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熱田神宮裁断橋コース

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このページを印刷する最終更新日:2021年12月3日

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ページの概要:熱田神宮裁断橋コース

熱田神宮裁断橋コース地図

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名鉄「神宮前」駅⇒1.熱田神宮⇒2.蔵福寺(ぞうふくじ)⇒3.林桐葉(はやしとうよう)宅跡⇒4.円通寺(えんつうじ)⇒5.正覚寺⇒6.鈴之御前社(れいのみまえしゃ)(鈴の宮(れいのみや))⇒7.徳川家康幼時幽居跡⇒8.都々逸(どどいつ)発祥の地碑⇒9.裁断橋・姥堂(さいだんばし・うばどう)⇒10.神明社(しんめいしゃ)⇒地下鉄「伝馬町」駅

1.熱田神宮

 三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀ったのが神宮の起源で、社が鎮座されたのは景行天皇の末年頃(2世紀初め)とされる。古くから「熱田さん」と呼ばれ、6月5日の熱田まつり(尚武(しょうぶ)祭)で親しまれている。本宮、拝殿、神楽殿などのほか、別宮の八剣宮、摂社の上知我麻神社など、境内には摂社8、末社18が鎮座。歴史的建造物として、清雪門、西楽所、龍影閣、信長塀、佐久間灯籠、二十五丁橋などがある。宝物館には、刀剣、鏡など6,000余点があり、公開されている。

2.蔵福寺(ぞうふくじ)

 浄土宗西山禅林寺派、山号は宝亀山(ほうきざん)。延宝4年(1676)、当初は市民の生活のため、後には七里の渡し航行のためにも使われた、時を告げる鐘を設置。鐘楼は戦災で焼失したが、鐘は残る。

3.林桐葉(はやしとうよう)宅跡

 桐葉七左衛門は、芭蕉の友人であり門人。芭蕉は、貞享元年(1684)「野ざらし紀行」の旅以降、たびたび熱田を訪れ、桐葉宅で句会を開いた。また、桐葉は臨高の号をもち、書の大家でもあった。

4.円通寺(えんつうじ)

 曹洞宗、山号は補陀山(ほださん)。尾張氏が熱田社内に神宮寺として建立し、弘仁年間(810から824)弘法大師が自刻の十一面観音像を安置し、円通寺と命名したといわれる。通称秋葉山といい、毎年12月16日の火渡り神事は有名。

5.正覚寺(しょうかくじ)

 西山浄土宗、山号は亀足山(きそくざん)。永享6年(1434)融伝上人の創建。曼陀羅寺・祐福寺とともに尾張三檀林の一つ。

6.鈴之御前社(れいのみまえしゃ)(鈴の宮(れいのみや))

 もとは、精進川(しょうじんがわ)の西側にあったが戦後現在地に移転。熱田社に参詣の人々のみそぎの場。7月31日の「茅の輪(ちのわ)くぐり」の神事は有名。

7.徳川家康幼時幽居跡

 天文16年(1547)、家康が竹干代と呼ばれた6歳のとき、岡崎から駿河の今川氏へ人質に出されたが、戸田康光により織田信秀へ送られた。家康は加藤図書助(かとうずしょのすけ)に預けられ、2年程幽居した。建物は戦災によってすべて焼失した。

※徳川家康幼時幽居跡について、現地にあった碑及び教育委員会の標札は、令和3年10月に撤去されました。

8.都々逸(どどいつ)発祥の地碑

 寛政12年(1800)開店した鶏飯屋という茶屋に、お亀とお仲という美声の女子衆がいた。「ドドイツ・ドイドイ」の囃子の潮来節に似た節回しの歌で評判を得たという。「殿々逸節根元集」により発祥の地といわれる。

9.裁断橋・姥堂(さいだんばし・うばどう)

 小田原の合戦の際、18歳で病死した堀尾金助の供養のため、母が願いをこめて.東海道筋に架け替えたといわれる裁断橋の擬宝珠(ぎぼし)(市指定文化財)に刻んだ碑文が有名。2階が「オンバコさん」を祀った姥堂。擬宝珠は名古屋市博物館に保管。

10.神明社(しんめいしゃ)

 かつては天道社といい「おてんとうさん」(太陽)を祀る庶民の神様だった。文禄5年(1596)の銘のある「お日待碑」がご神体。現在は、社殿の下に埋められている。境内に知多街道の道標がある。

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