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名古屋西公認ブランド

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ページID:183094

最終更新日:2025年4月18日
公認ブランドタイトル画像、公認ブランド画像

近代化産業遺産や伝統的工芸品など、名古屋西観光協議会で公認したブランドを紹介します。

名古屋西公認ブランドとは

伝統的工芸品や近代化産業遺産など、西区には魅力的な観光資源がたくさんあります。

そうした地域資源を名古屋西観光協議会で公認し、「名古屋西公認ブランド」と呼んでいます。

公認ブランド紹介

トヨタ産業技術記念館

トヨタ産業技術記念館画像

豊田自動織布工場(現 トヨタ産業技術記念館)、産業技術記念館の所蔵物、旧豊田紡織(株)本社事務所、旧豊田商会事務所が近代化産業遺産群として経済産業大臣に認定されている。

1911年に豊田佐吉が自動織機開発のための試験工場「豊田自動織布工場」を開設し、その後、旧豊田紡織本社工場となった。
(株)豊田自動織機製作所やトヨタ自動車工業(株)の設立総会が行われたトヨタグループ発祥の地。

大正時代の赤レンガの工場建屋を保存・活用した現トヨタ産業技術記念館では、繊維機械の展示や自動車の生産技術の動態展示などを楽しむことができる。

ノリタケの森

ノリタケの森画像

(輸出製品開発や国内需要拡大による)中部、近畿、山陰の窯業近代化の歩みを物語る遺産として、赤レンガ建築(旧製土工場)、6本煙突(陶磁器焼成用トンネル窯煙突の跡)が経済産業大臣によって近代化産業遺産に認定されている。

1904年に日本陶器合名会社(現: ノリタケ株式会社)が洋食器工場を建設した場所。
1914年に日本で初めて白色硬質磁器のディナーセットの製造に成功。高圧碍子(がいし)や衛生陶器の研究も行われ、その後の日本ガイシとTOTOの誕生に繋がった。

現在、ノリタケの森では陶磁器の製造工程の見学や、絵付け体験ができるほか、ミュージアムでは歴史的・文化的価値の高い「オールドノリタケ」を見ることができる。

名古屋仏壇

名古屋仏壇画像

経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

名古屋における仏壇製造の歴史は、元禄8年(1695年)に高木仁右衛門が仏壇専門店「ひろや」を創業したのが始まりとされている。木曽檜を用いて技術を発展させた。

19世紀末には組合が作られ、全国各地で開かれた産業博覧会などに名古屋仏壇が出品された。

名古屋友禅

名古屋友禅画像

経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

名古屋における友禅は、第七代尾張藩主・徳川宗春の時代(享保年間、1730から1739年)に、京都から絵師・友禅師などが往来して伝えられた。宗春が藩主であった頃は、遊芸華やかな時代であったが、後に宗春が失脚し、幕府の方針である質素倹約が励行され、色数が抑えられたものになっていった。
そういった歴史やこの地の土地柄を反映し、この地の友禅の特徴は、淡彩濃淡調の渋さとなっている。

名古屋黒紋付染

名古屋黒紋付染画像

経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

1610年に、尾張藩士の小坂井家が藩内の旗や幟などの製造にあたったことが始まりとされている。その後、現在につながる紋型紙板締めの技法が生まれた。

浸染(ひたしぞめ・しんぜん)と引染(ひきぞめ)の2種類の染色方法がある。
浸染では、生地に紋型紙を貼り、それを生地の両面から紋当金網(もんあてかなあみ)で押さえて締付け、下染めをした後、黒の染料液に入れて染め上げる。
引染は、紋の部分に伏糊をし、刷毛を使用して染め上げる。
どちらの方法も、最後に白く残った紋章の部分に手書きで紋章を描いていく。

尾張七宝

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経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

七宝の名は仏教経典の七つの宝を集めた美しさに例えられたことに由来する。
19世紀前半、尾張藩の梶常吉がオランダ船によりもたらされた七宝を研究し、銅地金に下絵として金属線などを植線し、釉薬を施し焼成する技法を完成させた。

尾張仏具

尾張仏具画像

経済産業大臣指定の伝統的工芸品。

名古屋の仏具は、木製漆塗り製品が中心で、江戸初期より仏壇と共に生産され、江戸後期には名古屋城下において下級武士の内職として興った。
明治期以降は卸商を中核とした問屋制家内工業によって量産性が高まり、多種多様な仏具に対し分業制により良質な商品を大量に生産し、完成品を日本全国に流通させている。

名古屋扇子

扇子画像

名古屋は京都と並び扇子の産地。

宝暦年間(16世紀中頃)に、京都から名古屋城下(現在の西区幅下あたり)に移住してきた井上勘造父子が始めたとされる。

京扇子が高級な婦人ものを主としているのに対し、名古屋扇子は白扇など実用的な男性用を主体として発展した。

名古屋提灯

名古屋提灯画像

提灯の歴史は古く、遠く室町時代にさかのぼるといわれる。江戸時代には盆供養に提灯を使う風習が生まれ、盛んにつくられるようになった。

小田原、岐阜などの提灯が有名だが、名古屋提灯も歴史が古く、明治初期には和紙のやわらかな光が欧米人に好まれ、貴重な輸出品としてもてはやされた。当時全国一の生産を誇った時期もあったといわれる。

現在では、盆提灯・祭礼用提灯・観光土産提灯などが主に生産されている。

和凧

和凧画像

凧が名古屋に普及したのは、江戸中期に参勤交代や行商人の手によって江戸から普及したと推察されている。
以降、脈々と受け継がれた職人技で名古屋は和凧の一大生産地となっているが、正徳2年(1712年)に広まった噂話で、柿の木金助が大凧に乗って、名古屋城の金の鯱ウロコを盗むという事件があり、名古屋城下では大凧上げが禁止されたという。そのせいか現在に至るも名古屋では大凧は作られていない。名古屋の凧の特産は扇凧である。

このページの作成担当

西区役所区政部地域力推進課地域の魅力の発信・観光推進担当

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