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令和3年度被災地支援リポート ‐陸前高田市‐ 3月分の記事

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このページを印刷する最終更新日:2022年3月11日

ページID:151026

令和3年度被災地支援リポート‐陸前高田市‐

令和4年3月7日(月曜日)

 みなさん、こんにちは。建設部都市計画課に派遣されている職員です。陸前高田市に派遣されてから3年が経とうとしています。私がリポートを書くのもこれが最後となります。さて、私は、現在復興土地区画整理事業を担当しています。陸前高田市では、高田地区と今泉地区の二つの地区で復興土地区画整理事業を行っています。事業の進捗状況ですが、今泉地区では令和3年11月12日に、高田地区では令和4年1月14日に岩手県知事から換地処分の公告がされ、大きな節目を迎えることができました。現在、両地区とも清算金の徴収交付に向けた準備を進めています。高田地区および今泉地区の復興土地区画整理事業の概要は次の表のとおりです。

復興土地区画整理事業の概要
地区名高田地区今泉地区
施行面積約186.1ha(高台部 45.1ha、かさ上げ部 87.0ha、平地部54.0ha)約112.4ha(高台部 60.2ha、かさ上げ部38.1ha、平地部 14.1ha)
施行期間平成24年9月26日から令和8年3月31日(清算期間5年を含む)平成24年9月26日から令和8年3月31日(清算期間5年を含む)
事業費766.3億円891.1億円
陸前高田市の土地利用計画図

土地利用計画図

 次の写真が、高田地区の中心市街地の工事中および現在の様子を撮影した写真です。

中心市街地の工事中の様子

中心市街地の工事中の様子(2015年12月28日撮影)

中心市街地の工事中の様子

中心市街地の工事中の様子(2017年8月24日撮影)

中心市街地の現在の様子。徐々に復興が進んでいる。

中心市街地の現在の様子

 次の写真が、今泉地区の高台の工事中および現在の様子を撮影した写真です。

高台の工事中の様子

高台の工事中の様子(2017年5月29日撮影)

高台の現在の様子。徐々に復興が進んでいる。

高台の現在の様子

 陸前高田市では、東日本大震災の記憶の風化を防ぎ、後世に教訓を伝承していくために、被災した建物等を「震災遺構」として保存しています。

  「建物内で犠牲者がでていないこと」「復興まちづくりに支障がないこと」などを前提に検討した結果、「気仙中学校」、「奇跡の一本松・陸前高田ユースホステル」、「タピック45(旧道の駅高田松原)」、「下宿定住促進住宅」を震災遺構として保存することとしました。

震災遺構の位置図。震災以降の位置が示されている。

震災遺構の位置図

気仙中学校

 日頃の訓練により震災時一人の犠牲者も出さなかったことから「防災教育の重要性を伝える震災遺構」として保存した施設です。

 公園ガイドの案内により内部の見学ができるようになっています。


  • 概要

気仙中学校は、今泉地区および長部地区の生徒が通う中学校でした。

 気仙川の河口付近にあり、3階建ての校舎東側からは、気仙川越しに高田松原、

広田湾、さらに氷上山などの山々の雄大な眺めを楽しむことができました。


  • 建物概要

 構 造:鉄筋コンクリート3階建

 延床面積:2,508平方メートル

 高 さ:約12m

 竣  工:昭和56年


  • 被災状況

 市内でもかなり早い段階で津波が到達した場所で、津波が気仙川の堤防を越えてからわずか数分で校舎3階近くまで達しました。堅牢な構造であったため、建物本体に大きな損傷はありませんでしたが、津波の圧力でバルコニーの腰壁は軒並み折れ曲がっています。また、津波の水流によって、建物基礎周辺がえぐりとられた箇所があります。なお、震災当時中学校にいた生徒たちは、日ごろの防災教育の成果を発揮し、津波到達前に全員避難し無事でした。

被災前の「気仙中学校」。津波の被害を受ける前。

被災前の「気仙中学校」

被災した「気仙中学校」。津波の被害を受けた後。

被災した「気仙中学校」

建物基礎周辺がえぐりとられている。

建物基礎周辺がえぐりとられた箇所

津波の到達点を示す看板。」T.P.14.2mとなっている。

津波の到達点を示す看板

音楽教室の被災状況。瓦礫と化している。

音楽教室の被災状況

奇跡の一本松およびユースホステル

 高田松原の約7万本の松林の中で、津波に耐え奇跡的に残ったが一本の松、大津波に耐え抜いたその姿から「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興への「希望の象徴」となった松です。樹齢173年、高さ27.5m、幹の直径90cmもある「奇跡の一本松」は2012年5月に枯死が確認されましたが、「復興のシンボル」として後世に受け継ぐために、2013年7月にモニュメントとして昔と同じ場所に保存整備されました。奇跡の一本松は、陸前高田ユースホステルの建物があったため、残ることができたとも言われています。

 陸前高田ユースホステルは髙田松原の中にあった宿泊施設として、青少年等を中心に親しまれていました。玄関ホールを中心に左右に客室が伸びた美しい建物でした。

  • 建物の概要

構 造:鉄筋コンクリート2階建

延床面積:698平方メートル

竣 工:昭和44年

  • 被災状況

 建物は津波によって完全に水没しました。  また、砂地であった地盤が津波で大きくえぐられたため、建物の東半分が折れ曲がるように破壊されました。震災当時は、休業中であったため施設は無人でした。

被災前の「奇跡の一本松」。松原のなかに大きな松が立っている。

被災前の「奇跡の一本松」

被災直後の「奇跡の一本松」

被災直後の「奇跡の一本松」(2011年4月3日撮影)

現在の「陸前高田ユースホステルと奇跡の一本松」。ユースホステルの奥に奇跡の一本松が立っている。

現在の「陸前高田ユースホステルと奇跡の一本松」

タピック45

 破壊された建物内部の壁により、「津波の威力を後世に伝える震災遺構」として保存した施設です。公園ガイドの案内により内部の見学ができるようになっています。

  • 概要

  国道45号沿いに整備された4haを超える敷地面積を誇る東北地方随一の道の駅(岩県道の駅第2号)でした。「タピック45」は、道の駅のシンボル施設として平成3年に建設されたものです。特徴的な三角形の外観は、津波避難施設として海側からの登りやすさを考えた設計になっていました。

  • 建物の概要

構 造:鉄筋コンクリート

延床面積:1,345平方メートル

高 さ:約19m

  • 被災状況

 津波の直撃を受け、その高さは14.5mに達しましたが、浸水を免れた施設上部に登り、難を逃れた方も3人いました。 津波避難施設としての堅牢な構造を有していたため、建物本体の外観に大きな損傷はなかったものの、津波の圧力を受けた内部の壁面は大きく損傷を受けました。

被災前の「タピック45」。津波の被害をまだ受けていない。

被災前の「タピック45」

被災した「タピック45」。階段状の構造となっている。

被災した「タピック45」

津波の到達点を示す看板。

津波の到達点を示す看板

内部の被災状況。激しく損傷している。

内部の被災状況

下宿定住促進住宅

 「津波の到達した高さを示す震災遺構」として保存した施設です。屋上階の5階部分だけベランダのパネルが残存しています。

  • 概要

 国道45号沿いに位置した市営住宅で、高田松原や古川沼、大規模商業施設に近接した環境にありました。

  • 建物の概要

構 造:鉄筋コンクリート5階建

延床面積:2,372平方メートル

高 さ:約14m

竣 工:昭和56年

  • 被災状況

 津波は4階を完全に水没させ、最上階(5階)の床上に達しました。その状況は、海側のベランダに設置されていた化粧パネルや窓が4階まですべて破壊されている状況からよくわかります。

被災した「下宿定住促進住宅」。4階までは激しく損傷している。

被災した「下宿定住促進住宅」

津波の到達点を示す看板。T.P.14.5mまで津波が到達している。

津波の到達点を示す看板。

室内の被災状況。激しく損傷している。

室内の被災状況

 髙田松原津波復興祈念公園内の東日本大震災遺構などを案内するパークガイド事業(有料)は、陸前高田市が、震災の教育伝承や市の魅力発信を目的に陸前高田市観光物産協会に委託し行われています。

 復興のシンボル「奇跡の一本松」、「気仙中学校」や「タピック45」などの施設を利用される方の要望に応じて案内しています。昨年6月の本格運用から本年1月末までに、修学旅行や復興教育の一環として利用されるなど、約6,000人の方が訪れています。

 陸前高田市へ訪れる際は、ぜひ見学していただきたい場所の一つです。

このページの作成担当

防災危機管理局 危機対策課広域連携担当

電話番号

:052-972-3584

ファックス番号

:052-962-4030

電子メールアドレス

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