洋戦争により当時の市域の約4分の1を焼失しました。

 戦後、いち早く復興都市計画事業に着手。100メートル道路の建設、平和公園への墓地移転などの大事業を行い、今日の基盤が確立されました。

 しかし、復興と急成長が進む中、昭和34年(1959)伊勢湾台風の襲来を受け、死者1,800人余、被災世帯13万人に及ぶ被害を受けました。この大災害は、その後の街づくり、『無災害都市』への示唆を与えました。

 誕生から今日に至るまでに近隣の市町村の編入などもあり、現在では市域326.45平方キロメートルの規模となりました。

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