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川名公園の歴史

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このページを印刷する最終更新日:2021年7月14日

ページID:132183

整備前の川名公園周辺と飯田街道

 現在の川名公園周辺は、大正時代までは旧飯田街道沿いに集落、その他は水田等がありました。昭和22年に戦災復興の一環として、川名公園は既成市街地における公園の配置上必要なものとして都市計画決定されました。 

飯田街道

 飯田街道(駿河街道)は名古屋と信州飯田を結んでいる道路で、昭和区では地下鉄吹上付近から八事にかけて区内を通っています。飯田街道は、東海道のように関所のわずらわしさがなかったので、信州との交流が盛んに行われ、信州から名古屋には木地椀などが、名古屋から信州は干し魚や瀬戸物などが運ばれました。また、明治時代の終わり頃には、馬車鉄道が走り、多くの人が八事山に行くために利用しました。

 飯田街道は川名公園の整備計画エリアを通っていたため、公園を整備するために廃止されました。「何らかのかたちで飯田街道を残してほしい」という地域の要望を受けて、道路の形をそのまま生かし、園路が整備されています。

昭和20年から25年の航空写真

昭和20年から25年の写真
(出典:国土地理院)

公園整備

 平成8年5月に最初の全体説明会を開催し、同年12月に防災緑地緊急整備事業の認定をされたことで公園整備事業が本格化しました。

 公園整備にあたり地元意見を聴く組織を立ち上げ 、八事、滝川、広路、川原の各学区委員長はじめ関係団体等が参加しました。第1回を平成12年12月に開催後、平成30年2月に第31回目を開催し様々な意見交換が行われました。

 平成25年に用地取得がすべて完了し、平成31年に公園整備が完了しました。公園面積は5.5haで、昭和区の都市部にありながら広大な面積を誇ります。総事業費は約202億円で、そのうち用地取得が約194億円、施設整備が約8億円となっています。

整備完了後の川名公園の航空写真

整備完了後の川名公園
(令和元年撮影)

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