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震災の現場から―緑区職員からのメッセージ―

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このページを印刷する最終更新日:2020年4月7日

ページID:26511

平成23年3月11日に発生した東日本大震災。本市の職員も被災地の方々と一緒になって、被災者への支援や行政機能の回復のため、東北地方で奮闘しています。現在、緑区役所に勤務し、被災地への派遣を終えた職員からの声をもとに、今、私たちが災害に備えて、何をしなければならないかを考えました。

(この企画は広報なごや8月号緑区版との連動企画です)

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震災から8日後‥

「3月19日でしたね‥多くの支援物資とともに名古屋市役所から車で出発しました。新潟方面を回り、帰りのガソリンを確保しながらの移動だったので、仙台まで14時間ほどかかったことを覚えています」

緑保健所保健予防課に勤務している保健師の大竹昌子さんは、宮城県仙台市宮城野区に6日間派遣されました。これは被災住民の健康支援のため、厚生労働省の要請により、全国各地から保健師が集められたものです。

「印象に残ったことですか‥‥ありすぎてわからないですよ。避難所となっていた小学校の体育館や教室には避難者がいっぱいで、運動場は津波でヘドロだらけ。臭いもひどかったですね‥」

電気やガス、水道もまだ復旧せず、また行方不明者の捜索のため通行に規制がかかる中、大竹さんを始めとする全国からの保健師は、小学校などの避難所へ派遣され、避難者の健康相談や健康チェック、避難所の衛生対策などを行いました。

避難所の職員の写真

▲避難所にてボランティアナースらと申し送り

着の身着のまま逃げ出した・・

震災から1カ月ほど経った4月16日。宮城県東松島市へ派遣された保健師の1人に、小林富士子さんがいました。

「私は、避難所生活も長くなってきた時の派遣でした。ガレキや汚泥があちこちに積み上げられ、衛生面ではレジオネラ菌などの感染症が心配される時期でしたね‥」

名勝地として知られる日本三景。その1つの松島町に隣接した東松島市も、特に海岸沿いは津波のため、大きな被害を受けた。

「着の身着のまま、すぐに逃げ出した人は、助かった方が多いと聞きました。一旦逃げたにもかかわらず、何かを家へ取りに帰った方が流されてしまったと‥」

一目散に高台へ逃げること‥それがまずは大切な命を守る第1歩。小林さんが東松島市で何度も聞き、感じた言葉である。

 

「ありがとう」から始まる

渡邊美晴さんは4月24日から、東松島市へ派遣。期間は大竹さんや小林さんと同じ6日間。最初の2日間は避難所を回り、後半は避難所に避難されていない被災者のお宅を訪問し、栄養状態などを聞きとる調査をした。

「避難所から仕事に通ったり、ガレキを撤去しに行ったりする方がいる一方で、昼間は高齢の方や主婦が避難所に残っているんです。1カ月以上避難所で生活したためか、心労がかなりたまっているようでした。心に余裕があまりなく、普段通りの状態に戻ることは難しそうでした」

いろいろなものを失い、すごく不自由な生活を強いられているにもかかわらず、被災された方々は渡邊さんらが来るとこう言ったそうだ。

「私たちが来れば『ありがとう』と言ってくれる‥『来てくれてありがとう』から始まるんです。こういう言い方は失礼かもしれませんが、支援という形で行ったはずの私たちが励まされ、教えられました」

 

薬はあるが‥

地元の病院の対応や全国からの応援により、比較的薬品関係の入手は早かったようだ。

「でも困ったのは、自分が普段、何の薬をのんでいるのかがわからないということでした。わからないと薬品はあっても処方ができないんです」

そう漏らした小林さんは、現在自分の業務でもある老人会や給食会への訪問時に、あらかじめ自分が何の薬を飲んでいるか知っておくよう、話すようにしている。

「薬の名前を書いたメモを財布の中へ入れるとか、薬の袋をいつでも持ち出せるようにするとか‥ちょっとしたことの積み重ねが命を救うことになるんです」

渡邊さんは、被災地での体験を交えて話すことで、聞く側の態度もかわってきていると感じている。3人が共通して語っていたことは、派遣によって芽生えた使命感だ。

「皆さんが特に関心がある今、この貴重な経験で得たものを伝えていかなければいけないと思います」

 

ご近所づきあい

地域のつながり、絆の大切さ‥全国的に再認識されているキーワード。一昔前は、「向こう三軒、両隣」といわれていたように、顔の見える関係が当たり前の時代もあった。

「私が強く感じたことは、常日ごろからご近所づきあいをしておくことが大切だということ。近所づきあいというか、今だと町内会・自治会へ入るということなのか‥そういうつながりがあると、支援する私たちも助かりました」

そう語った大竹さん。「○○さんは、あそこがかかりつけのお医者さんだよ」「○○くんは、今日、ご飯いらないって言っていた」など、震災から間もない時期に派遣された大竹さんにとって、被災された方からの情報が頼りになった例も少なくはない。

「逃げる時もそう。とりあえず逃げなければいけないけれど、隣のおばあちゃんがいないとか、安否がわかるだけで、その後の対応も違いますよね」

「昼間だけ避難所に来る方がいます。それはどうしてかというと、自宅は無事なので避難所で暮らす必要はないけれど、家族は仕事などで家におらず、昼間は一人ぼっちになってしまうということがあるんです。この大震災の後です。余震も続いています。怖いし不安になるのは当然です。でも避難所に行けば誰かがいます。これも近所づきあいができていなければ、○○さんのことを知らなければ、なかなか行くことができないんです」

「避難所を管理していた町内会長さんや行政職員も大変でした。ここは地区ごとに会長さんがしっかり管理していました。もう本当に一生懸命やりすぎて、燃え尽き症候群になった方もいらっしゃるくらい‥心のケアチームも、そういう方を特に心配していましたね」(心のケアチームは、医師・看護師・保健師・臨床心理士らで編成されたチームです。)

自分たちの家族、そして自分たちのまちを守るために、地域のつながり、絆の大切さを、改めて考えさせられたのが今回の震災の特徴でもある。大竹さんは話の最後にこう付け加えた。

「一番はやっぱり、普段から‥災害が起こる前から、隣近所とのつきあいをしっかりとすることですね」

避難所の写真

▲避難所では、エコノミー症候群を防ぐために簡単な体操なども行われた

生きる力

小林さんは業務でタクシーを使うと、運転手さんがいつも「ここは以前こうだった‥」「ここまで津波がきた‥」など話してくれたそうだ。避難所でも感じたことは「悲惨な状況を話したい。聞いてほしい‥」という方が多いこと。溜めこんでいる気持ちを少しでも吐き出すことで、楽になるのかもしれない。みんな立ちあがろうと必死に頑張っているように見えた。

渡邊さんは少し時間が空いた時、「名古屋市の職員にも見てほしい」ということで、案内してもらった場所があった。それは被災地の職員が業務中、津波にさらわれ、命からがら逃げ出し、屋根の上で2日間過ごした場所だった。また、土手しかない場所をさして「ここは僕の実家だった‥」と淡々と語ってくれたりもした。心に大きな痛手を負っているのにもかかわらず、2度と繰り返させたくないという気持ちからか、前をしっかり向いて話してくれたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。

最後に小林さんがこんな話をしてくれた。

「東北の方の気質でしょうか?皆さん忍耐強いな‥と思いました。『自分だけが生き残ったんだったら、その分も頑張らなきゃね』ってみんなで励ましあっているんです。何もかも失った。家も家族も。でも人と人とのつながりがある。みんなでともに助け合って暮らしていける。その強い思いは失われていないんです。つながりが生きる力になっている‥そう感じました」

 

サンキューカード

7月4日‥照りつける熱い日差しの中、区長応接室を訪れたのは、徳重支所市民係に勤務する稲元一喜さん。本市が全面的に支援している陸前高田市へ、5月31日から7月1日までのおよそ1カ月間派遣され、住民票交付などの窓口業務を行った。

「本当にご苦労さまでした。1カ月なんてあっという間だったかもしれませんが、緑区役所を代表し、責任感をもって職務を全うしていただき、職員一同、大変感謝しております。ありがとう」

黒川和博緑区長から稲元さんへ手渡されたのはサンキューカード。これは緑区が独自に行っている職場風土改善の試みで、職員の積極的な取り組みや業務改善について、幹部職員が交付するもの。

「今思うと、選んでいただいてうれしかった。今後の自分の糧になると思います。陸前高田を離れる時、もっと長い間、手伝えたらよかったのにと感じたのは事実です‥」

サンキューカードを手渡す黒川区長の写真

▲サンキューカードを手渡す黒川区長

業務を通じて

「通勤は、バスで1時間くらい離れた旅館から通っていました。少し低いところにさしかかると、バスの車窓からその被害の大きさが垣間見られました」

稲元さんは昨年、本市に入庁したばかり。徳重支所の市民係では、住民票の交付など窓口の最前線に立って活躍し、他の職員からの人望も厚い。

「普段徳重支所で行っている業務に加え、国民健康保険や年金とかパスポートの受け付けなど、仕事は多岐にわたりました。主に4人でこの業務を受け持っていましたが、窓口には、私を含めた名古屋市の職員2人が立ちました」

名古屋市の防災服を着て窓口に立つ稲元さんの写真

▲名古屋市の防災服を着て窓口に立つ稲元さん

職員同士で話し合った結果、陸前高田の職員には、震災によって滞っている内部の業務を進めることが最優先の課題でもあったため、住民と直接やり取りをするカウンターには常に派遣された職員が立つスタイルをとった。難しい局面などでは互いの知識や経験を出し合い、解決策を導くなど、連携して業務を進めることに気を遣ったという。

「名古屋市とは端末の使い方なども違い、戸惑ったこともしばしばありました。業務に手間取ってしまい、普通なら怒られてもしかたない場合でも、陸前高田のお客さまは『ありがとう』など逆にお礼を言われ、うれしかったのを覚えています」

緑区からは9月と12月にも1人ずつ、職員が1カ月間派遣される予定だ。稲元さんは彼らにも自分が得た経験を伝えたいと語っていた。

 

日ごろからの備え

休日に1度、陸前高田市の職員に沿岸部へ連れて行ってもらった。市民のおよそ1割が死亡・行方不明となっている陸前高田市。震災から3カ月が経ったにもかかわらず、いまだ被害の凄まじさを残す光景を目の当たりにし、大規模災害の恐ろしさを肌で感じた。
被災地の写真

▲元道路であったと思われる高台から撮影

「いろいろお話を聞きましたが、やはり車で逃げられた方の多くが命を落としたようです。また逃げた避難所によっても、耐震性は大丈夫だったが、津波には適してなかったことから流されてしまったことも‥今一度、自分の住む場所でも確認が必要ですね」

「震災のあった次の日、3月12日は陸前高田に雪が降ったようです。その時の寒さが原因で亡くなったのではないかと思われる方もいたといいます。たった毛布1枚が生死をわけたかもしれない‥災害が起きてからではなく、普段から準備しておくことが本当に重要なんですね」

いつ起こるかわからない大規模災害。日ごろからの備えが大切なのはわかってはいるもののなかなか実行できないのは事実。しかし尊い命を守るために今すぐにでも行動することが必要であろう。

 

<防災マップのページ>

 

1枚の紙の重み

6月25日。陸前高田市ではこの日から行方不明者に対しての死亡届の受け付けが始まった。

「書類を受理する時に、申述書という書類を添付しなければならないんです。でも事実を受け止めたくないのか、書かなければいけない項目も空欄で出してくることが多いんです。我々としては、それだけで本当に死亡と判断していいのかわかりません」

受理するためには、職務上、お客さまから詳しいことを聞きとらなければならない。行方がわからなくなった当時の状況を聞くのは、お互いにつらいはず。その状況の多くは、1度自宅などに戻った時に津波にさらわれ、行方不明になってしまったという。

「皆さん書類を出せばすぐ終わると考えていたと思うんです。ものすごい葛藤の中で決心されて出す書類ですよね。受け入れ難い事実を受け入れなければいけない瞬間なんです。とてつもなく重い書類です。重大な決意をして出された書類なんだから、受理しなければならない。受理するためにはこちらも仕事なので聞かざるを得ない‥とてもつらかったです。こちらも涙ぐんでしまいます。聞くとその時の状況が浮かび上がってくるんです。紙1枚に書いてあることからは、まったく想像できないような言葉がいっぱいつまっていました。想像を絶する状況が、心の中にあふれてきました。意思がつまった重たい書類でした‥」

7月4日から、再び徳重支所で業務を始めた稲元さん。陸前高田市で経験した1カ月間で出会った人たちからは、自分が思った以上に、立ちあがろうとする強い意思を感じたといいます。

「だから僕たちも頑張らなければいけないと思うんです。今この時間にも、陸前高田のみんなは、復興に向けきっと全力で頑張っています。今、自分ができること、やらなければならないことをやるしかないですよね」

インタビュー中の稲元さんの写真

▲インタビュー中の稲元さん

そう語った20歳の稲元さん。彼が生まれる30年以上も前、昭和34年には、東海地方に伊勢湾台風が襲い、この地域も大きな被害を受けました。その時も日本中から、そして世界中から支援を受けたおかげで、今日の名古屋があるといっても過言ではありません。いつ起こるかわからない大規模災害。今一度、自分に何ができるのか、何をしなければいけないのか、考えてみてはいかがでしょうか。

《企画・構成 緑区役所まちづくり推進室》

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緑区役所区政部地域力推進課地域の魅力の向上・発信担当

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