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御用水コース-城とムラを支えた水源をたどる-

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このページを印刷する最終更新日:2024年4月1日

ページID:162747

コース

白沢渓谷→江戸時代末期の御用水取入口(推定位置)→八ケ村用水取入口・碑→江戸時代後期の御用水取入口(推定位置)→すいどうみち緑道→ビール工場引込線跡→八ケ村用水由来碑→JR新守山駅(約4.1キロメートル)

コースの主な見どころ

1 白沢渓谷

白沢渓谷

 市内唯一の渓谷。平成8(1996)年白沢川護岸整備時に人工的なロックガーデンの滝と市内唯一の吊り橋長さ25m高さ9mが架けられた。耐用年数により平成28(2016)年微笑(ほほえみ)橋が再架された。平成九年度建設省都市景観大賞・名古屋市都市景観賞を受賞。桜の名所である。

2 江戸時代末期の御用水取入口(推定位置)

江戸時代末期の御用水取入口(推定位置)

 慶長15(1610)年から名古屋城の堀の水源となっていた湧水が枯渇してきたため、寛文3(1663)年尾張藩二代藩主徳川光友の命によって御用水および巾下水道が開削された。この場所は江戸時代末期の文久年間(1861-1864)の絵図に基づく取入口の推定位置である。

3 八ヶ村用水取入口・碑

八ヶ村用水取入口・碑

 八ヶ村用水取入口は当碑から200m程上流に位置し、用水は白沢川を伏せ越す。碑は昭和25(1950)年8月大雨により用水が被害を受け、八ヶ村治水利水期成同盟会を設け翌年3月復旧工事着工、関係当局、地元民の努力により昭和29(1954)年9月竣工。

4 江戸時代後期の御用水取入口(推定位置)

江戸時代後期の御用水取入口(推定位置)

 文化4(1807)年の測量図や天保年間(1831-1845)の村絵図によると、現松川橋の川上約50m付近に御用水の取入口や堰が描かれていた。また、その東約10mに六ヶ村(または八ヶ村)用水の取入口が描かれている。洪水などのたびに取入口を移動していたと思われる。

5 すいどうみち緑道

すいどうみち緑道

 この地下には名古屋市の水道導水管3本が埋設されている。導水管は大山城北の木曽川取入口から鍋屋上野浄水場までの約22.5km。明治42(1906)年に工事が始まり大正3(1914)年に運用が始まった。その後地上を公園として利用され四季を通じ花が楽しめる。

6 ビール工場引込線跡

ビール工場引込線跡

 引込線は、ビール工場が昭和48(1973)年に竣工した時期に国鉄(当時)中央線新守山駅から敷設され、中央線の西側を下って横切る形で工場へ入っていた。平成12(2000)年頃には撤去され、線路の下のトンネルや工場西側の道路とトンネル部分が接するところの舗装に痕跡がある。

7 八ヶ村用水由来碑

八ヶ村用水由来碑

 明治9(1876)年の取水位置の変更により廃止された御用水の上流部水路と郷合川(ごうやがわ)の水源を併せ、八ヶ村(川村、牛牧、大森(おおもり)垣外(がいと)、大永寺、金屋坊、守山、幸心、瀬古)の灌漑目的の水路である。昭和29(1954)年、国費による大規模な築堤改修が施行された。

8 JR新守山駅

JR新守山駅

 明治33(1900)年7月、名古屋から多治見間に国鉄(当時)中央線が開通した。昭和33(1958)年1月、名古屋市は千種駅と大曽根駅の貨物事業統合移転計画のため、現在地を貨物新駅の候補地とした。守山市(当時)は、旅客駅併設を要請し、昭和39(1964)年4月1日開業した。

まちあるきマップ

PDFデータを印刷していただくと、配布しているマップになります。まちあるきにご利用ください。守山区役所3階地域力推進課などでも配布しています。

(注)以下のファイルはすべてテキスト情報のない画像データです。内容を確認したい場合は、守山区役所地域力推進課(電話番号052-796-4524)までお問い合わせください。

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