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志段味中部コース-巡見道と伝説の地を歩く-

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このページを印刷する最終更新日:2024年4月1日

ページID:151228

コース

下志段味八幡神社→巡見道→旧役場跡碑・架橋記念碑→常楽院(地蔵堂)→才井戸流→天白元屋敷遺跡→久岑寺(約3.8キロメートル)

コースの主な見どころ

1 下志段味八幡神社

下志段味八幡神社(しもしだみはちまんじんじゃ)

 創立年は不詳であるが、本殿の棟札には貞享元(1684)年8月15日再建と記されている。当初は下志段味字真光寺に鎮座していた。庄内川水害の被害により、明治5(1872)年に当地へ遷座された。大正6(1907)年には下志段味字西新外の秋葉神社を本社に合祀した。

2 巡見道(じゅんけんみち)

巡見道(じゅんけんみち)

 江戸幕府が諸国の幕領や大名領の民情、政情を視察する為に派遣された江戸幕府の役(巡見使)人が通った道。尾張国は鳴海-尾張旭-志段味-小牧と通過した。巡見使の制度は天保9(1838)年13代将軍家定の時以降中止され沿岸視察に重点が移った。

3 旧役場跡碑・架橋記念碑

旧役場跡碑・架橋記念碑(きゅうやくばあとひ・かけはしきねんひ)

 この地域は、明治22(1889)年に4村が合併し志談村となった後、守山町、続いて名古屋市と合併して守山区役所志段味支所となる。碑は、大正年代に、志段味橋、吉根橋が架橋され、東谷橋が移設されて3つの橋がそろい、街道が県道に編入されたことを記念して建てられた。

4 常楽院(地蔵堂)

常楽院(地蔵堂)(じょうらくいん(じぞうどう))

 明治時代、赤痢で大勢が亡くなった時、志段味地区、水野地区の人々に瀬戸物の千体地蔵を作ってもらい、地蔵堂に納めた。堂の外に、子安地蔵、西国三十三所の観音像、弘法大師像等が安置されている。六十六部廻国供養塔には、嘉永4(1851)年の銘がある。

5 才井戸流(さいどながれ)

才井戸流(さいどながれ)

 才井戸流は、諏訪神社横の急な坂を北へ降りた辺りから守山高校敷地の南へ流れている幅1メートルほど、全長数百メートルの小川。水源は高台からの流水と近辺からの湧き水。古くからの清流で、夏にはハグロトンボやホタルが飛び交っていたとされる。

6 天白元屋敷遺跡

天白元屋敷遺跡(てんぱくもとやしきいせき)

 庄内川が山間丘陵から流れだし、低地部へ至る扇状地先端部に位置している。弥生時代から南北朝時代にかけて、河川交通により川湊として発展し、「渡し」が開発された。都の鳥形硯が出土した。陶器の積み出し、都からの珍品などの交易を管轄する居館と推測される。

7 久岑寺(きゅうしんじ)

久岑寺(きゅうしんじ)

 山号は長松山、開山の蓬山永宮禅師の隠居寺、創建は慶長5(1600)年。宗派は曹洞宗、本尊は聖観世音菩薩。住職の相続は無く、関係宗派禅師が派遣される。境内配置は、鐘楼門、左右に寺名碑、戒壇石(不許葷酒入山門)。左に稲荷堂、右客室。

まちあるきマップ

PDFデータを印刷していただくと、配布しているマップになります。まちあるきにご利用ください。守山区役所3階地域力推進課などでも配布しています。

(注)以下のファイルはすべてテキスト情報のない画像データです。内容を確認したい場合は、守山区役所地域力推進課(電話番号052-796-4524)までお問い合わせください。

志段味中部コース-巡見道と伝説の地を歩く- 印刷用マップ

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