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家庭の日

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このページを印刷する最終更新日:2021年11月25日

「家庭の日」について

 家庭は私たちの生活の基盤であり、家族の心のよりどころでもあります。また、子どもたちにとっては、生きるルールを覚える最初の学校であり、知らず知らずのうちに、人格が形成されていく場でもあります。
 家庭がそのような働きをよりよく発揮するためには、家族みんなの心がふれあう明るい家庭づくりを進めることが大切です。

 毎日をともに過ごす家族のすばらしさや、話し合いのできる家族のありがたさは、身近にあり当たり前に考えてしまうため、かえってその価値を見失いがちです。

 名古屋市では、家庭の大切さ、家庭の役割のすばらしさについて改めて考える機会としてもらうため、毎月第3日曜日を「家庭の日」と定めています。

 そして、この日をきっかけにして毎日が「家庭の日」となるように、みんなの工夫でそれぞれの家庭にあった楽しい「家庭の日」をつくっていきましょう。

たとえばこんな「家庭の日」を

家族みんなで話し合いやだんらんの時間をもちましょう。

子どもの話を最後まで聞く心のゆとりをもちましょう。
何でも話せる信頼関係をつくり、子どもの発する注意信号を、見逃さないようにしましょう。

家族みんなで食事をする機会をもちましょう。

食事の時間は、ゆっくりと家族がおしゃべりできる大切なひとときです。たまには家族で一緒に作ってみませんか。子どもは喜び、さらに食事もおいしくなるでしょう。

家族の中で役割分担を決めましょう。

みんなで家事の分担をして、家族が共に助け合いながら生活している意識や責任感を育てましょう。

家族が一緒に過ごす時間をもちましょう。

晴れた日には、家族で一緒に外へ出て、ハイキングやスポーツ、レクリエーションを楽しみましょう。また、家族で音楽を聴いたり、本を読んだり、芸術鑑賞に出かけたりして、すばらしいものにふれて感動する心を育てましょう。

家族みんなで地域での行事に参加しましょう。

親子で地域での行事に参加し、地域の人々との交流を深めましょう。

子どもにとって、異年齢の友達とつきあうことは、大切な経験となり、社会性が育っていきます。地域においても、親子で参加できる行事を積極的に進めましょう。

「家庭の日」普及啓発ポスター・作文入賞者決定

名古屋市では毎年、名古屋市立の小学校、中学校、特別支援学校に通う児童・生徒を対象に、「家庭の日」を普及啓発するポスター・作文を募集しています。令和3年度もポスターについては、小学生の部に1,779点、中学生の部に112点、また、作文については、小学生の部に161点、中学生の部に44点の応募をいただきました。その入賞作品をご紹介します。

令和3年度 「家庭の日」普及啓発ポスター入賞作品

小学生 最優秀賞 赤星小学校5年 須藤 大貴さん

小学生 最優秀賞 赤星小学校5年 須藤 大貴さんの画像



小学生 優秀賞 稲葉地小学校2年 古川 湊さん

小学生 優秀賞 稲葉地小学校2年 古川 湊さんの画像



小学生 努力賞 香流小学校2年 平野 佑樹さん

小学生 努力賞 香流小学校2年 平野 佑樹さんの画像



小学生 努力賞 下志段味小学校4年 永翁 瑛さん

小学生 努力賞 下志段味小学校4年 永翁 瑛さんの画像



小学生 努力賞 熊の前小学校4年 帽田 泉さん

小学生 努力賞 熊の前小学校4年 帽田 泉さんの画像



小学生 努力賞 八事東小学校5年 遠藤 あかりさん

小学生 努力賞 八事東小学校5年 遠藤 あかりさんの画像



中学生 最優秀賞 振甫中学校2年 前田 陸さん

中学生 最優秀賞 振甫中学校2年 前田 陸さんの画像



中学生 優秀賞 鎌倉台中3年 小林 美奈さん 

中学生 優秀賞 鎌倉台中3年 小林 美奈さんの画像



中学生 努力賞 豊国中学校2年 伊藤 大保さん

中学生 努力賞 豊国中学校2年 伊藤 大保さんの画像



中学生 努力賞 矢田中学校3年 杉浦 理乃さん

中学生 努力賞 矢田中学校3年 杉浦 理乃さんの画像



令和3年度「家庭の日」普及作文入賞作品  *入賞作品の表記は、一部変更して掲載しています。

小学生 最優秀賞 大森小学校5年 鈴木 絆斗さん 「やさしい言葉を伝えたい」

 今ぼくは小学五年生になって、今まであまり深く考えたことがなかった言葉について考える事が多くなりました。「ありがとう」と「ごめんなさい」というこの二つの言葉がぼくには特別に大切なものだと思ったからです。

 ぼくのお父さんは三年くらい前に大きな病気になりました。ぼくは小さかったのでくわしいことはあまり覚えていませんが、少しだけ覚えていることがあります。それはお母さんといつも病院に行っていたことと、病院にいるお父さんはベッドの上で元気がなかったことです。ぼくは知らない人のように見えてすごくドキドキしてしまい病院に行くのが少しこわかったです。だからうまく話せませんでした。

 毎日のように病院に行くぼくにある時少し元気になったお父さんが「来てくれてありがとう。」と言ってくれました。ドキドキしていた気持ちがスッと軽くなり、だんだん話が出来るようになりました。それから病院に行く時もこわくなくなっていきました。

 お父さんも少しずつ回復してたくさん話すことが出来るようになりました。そんなころから今度は「いつも遠くまでごめんね。」と言うようになりました。何でごめんね、と言うのかなとその時はわからなくてお母さんに聞くと「きっとありがとうと同じ意味だよ。」と言いました。

 お父さんが病気になってから、ぼくの生活も少し変わり、お母さんもたくさんぼくに、「ごめんね」と言っていました。あの時はよくわからなかったけれど、お母さんはすごくいそがしくて大変だったのかなと思います。

 ぼくも少しさみしかったけれどいつも「ごめんね」と言ってくれるお母さんの言葉は「ありがとう」ということなのだと思えるようになり、ぼくの心は「大丈夫」と思えました。

 今、お父さんは元気になり仕事をしています。お母さんも元気でいてくれます。あの時のぼくは何も出来なかったけれど、今のぼくならあの時のお父さんとお母さんの気持ちがわかります。だからこれから、お父さんとお母さんが困った時、ぼくが今度はやさしい言葉で助けてあげたいと思います。

 「ありがとう」「ごめんなさい」はちがう意味だけれど気持ちがギュッと近くなる言葉だなと思うようになり、その言葉はやさしくて大切なものだと知ることが出来ました。

 家族でも「ありがとう」「ごめんなさい」はきちんと伝えなければいけない言葉です。家族だからきちんと伝えたいと思うようになりました。

 この言葉の大切さに気付けたことを忘れずに、これからもたくさんの気持ちを、たくさんのやさしい言葉で伝えていきたいと思います。

小学生 優秀賞 栄小学校1年 平川 花楠さん 「わたしのかぞく」

 わたしは、6がつで7さいになりました。よく1ねんせいなのにおおきいね、といわれるしいつもげんきでたのしそうだね、といわれます。

 わたしには5さいのおとうとがいます。

 わたしもおとうともおかあさんのだっこがだいすきです。あたたかいし、ふわふわしているしだっこをされるとむねのあたりがぽかぽかしてきてなんだかなんでもできるようなきがしてくるからです。

 おかあさんにわたしのこといつまでだっこしてくれる?とききました。わたしは、とてもはやくうまれたのでこねこぐらいのおおきさだったそうです。なので、ずっとほいくきというところでおかあさんとはなれてねていたそうです。

 おいしゃさんからだっこしていいよといわれたのは、7月のおわりでおとうさんもおかあさんもだっこできるのがうれしくて、いっぱいないて、だっこしたんだよといっていました。

 だからおかあさんは、わたしがだっこしてといったらいつまでもだっこしてくれるそうです。しゃしんをみたらちっちゃくてつまらなそうなかおをしていたけれどいまは、おかあさんがいっしょにいてだっこしてくれるしおとうさんもおとうともいるからもうさみしくならないよとおもいました。 

小学生 努力賞 西山小学校3年 早川 葵さん 「母の日のプレゼント」

 私はいつもお仕事だけでなく家での家事、色々とがんばってくれるお母さんが大好きです。そんなお母さんに私は母の日のプレゼントをあげたくなりました。母の日の少し前お父さんに私が、

「お母さんにプレゼントしたい!」

と、いったらお父さんが、

「いいね!」

と言ってくれたので私は、

「ないしょにしてね。」

といいました。私はお父さんと、プレゼントをかいに行きました。三十分くらいなやんでプレゼントはかみの毛をしばるシュシュにきめました。お父さんはお母さんにピアスをかっていました。お兄ちゃんと弟は手紙や絵をかいていました。お兄ちゃんがかいた絵がとってもおもしろかったです。弟がかいた絵もとっても上手だったので私が弟に、

「上手だね。」

といったら弟がにこにこしながら、

「ありがとう。」

といってくれたのでとてもうれしくなりました。私も手紙にたくさん感しゃの気もちを書きました。ほかにも色々な物を作ったりしました。そして母の日になって、とてもきんちょうしてきました。その後おにいちゃんに、

「お母さんにプレゼントをわたすよ。」

と小さな声で言ったら、

「え?聞こえない。なに?」

と言ってきたので、せつめいしてたらお母さんに気づかれてしまうと思ってお兄ちゃんには後で話そうと思いました。そしてお母さんにサプライズをしたかったのでドキドキする気もちをかくしながら、しぜんにへやに入りました。そしてお母さんに、

「いつもありがとう!」

といってプレゼントをわたしたら、お母さんは、とてもびっくりしていて、

「うわぁ!ありがとう!」

ととてもよろこんでくれました。すごくうれしかったです。お父さんがないしょで動画をとっていたので後でみんなと動画を見ました。お母さんがシュシュをつけてくれたのでとってもうれしかったです。お父さんがあげたピアスをつけているお母さんがとってもかわいかったです。これからはもっとお母さんや家ぞくのお手つだいをたくさんしようと思ったし、よろこんでもらえてとってもうれしかったです。またよろこんでもらえる事をしたいです。


小学生 努力賞 富士見台小学校4年 永田 航さん 「すごいね!がんばったね!」

「そうだ、おばあちゃんに千羽づるを折ってあげよう!」

 二年前のこと、東京都に住むおばあちゃんが病気になってしまって、ぼくはとても悲しかったのを覚えています。遠くに住むぼくが何か出来ることがあるのかと考えました。そこで、お母さんやお母さんのお兄ちゃんなど家族みんなで話し合って、いとこたちとみんなで千羽づるを折って、おばあちゃんを少しでも元気にさせてあげようということになりました。ぼくは、家族の力で病気をやっつける気持ちで一羽一羽折りました。

 ぼくは生まれる直前はおばあちゃんの家に住んでいました。ぼくは二〇一一年東日本大震災の一か月後に生まれたのですが、東日本大震災前後は大変な数ヶ月だったとお母さんから聞きました。おばあちゃんは、二才のぼくのお兄ちゃんの世話をしながら、あまり動けないお母さんの髪を洗ったりご飯を作ってくれたり全部やってくれたと聞いています。ぼくは、切ぱく早産という予定日よりも早く生まれてしまいそうな状態がずっと続いていたので、お母さんはおばあちゃんの家でずっと横になっていなければならなかったそうです。地震のあったその日も、横になっていたお母さんとおなかの中のぼくとお兄ちゃんを守るために、仕事先から自転車でかけつけてくれたみたいで、ぼくは覚えていないけれど、おばあちゃんはぼくが生まれる前から、ぼくに優しくしてくれた人です。

 「すごいね!がんばったね!」

と、ぼくが何をしてもいつもほめてくれた明るく優しいおばあちゃん。今度はぼくがこの千羽づるをわたして、元気になったおばあちゃんに同じ言葉を言ってあげたいと思いながらつるを折りました。

 そして、みんなで病院に行って、家族でがんばって折った千羽づるをおばあちゃんにわたしました。

「どうもありがとう。」

と、おばあちゃんは泣きながら言ってくれました。おばあちゃんはとてもうれしい気持ちなんだなと思いました。

 八人で四ヶ月かかって折った千羽づる。残念ながら、おばあちゃんはそれを受け取った十日後にお空にいってしまいました。おばあちゃんには会えないけれど、こんなコロナの中だけど、ぼくはお母さんのお手伝いや勉強を毎日がんばっています。お空から明るく優しいおばあちゃんのこんな声が聞こえてきている感じがします。

「すごいね!がんばったね!」


小学生 努力賞 松栄小学校5年 今井 彩乃さん 「フライパン事件」

「えっ?フライパンこがしちゃったの?」

 私が部活から帰って来たら、遊びに来た祖母が、買ったばかりのフライパンをこがしてしまったと母から聞いた。お米を使ったおせんべいを作ろうとして、こがしたらしい。祖母はすでに帰って行ったあとで、母はこげこげのフライパンにがっかりしていたが、私は、祖母はきっと、おなかを空かせた兄や私が帰って来た時に、食べられるようにと作ってくれようとしたのだと思った。

「おばあちゃんは、私たちのためにおせんべいを作ろうとしたの?」

と母に聞いた。すると、

「そうだと思うけど、おばあちゃんは、『自分のために作った』と言っていたよ。」

なぜ、祖母は自分のために作ったと母に言ったのだろう。母に聞いてみると、

「頼まれてもいないおやつを作ろうとして、買ったばかりのフライパンをこがしてしまい、余計なことをしたと思ったのかも。それに、いつもあなた達が、おばあちゃんの作った料理を美味しい!と言って食べてくれるから、失敗してしまって恥ずかしかったのかもね。」

私は母の話を聞いて、祖母が兄と私のために一生懸命おやつを作ってくれたことがとてもうれしく、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 祖母はとなりの県で一人ぐらしをしている。母が働いているので、私が小さいころは、よく手伝いに来て、一緒に遊んでくれた。最近はコロナの影響で、なかなか会えないけれど、毛糸の編み方を教えてくれたり、マスコットを作ってくれたりする。祖母が作ってくれる料理はとても美味しくて、特に、ジャガイモのガレットとチャーハンは、私のお気に入りだ。でも、最近、祖母はもの覚えが悪くなり、失敗も多い。忙しい母に、何度もスマホの使い方などを聞いているので、最近は、私が母に代わって、いろいろ教えてあげることが多くなった。

 失敗は誰だってする。フライパン事件で、祖母が落ち込んでいたら、かわいそうだなと思った。すると、祖母から、私のスマホに、メッセージが届いた。中にこう書いてあった。

「おばあちゃんの失敗、お母さんに聞いた?」私はこう返信した。

「フライパンをこがしちゃったんでしょ?私たちのためにおせんべいを作ってくれようとしたんだよね?ありがとう。フライパンをこがしちゃったのは気にしなくていいからね。失敗は誰にもあることだから。」

すると、

「ありがとう。やさしいね。やさしい孫に育ってくれて、うれしいです。」

ときた。私は心がほっこりした。私もやさしいおばあちゃんがいて幸せだよ。

 祖母は歳をとって、だんだんできないことが増えてきたが、その代わりに私はできることが多くなった。だから、今度は私が、祖母にいろいろしてあげたいと思う。

 大丈夫だよ、おばあちゃん。


中学生 最優秀賞 伊勢山中学校2年 矢木 蒔彩さん 「魔法の手」

 みなさんは「痛いの痛いの飛んでいけ。」をしてもらった事はありますか。小さい時、転んでけがをしてしまったり体をぶつけて、泣いてしまった時などにお母さんや保育園の先生、おばあちゃんなどたくさんの人に、「痛いの痛いのお空の向こうに飛んでいけ。」と空に飛ばしてもらった事をよく覚えています。

 私には3つ年の離れた弟がいるので、私が大きくなってからも我が家ではそんなおまじないが、行われていました。でも小学生になって、そんな事をされたら恥ずかしいし、こんなのただのおまじないなんだから、効くはずがない。そんな風に私は思っていました。

 私は生まれつき病気があったため、何度も手術をしています。初めて手術をしたのは、小学校五年生の時でした。お腹の手術をして麻酔が切れるとすごく痛くて、座ることもできないし、ただ寝てるだけでも痛くて悲しくなってしまいました。そんな時、付き添いで一緒に居てくれたお母さんが傷とは関係のない、腕や肩をさすってくれると不思議なことに少しだけ痛みが和らぎました。すると、お母さんが私に言いました。

「お母さんの手は魔法の手だよ。お母さんの手でさすると痛いのなんて、飛んでいくんだよ。」

と言いました。私は心の中で「そんなことがあるわけない。」と思いながらも、本当に痛みを和らげるお母さんの手はすごいなと感じていました。そして、夜中に痛い痛いと泣いている私をずっとさすってくれたお陰で悲しい気持ちがだいぶ落ち着きました。

 それから半年後。二回目の手術がありました。今度は右膝の手術です。前の時は痛かったので嫌だなと思っているとまたお母さんが

「大丈夫、大丈夫。お母さんの手は魔法の手だから、またずっとさすって痛みを飛ばしてあげるから。」

と言われました。

 手術が終わって、麻酔が切れるとやはり、手術したところはすごく痛くて、眠ることができませんでした。すると、お母さんが、

「魔法の手でさすってあげよう。」

と言って、足をさすってくれました。すると、さっきまで痛くて寝ることができなかったのに3分ぐらいで寝てしまいました。そしてまた、痛みで目が覚めてもお母さんがさすってくれるとまたすぐに寝てしまいました。「本当にお母さんの手は魔法の手  

だ。」と確信しました。

それから一年後、また右膝の手術です。でも、もう大丈夫。私には「魔法の手」を持つお母さんがついているから。きっと大丈夫。そしてまた来年最後の手術があります。

 お母さんの「痛いの痛いの飛んでいけ。」という言葉を信じているそんな中学生がいてもよくないですか。お母さんいつもありがとう。


中学生 優秀賞 笈瀬中学校2年 田村 樹奈さん 「一番の応援団」

 緊張と不安でいっぱいになる日。私には、そんな日に支えてくれる三人の大切な応援団がいる。生徒会役員や室長の選挙がある日の私の気持ちは不安定だ。自信、やる気、希望、緊張、不安や心配。様々な感情に襲われる。初めて副会長に立候補した時、応援団の存在が私を変え、強くしてくれた。

 チャレンジしてみたい。そう思い、副会長立候補を決断した。立候補届出用紙を記入していた私の気持ちは、やる気が半分、不安が半分でその不安は減るどころかどんどん増えていった。もう、諦めてしまおうか。その方が楽になるだろうか。悩んでいた私は母に相談した。

「せっかくならやってみたら。いい経験になると思うよ。」

 この一言で、挑戦せずに諦め、落ち込んでいた自分が情けなくなった。同時に、心を埋めつくしていた不安が小さくなるのを感じた。不安に負けて諦めていた私はもういない。私は強くなったのだ。その後、おとずれた運命の日。役員選挙があったその日は、今までにないほどの緊張で気持ちがすごく落ち込んでいた。家族を心配させてはいけない。落ち込む気持ちを顔に出さないよう心がけた。私の作り笑顔と異変に気がついたのだろうか。いつもと同じように、

「週末は美味しいものでも、みんなで食べようか。」

「樹奈らしく頑張れば大丈夫。」

「頑張ってね。ずっと応援してるから。いってらっしゃい。」

と、家族が声を掛けてくれた。三人とも、伝えることは三者三様でそれぞれ違う。だが、私に頑張ってほしいという気持ちに変わりはないだろう。私は、すごく嬉しかった。この応援を受けて実力をだしきり、後悔のない演説をすることができた。今、思えばあの時の家族の応援と励ましが私の力になったのだと思う。当選が発表された時、最初に浮かんだのは、家族の顔だった。感謝しかない家族に私はまだ、

「ありがとう。」

と伝えられていない。

 東京オリンピック、パラリンピックで世界中の人々が自国の選手を応援するように、家族も自分の家族を応援する。この関係を築けることは、大切で素晴らしいことだと実感した。私は、家族という応援団に応援され、時には私も応援団の一員として家族を応援する。家族はなによりも私の力になる一番の応援団だ。いままでもこれから先もかわることはない。伝えられていない感謝も必ず伝える。

中学生 努力賞 東陵中学校1年 山内 実桜さん 「大切な家族」

 家族の大切さを知っていますか?

 私は、父、母、私、妹の四人家族だ。父は単身赴任で県外に行っており、母も平日は仕事をしている。今は県外に住んでいる祖父母にもなかなか会えないので、休校中や、長期の休みには、妹と過ごすことが多くなった。二歳下の妹とはとても仲が良いが、二人だけで沢山一緒に居ると、時にはケンカをしたり、「妹なんて…」と気に入らないこともあった。

 そんな時、妹という存在の大切さに気付いた出来事があった。それは、私が風邪をひいて学校を休んだ日のこと。その日は両親が仕事で、妹も学校に行き、私は一人で家に居ることになった。しばらくは疲れてぐっすり眠っていたが、お昼前に目が覚めベッドから立ち上がろうとした瞬間、家があまりにも静かで、この家には私しかいないことを強く感じ、急に心細くなった。今までは一人で留守番することがあっても平気だったのに、この日はなぜか孤独を感じた。いつも一緒に食べているご飯は一人だといつものように美味しく感じなかったし、妹と一緒に笑いながら見ていたテレビは、一人だと面白いと思わなかった。妹がいないとこんなに静かでさみしいなんて…。今までは私が妹のお世話をしていると思っていたけれど、私も妹にたくさん助けてもらっていたんだと気付き、その存在の大切さを感じた。

 しばらくすると、仕事の合間に父と母が連絡をしてくれ、私は少しホッとして、また眠たくなった。ウトウトしていると妹が大急ぎで帰ってきた。「お姉ちゃん大丈夫?」息を切らしながら話すその言葉にとても嬉しくなった。そして母が仕事から帰ると、真っ先に私の体調を心配してくれた。「一人で大変だったけど、体調少し良くなったみたいだね。」と、私が何も言わなくても小さな変化に気付いてくれた。家族はいつも私のことを気にかけてくれているんだと心が元気になり、その日からはもっと家族に感謝して、当たり前のことのありがたさを感じようと思った。

 私はこの春から中学生になり、毎日勉強や部活、習い事でとても忙しくなった。疲れて家に帰ると、母が「今日大変だった?」と心配してくれ、嬉しいことがあった日には、「何か良いことがあったんでしょ。」と笑顔で聞いてくれる。顔を見ただけで私のことが分かるみたいだ。父はコロナウイルスの影響で毎週末は帰ってこれなくなったけど、毎朝テレビ電話をしてたくさん話をしてくれる。そして妹。私が帰ってくるといつも笑顔で「おかえり」と言って嬉しそうに待っていてくれる。一緒に遊ぶ時間は少なくなったけれど、妹と一緒だと楽しくて元気になる。

 家族はいつでも私の味方になってくれ、支えてくれる大切な存在。最近はつい、素直になれず反抗してしまうこともあるけど、本当はいつも感謝している。当たり前の日常がどれだけ幸せかを実感するのは難しいが、一日一日感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

中学生 努力賞 守山東中学校3年 若原 菜央さん 「私と父のメッセージ」

「お父さん、来月から単身赴任だって。」

 そのことを母から告げられたとき、私はとても嬉しかった。決して父のことが嫌いなわけではないが、ここ最近感じるよく分からない嫌悪感からだろう。実際、単身赴任前は起床時間をずらしてなるべく会わないようにしたり、会話も必要最低限にしていた。

 けれど、出発の日が近づいてくるにつれて嬉しかったはずの気持ちも少しずつ変化していった。赴任前に何度も自分から話しかけてみようとしたが照れ臭くてできなかった。

 そして、ついにその日が来た。赴任先へは車で片道三時間ほどかかるそうなので、父は朝早くに出発した。長い時間会えなくなる父に「行ってらっしゃい。」の一言も言えなかったことをその後とても後悔した。

 その日の夜、父のいない夕食は何だか味気なく、母と兄も浮かない表情だった。その時、私は初めて父の偉大さを感じた。話したくない、関わりたくないと思っていた父は私達家族にとって欠かせない存在だということを思い知ったのだ。

 そして気が付くと、私は父にメールをしていた。

「仕事頑張ってね。」

 普段、自分から連絡することはほとんどないのにその時はせめてメールでもいいから話したいと思った。会話は一言、二言だったが、その日から私は時々父と連絡を取り合うようになった。

「家の電子レンジが壊れたんだ。」

「修学旅行が延期になったよ。」

など今まで話さなかった日々を取り戻すかのように、たわいもない話や近況報告をした。

 そんなある日、母から来週父が帰ってくるという話を聞いた。今まで連絡を取り合っていたとはいえ、直接会って話せるか正直とても不安だった。

 けれど、実際に会ってみると思っていた以上に話すことができた。最初は少しぎこちなかった会話も、翌日には笑い合えるほどになっていた。

 きっとこれも今回の出来事がなければ難しかったことだろう。避け続けていた父との会話も、勇気を出すことで大切な時間へと変わった。一番身近な家族だからこそおろそかにしやすい会話や団欒の時間を大切にすることで、より良い家庭を築き続けていけるのではないかと思った。それは、大好きな父との出来事の中で深く知ることができた。そして、今は新型コロナウイルスの影響で暗い日々が続くけれど、家庭内で楽しく、明るい毎日を過ごし、この辛い時期を笑顔で乗り越えたいと思った。

中学生 努力賞 平針中学校3年 松原 愛奈さん 「家族とは何か」

 十五歳になる今、時々息が苦しくなるくらい悩み落ち込むことがある。受験生だからなのか、コロナ禍でいろんなことが制限されてしまっているからなのかはわからないけれど答えが見付からないような悩みや不安を抱えてしまう。

 「思春期」と呼ばれる年齢の今、周りの友達は「親と話すことが嫌だ」「家に帰りたくない」と口にすることがある。でも、私は違う。私の親は私が小さい頃から「どんなことがあっても家族はあなたの味方だよ。」と言ってくれる。この言葉が私にはお守りのような存在だ。同じように悩む友達にこの話をすると、結局はあまり耳を傾けてくれなくて、「どうせムリ」という結論を自分で作ってしまって、SNSやゲームの世界にいくと。でも、私の家族は違う。特に「どうせムリ」と言う言葉は嫌いと言う。「こうしてみたら」と言ってくれる。コロナ禍でしたいことができなくなって、「どうせムリだから」と言ってしまう自分に対しても、収まった時にいつでもスタートできるように今からやりたいことをたくさん書いたら?と言う。父も、この一年で、出張に制限がかかったり、在宅での仕事になり、家に居る時間が増えた。きっとうまく進まない仕事のストレスもあると思うけれど、「子供たちの朝や帰って来た時の様子を見れて、在宅ワークも良いよ。」と言っていた。一見、マイナスのように思えたり、無理難題なことと思うことを、私の家族はプラスに考える天才だとさえ思う。そうすることによって、私自身も気持ちが楽になったり、前向きになることができる。友達にこんな話をしたら、ポジティブ思考過ぎる。と笑われてしまうかもしれない。でも家族なら笑わない。私が生まれた瞬間から味方でいてくれる。正してくれる。認めてくれる。時には叱ってくれる。自分のために泣いてくれる。他人には笑われてしまうような夢の話をしても、笑わず聞いてくれる。「叶ったらお客さんとしていくからね。」と夢の先の話まで楽しく話してくれる。否定せずに話を聞いてもらえることは、私自身も気持ちが楽になる。「話せる場所」「聞いてもらえる場所」こそが、私の理想とする「家庭」だと思う。そうしていると自然と気付くことがある。家族の誰かが元気がないとすぐに察知できる。私達が聞き役になることも時々ある。十五歳の私には大したアドバイスなんてできないけれど、母は気持ちが楽になったよ。と笑ってくれる。そんな時私はちょっと誇らしい気分になれて嬉しい。時に隠しておきたいような悩みもあるけれど、生まれた瞬間から味方でいてくれる私の家族。たくさん泣いて悲しさは四等分して、楽しい時は皆で共有して四倍にしよう。こんな私の家族は居心地が良くて私は好きだ。

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