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新たに指定・登録された文化財

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最終更新日:2024年8月30日

国、愛知県、名古屋市に新たに指定・登録された文化財を紹介します。

令和6年度に指定・登録された文化財

絹本著色玉照姫・ 藤原兼平中将画像

  • 種別  市指定有形文化財(絵画)
  • 指定年月日  令和6年8月8日
  • 所在地  南区笠寺町上新町76 番地
  • 所有者  宗教法人泉増院
  • 大きさ  (画面のみ)玉照姫画像 縦81.2センチメートル、横42.5センチメートル、藤原兼平中将画像 縦81.4センチメートル、横42.5センチメートル

  

 泉増院所蔵「玉照姫・藤原兼平中将画像」は、両幅ともに、裏面の「泉増院什物」「当院第八世良應法印 修幅之 正徳四年甲午二月廿八日」の墨書が示す通り、同院に伝来したことは明らかであり、また、制作年代が、正徳4(1714)年以前と判明することも貴重である。正徳4年に修理が行われたと理解できること、および、画風から推しても制作年代は17世紀前半に遡る可能性がある。江戸時代前期のやまと絵系人物図の遺例としても、また、地域の信仰、伝承を示す事例としても、指定文化財として後世に伝えるに相応しい作例である。

千手観音菩薩立像

  • 種別  市指定有形文化財(彫刻)
  • 指定年月日  令和6年8月8日
  • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
  • 所有者  宗教法人相應寺
  • 大きさ  本体 像高 65.5センチメートル 手を含む 71.4センチメートル、台座 全高 28.8センチメートル、光背 全高 81.2センチメートル 幅最大 36.8センチメートル
     

     本像は像高65.5センチメートル(頭上に伸ばした両手を含めた像高71.4センチメートル)、木造の素地に盛り上げ文様を施した檀像風の千手観音菩薩立像である。

     本像の特徴は、1素地に赤みを入れ、檀像を意識した像である点、2素地の上から盛り上げによる大振りな文様を描く点、3顔は端正ながら、裙や腰布の折り返し部の襞を大きく反転させて賑やかにあらわす点などである。とくに3の衣縁の反転を強調するのは南北朝時代から室町時代の仏像にみられる特徴である。しかしながら、頭部の十面や頂上仏面の彫りを省略して簡素であること、また盛上げ文様が大振りであること、そして何より文様それ自体が南北朝時代まで遡り得ないことから、本像の制作年代は室町時代(15世紀頃)と推定される。ただし、本像の台座・光背は像本体よりも時代の下る江戸時代後期以降のものである。

     本像は、昭和9年に京都清水寺から賜った由緒が知られ、近代名古屋の歴史や信仰を考えるうえで重要な像といえる。

    相応寺本堂・総門・山門

    • 種別  市指定有形文化財(建造物)
    • 指定年月日  令和6年8月8日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 建築面積 本堂 592.52平方メートル(桁行24.65メートル、梁間22.78メートル、付向拝23.19平方メートル)、総門  27.41平方メートル(桁行07.49メートル、梁間03.66メートル)、山門  43.76平方メートル(桁行08.93メートル、梁間04.90メートル)
     

     本堂内部にみられる意匠、精緻な彫刻からは寛永期の建築の特徴がよく読み取れる優れた遺構である。また、外観と内部で邸宅風と仏堂風の各要素が混在する点、結界を廻らす内部の空間構成など、当地における浄土宗本堂の発展を知る上で重要な遺構といえる。

     総門は、伽藍正面に構えるにふさわしい木太く、安定感のある三間一戸薬医門である。この門の建立時期の特徴をよく示す力強い絵様繰形が多数施されており、またほぼ同年代の建中寺総門(慶安5年(1652)、名古屋市指定文化財)とも似た特徴を多く有している。

     山門は、単層で規模もさほど大きくないが抑制のきいた適度な装飾が施されている。柱はすべて丸柱で正背面中央間を除き飛貫・頭貫を通し、頭貫の端部には木鼻を付ける。虹梁・その下の肘木・頭貫端部木鼻の絵様繰形や、唐破風の兎の毛通しの意匠・形状に総門や本堂との類似点が指摘できる。

     以上の3建物は、移築を経て伽藍配置も変えられてはいるが、建築形式については『尾張名所図会』に描かれた姿と大きく変わることなく現存しており、経年劣化はあるものの後補の改変も比較的少なく、特に意匠面で伝統的建造物の歴史性をよく伝えている。

    紙本淡彩相応院画像

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 大きさ  (画面のみ)縦91.8センチメートル、横32.8センチメートル

     

     相応寺(名古屋市千種区)に所蔵されている尾張藩祖徳川義直の生母相応院の画像である。義直の「尾陽国主」印が押されている。

     本像は、像主をよく知るものによる制作であり、像主の近くに居たものによる制作と考えられる。また、像主を描く画風は、義直作の他の絵画と共通するものである。

     押印された印は義直が記した絵画や書に用いられているものであり、この画像は、義直筆と考えられる。本市ではこれまで藩主の作品はほとんど指定されていないことから重要である。

    紙本淡彩相応院画像 賛有

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 大きさ  (画面のみ)縦72.5センチメートル、横28.2センチメートル 

     

     相応寺(名古屋市千種区)に所蔵されている尾張藩祖徳川義直の生母相応院の画像である。

     寺伝によれば画賛ともに義直自筆という。上部の賛文は義直作であることがわかっている。義直の印はない。

     また、制作時期については、桃山末から江戸初期の着衣の様相で描かれていることからお亀の方が尼となった元和2年(1616年)以降のものであり、義直の在世期(1600年から1650年まで)の後半期制作と推定されることも、義直と本画像との関係を示す。

     本画像は、前項「紙本淡彩相応院画像」を整え、理想化した姿が明快で鋭く伸びやかな線で描かれている。義直という名古屋の文化に大きくかかわる人物の作画・賛との伝承を持つことに意味がある。

    板絵著色杉戸絵 芙蓉図、花卉図、菊図

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 大きさ  (芙蓉図・花卉図)内法 各縦176.5センチメートル、横93.5センチメートル 
           (菊図)内法 縦173.5センチメートル、横127.5センチメートル

     

     相応寺(名古屋市千種区)に所蔵される杉戸である。本杉戸は、「芙蓉図」「花卉図」各2面が表裏になっており、「菊図」は1面のみである。

     現在は庫裡の間仕切りとして置かれているが、元来の相応寺のどこにあったのかは定かではない。現在地に移転する以前に存在した建物にあったものと思われる。現在は無くなった建物に杉戸を間仕切りとした広い廊下があったことを伝え、当初の相応寺の規模を偲ばせる。 

     また、杉戸絵の描法は絵画制作者の美意識・造形力を知らしめ、江戸前期に建立された相応寺の丁寧な造りを想像させる貴重な資料であり、その規模・荘厳のあり様の一部を現在に残す作例である点が重要である。

    絹本著色当麻曼荼羅図

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 大きさ  (画面のみ)縦354.4センチメートル、横329センチメートル
           (表装裂含む)縦487.5センチメートル、横397.5センチメートル

     

     裏面墨書から本図が相応院の菩提を弔うため、正保2年(1645年)3月に伝通院(注)から相応寺に寄進されたものであることがわかる。

     全般に江戸前期の様式と考えられ、裏面墨書の年号に近い年代に制作されたものと考えられる。

     本図は江戸前期の大型の当麻曼荼羅図であり、当時の相応寺の規模をうかがわせ、伝来も明快で伝通院と相応寺との関係を示す作品である。また、江戸前期の絵画の特質を伝える貴重な作品である。


    (注)伝通院…徳川家康の生母於大の方の菩提寺

    絹本著色釈迦涅槃図

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  千種区城山町1丁目47番地
    • 所有者  宗教法人相應寺
    • 大きさ  (画面のみ)縦408.7センチメートル、横364.9センチメートル
           (表装裂含む)縦478.2センチメートル、横393.7センチメートル 

     

     本図は動物の種類が多く、涅槃図に描かれる定番動物の他、身近な動物や水中動物や虫までが描かれる。虎と豹がつがいに描かれており、江戸時代を思わせる。また、馬の描写が、狩野派の絵馬の描法に近い。本図制作の制作期は、江戸前期の裏面寄進墨書年(慶安5年)に近い時期と考えられる。

     相応寺の規模の大きさを示し、かつ本図の裏面の墨書により慶安5年(1652年)に相応寺第二世により相応院の菩提を弔うため寄進されたものとしてはっきりしていることから、1600年代半ばの絵画作品として貴重である。

    紙本金地著色中国宮廷・当世遊楽図屏風

    • 種別  市指定有形文化財(絵画)
    • 指定年月日  令和6年4月19日
    • 所在地  中区本丸1番1号
    • 所有者  名古屋市
    • 大きさ  (画面のみ)縦67.7センチメートル、横241.4センチメートル

     

     右隻に中国唐時代の皇帝と美妃(おそらく玄宗と楊貴妃)、左隻に日本風俗を描く中型の屏風である。右隻の画題は、玄宗皇帝と伝説的美女楊貴妃が出会う邂逅図で、御殿障壁画や屏風における伝統的画題であったことが文献から知られる。

     本資料の価値はまず画質の高さそのものにある。とくに右隻は、相応寺(名古屋市千種区)に伝来した「相応寺屏風」と呼ばれる遊楽図屏風(徳川美術館蔵・重要文化財)と同じ筆者の可能性も考えられ、相応寺屏風と同様に尾張藩主と何らかの関係があったことが想定される。次に、右隻漢(中国)の伝統的皇帝画題と左隻和(日本)の当世風俗が、同じ工房により同時期に制作された点で、画題で制作工房を区別しがちであったという定説をくつがえす。さらに、画題の玄宗皇帝と楊貴妃の邂逅図作品は伝来例が少なく貴重である。

    令和4年度に指定・登録された文化財

    愛知県立瑞陵高等学校感喜堂(旧講堂)

    • 種別  国登録有形文化財(建造物)
    • 登録年月日  令和4年6月29日
    • 所在地  瑞穂区北原町二丁目1-2
    • 所有者  愛知県
    • 大正13年(1924)建設、昭和54年(1979)・平成27年(2015)改修


     校地南西隅に建つ鉄筋コンクリート造の旧講堂。寄棟造桟瓦葺で四面に切妻破風を立ち上げ、縦長のガラス窓が上下に意匠を変えて並ぶ。窓間の壁の柱頭飾りや軒持送などの装飾を施してセセッション調にまとめた外観をよく残し、大正期の講堂建築の好例である。


    感喜堂の名称の由来…「給食を感謝して喜んでいただく場所」の意味


    感喜堂を南東から撮影した外観写真です

    感喜堂外観

    桜神明社古墳

    • 種別  市指定史跡
    • 指定年月日  令和4年9月9日
    • 所在地  南区呼続4丁目2718、2719
    • 所有者  神明社


     熱田台地の南東部にあたる笠寺台地に立地しています。神明社の境内に位置し、古墳の墳頂部には本殿が建つものの、円丘状の高まりが良く残っています。

     令和2・3年度の試掘調査の結果、直径約42m、2段築成の円墳と推定されました。調査では、小円礫による葺石が見つかるとともに、円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形(きぬがさがた)埴輪が出土しました。埴輪の特徴などから、古墳が築かれた時期は5世紀前半と推定されます。

     出土した蓋形埴輪は、近畿地方の蓋形埴輪との類似性が高く、古墳被葬者と近畿地方との関係がうかがえます。

     笠寺台地に残存する数少ない大型の円墳で、鳥栖八剣社古墳、鳥栖神明社古墳とともに、笠寺台地上の首長墓に位置づけられます。

     桜神明社古墳は、あゆち潟沿いに営まれた首長墓の展開をたどるうえで、重要な位置づけを示す古墳と評価されます。

    桜神明社古墳を北東側から撮影した写真です

    桜神明社古墳の現況

    転落してきた葺石、埴輪が見つかりました

    試掘調査時の写真

    尺 八(保持者 野村 正也<野村 峰山>)

    • 種別  重要無形文化財
    • 指定年月日  令和4年10月31日
    • 保持者  野村 正也(野村 峰山)


    保持者の概要

     同人は、尺八愛好家であった父の手ほどきで尺八を学び始め、ほどなく鈴木鶯山や坂鋼山の指導を受け、高校在学中に第1回都山流尺八本曲コンクール全国大会で金賞を受賞するなど、早くから頭角を現した。NHK邦楽技能者育成会第22期生としても研鑽を積んだ同人は、以後、本格的に都山流尺八演奏家としての道を志し、初世山本邦山(平成14年重要無形文化財「尺八」(各個認定)保持者)にも師事して更に技芸を磨いた。昭和52年、都山流尺八師範検定試験を首席登第、同59年に大師範、平成8年には竹琳軒大師範を受け、都山流尺八の演奏技法を高度に体現する演奏家の一人として、斯界において重要な位置を占め、活躍している。

     同人は、都山流尺八本曲の独奏や合奏をはじめ、筝、三絃とのいわゆる三曲合奏でも優れた演奏成果を示している。とりわけ初世中尾都山による都山流本曲について、楽譜や口伝に基づく入念な演奏解釈を行い、曲の成立背景をも踏まえた演奏は高く評価されている。また作曲にも力量を発揮し、多くの作品を世に出している。

     後進の育成にも尽力しており、主宰する峰山会で一門を指導するほか、公益財団法人都山流尺八楽会主催の研修会等で演奏家の育成にあたり、愛知県立芸術大学や東京藝術大学、名古屋芸術大学において非常勤講師を務めている。

     以上のように、同人は尺八の技法を正しく体得し、かつ、これに精通するとともにその技法を高度に体現している。


    演奏中の野村氏

    保持者 野村 正也氏

    名古屋テレビ塔

    • 種別  重要文化財
    • 指定年月日  令和4年12月12日
    • 所在地  名古屋市中区錦三丁目46番地
    • 所有者  名古屋テレビ塔株式会社

     

     名古屋市の久屋大通公園にある電波塔。昭和29年の竣工、開業で、高さ178.7メートルは、建設当時日本一の高さを誇った自立式鉄塔である。地上90メートルに展望台を設ける。通天閣や東京タワーの設計で著名な内藤多仲が最初に手がけたテレビ塔で、タワー建築の歴史上、価値が高い。当時一流の技術陣を擁して、耐風に関する実験や計算が行われ、また、わが国初のテレビ放送用集約電波鉄塔として技術的な価値も評価できる。名古屋の戦後復興のシンボルといえ、近現代都市整備のメルクマールとなった。


    名古屋テレビ塔の外観写真です

    名古屋テレビ塔

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    教育委員会事務局生涯学習部文化財保護課文化財保存活用担当

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