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城下町散策コース

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このページを印刷する最終更新日:2018年12月10日

ページID:1156

ページの概要:城下町散策コースの紹介です

城下町散策コース

徳川家康が名古屋台地に大坂方に対し城を築き、いわゆる清須越により、城下町を造成しました。藩政時代に上宿・幅下と呼ばれたこの一帯は本来の城下町として、旧町名も由緒ある町名が多く残されていました。藩の御用達商人も多く住み、堀川周辺には藩や商家の土蔵が立ち並び江戸時代の城下町として当時の賑わいと繁栄の跡がしのばれるところです。

コース総距離:浅間町駅から約4.4キロメートル、栄生駅から約3.8キロメートル

見所紹介

鴫塚(しぎづか) 別名:刈跡塚(かりあとづか)

法蔵寺の境内にあり、松尾芭蕉の「刈跡や早稲かたかたの鴫の声」の句が刻まれています。名古屋市指定文化財。

菊水観音(きくすいかんのん)

江戸時代の創立。昔この辺りにきれいな水の湧く泉があり、「菊(水)の井」と呼ばれていたことが、菊井町の町名の由来といわれています。

津島神社(つしまじんじゃ)

鐘と太鼓を打ち鳴らして町内を練り歩く石取まつりが毎年5月に行われます。

多賀宮(たがぐう)

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀る、延命と縁結びの神社。神社には珍しくおもかる石があります。

圓頓寺(えんどんじ)

承応3年(1654年)創建、享保9年(1724年)に今の地に移りました。本堂は名古屋城天守閣使用の余材を拝領して建てたといわれ、本堂脇には藩祖義直の側室が寄進した鬼子母神像が安置されています。

慶栄寺(けいえいじ)

境内にある太子堂は奈良の元興寺五重塔の古材で造られ、聖徳太子像が祀られています。松涛庵は足利義政が銀閣寺を建てたとき、茶室として造らせたものを京都東山より移築したといわれています。

四間道(しけみち)

堀川に沿って土蔵が立ち並ぶ地区。元禄13年(1700年)の大火の後、堀川端の問屋筋の裏を四間(約7メートル)に広げたことが語源ともいわれています。名古屋市町並み保存地区。

屋根神

屋根の上、軒先に祀る名古屋独特の神さま。美濃路コースでも見かけることができます。

浅間神社(せんげんじんじゃ)

正保4年(1647年)に現在地へ勧請。境内には300年以上の樹齢を誇るケヤキがあります。

伊藤家住宅

慶長19年(1614年)に移住した清須越の商家。堀川沿いに住家があったため、「川伊藤」と呼ばれました。住宅と土蔵は愛知県指定文化財。※外観のみ見学可。

堀川・五条橋

慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに開削された堀川は、街道とともに物流を担う重要な役割を果たしました。五条橋は清須の五条川にかかっていたものを、清須越の際、橋材とともにその名も移し、本物の擬宝珠(ぎぼし)は名古屋城天守閣に保存されています。

城下町散策コース地図・見所紹介データ

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城下町散策コース地図・見所紹介データ(こちらからダウンロードできます)

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