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高蔵夜寒の里コース

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このページを印刷する最終更新日:2021年4月14日

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ページの概要:高蔵夜寒の里コース

高蔵夜寒の里コース地図
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金山総合駅⇒1.観聴寺(かんちょうじ)⇒2.金山(かなやま)神社⇒3.佐屋(さや)街道道標⇒4.住吉(すみよし)神社⇒5.妙安寺(みょうあんじ)⇒6.一(いち)の鳥居跡⇒7.畑中(はたなか)地蔵⇒8.高蔵(たかくら)貝塚・古墳群⇒9.高座結御子(たかくらむすびみこ)神社⇒10.夜寒(よさむ)の里碑⇒11.春養寺(しゅんようじ)⇒地下鉄「神宮西」駅

1.観聴寺(かんちょうじ)

西山浄土宗、山号は大悲山(だいひざん)。元和年間(1615から1624)正覚寺(しょうかくじ)十六世空山存宅(くうざんぞんたく)が開基したとされる。本尊は十一面観世音菩薩像である。室町期の鋳鉄地蔵菩薩立像(県指定文化財)や月待(つきまち)供養碑(市指定文化財)がある。月待信仰は室町から江戸期にかけて盛んであった。

2.金山(かなやま)神社

承和年間(834から848)神宮鍛冶職尾崎彦四郎の祖である善光が、屋敷内に勧請したことに始まり、尾張鍛冶の発祥の地といわれる。大祭は、11月8日のふいご祭。

3.佐屋(さや)街道道標

文政4年(1821)佐屋宿の旅籠連中が建立。佐屋街道は、東海道の宮から桑名までの海路「七里の渡し船」を避け、陸路で岩塚を経て佐屋に至り、佐屋宿からは木曽川を下り桑名に至る。

4.住吉(すみよし)神社

享保9年(1724)に、摂津の住吉の神を勧請し創建した。境内に、名古屋の代表的俳人、圃暁(ほぎょう)、暁台(きょうたい)、士朗(しろう)の句を一石に刻んだ句碑(三吟塚)がある。

5.妙安寺(みょうあんじ)

臨済宗妙心寺派、山号は富春山(ふしゅんざん)。通称「沢の観音」。本尊の聖観音像は宋の古銭で作られたといわれる。その昔、境内から南西への眺望は絶景で文人墨客が往来した。境内には、芭蕉、士朗、岳輅(がくろ)らの句碑がある。

6.一(いち)の鳥居跡

熱田神宮の北の入口を示す朱塗りの大鳥居が建っていた。

7.畑中(はたなか)地蔵

かつてこのあたりは畑一面の地であった。地蔵は三角錘形の自然石(花崗岩)で、「おこり」(熱病)を病む人が祈れば治ると伝えられた。東側に隣接して「七はしくやう(供養)」碑がある。

8.高蔵(たかくら)貝塚・古墳群

貝塚は弥生時代後期のもので、沢上から高蔵にかけ10か所以上で小貝塚や土器片が発見された。宮廷式土器の華麗な丹塗り壺(重要文化財)や、当時馬がいたことを示す馬の骨が出土した。古墳は高座結御子神社とその周辺に十数基散在していた。

9.高座結御子(たかくらむすびみこ)神社

熱田神宮の摂社で承和2年(835)の創建とされる。俗に高蔵神社と呼ぶ。現在の祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)。子育ての神として知られ、6月1日の大祭は「井戸のぞき」で賑わう。境内の井戸をのぞくと子どもの虫封じになるという。

10.夜寒(よさむ)の里碑

その昔閑静で眺望のよい別荘地とされた。古地誌『厚覧草(あつみぐさ)』に夜寒の里と記されている。碑は歌人磯部芦丸(号千舟)が自宅地内に建てたもの。

11.春養寺(しゅんようじ)

曹洞宗、山号は亀丘山(ききゅうざん)。文政3年(1820)創建。本堂前の線彫地蔵は、室町時代後期の作と推定される。境内には馬頭観世音菩薩像がある。

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