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名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室

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このページを印刷する最終更新日:2019年7月20日

ページの概要:パネル展「清正の城」を開催しています。

特別展示室 

特集展示「平成と城」 

7月20日(土曜日)から9月1日(日曜日)
戦国時代、数千、数万の単位で築かれていた城。
しかし、現在天守の残る城は12城しかありません。
戦火や破壊という人の行為によって、天守や櫓、御殿、門などの城の建物は次々に失われ、縄張も多くは破壊されました。
現存する天守や城域は、なんらかの奇跡と偶然、そして関係者の努力の賜物に他なりません。
今回は、近現代における城の破壊の歴史をふりかえり、これからの保存について考えます。

佐倉城の写真

佐倉城本丸

佐倉城  
  
千葉県佐倉愛市城内町
下総(千葉県)の佐倉城は、広大な佐倉城址公園の森の中に陸軍遺跡が点在し、総曲輪に国立博物館が屹立するという特異な城跡として知られている。
江戸期の佐倉城は、11万石という中藩の正庁で、江戸城東方を守る重要な城であった。
幕府重臣堀田氏が幕末まで領したが、明治4年3月、「城が大破し修理費は高いので、今後修理せず破壊にまかせ取り壊したい」という願いを佐倉藩から明治新政府に提出し、許可された(「佐倉藩城郭破所ヲ修メサルヲ禀ス 」・「太政類典」第一編第百七巻)。
明治6年、「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」という陸軍省あて太政官達(いわゆる廃城令)により、佐倉城は存城に仕分けされた。
存城とは、「保存すべき城」 ではなく「陸軍省の利用のため管轄下に置く城」(「陸軍大日記」)の意味であり、佐倉城には第一軍管第二師管営所が置かれ、兵営設置のため旧城郭の建物が撤去された。
第二次世界大戦時、城内には歩兵第五十七連隊(佐倉連隊)の兵営が林立していた。
終戦後の昭和45年、明治百周年記念事業として国立歴史民俗博物館が城跡に建設されることになり、兵舎類は解体された。
佐倉城の遺構として本丸・二の丸、南出丸などの曲輪跡、天守跡、馬出空堀などの遺構があるが、大半は陸軍期に整地・攪乱されている。
 

佐倉城の跳下台の写真

佐倉城姥ケ池の跳下台

姥が池と呼ばれる沼のほとりに、頑強なコンクリート製の階段がある。
12階段として知られるが、正規には跳下台といい、日本陸軍の正規の訓練用具である。
もとはフランスの器械体操用具であった。
兵士たちは、跳下台の裏からはしごで登り、一番上から階段側に飛び降りなければならなかった。

 本佐倉城

 陸軍施設が林立し城郭遺構が破壊された佐倉城に対し、数キロ離れた丘陵に所在する本佐倉城跡は、今も大半の縄張が良好に残っている。
本佐倉城は、中世の下総の土豪千葉氏の居城。千葉氏は天正18年(1590)、秀吉の関東制覇により北条氏とともに滅亡し、本佐倉城は廃された。
丘陵にある城郭中止部は放置されたため破壊されず、 発掘調査を経て平成10年、千葉県内最初の国指定史跡となった。
主殿、会所、庭園の跡が主廓から出土し、土塁や堀も明瞭である。

本佐倉城の写真

本佐倉城跡 

「武家文書の世界」コーナーでは、「秀吉と城 2」関係の資料を展示しています。

次回予告

特別陳列「秀吉清正記念館 秘蔵の逸品」 

10月12日(土曜日)から12月15日(日曜日)  
秀吉・清正の生誕地に設置された秀吉清正記念館は、二武将を記念する日本で唯一の博物館として多くの資料を所蔵しています。
今回は、今まで展示する機会があまりなかった資料を一堂に公開します。お楽しみに!

このページの作成担当

教育委員会事務局 秀吉清正記念館
電話番号: 052-411-0035
ファックス番号: 052-411-9987
電子メールアドレス: a4110035@kyoiku.city.nagoya.lg.jp
郵便番号:453-0053
住所:名古屋市中村区中村町茶ノ木25

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