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名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室

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このページを印刷する最終更新日:2016年5月17日

ページの概要:パネル展「福島正則」を開催中。6月30日(木曜日)まで。

特別展示室 

パネル展「福島正則」

5月17日(火曜日)から6月30日(木曜日)まで

福島正則は、永禄4年(1561)、尾張国海東郡で生まれました。母は豊臣秀吉の叔母と伝えられ、秀吉とはいとこの関係になります。ただし秀吉は正則より24歳年上で、すでに信長家臣として頭角を現していました。正則は秀吉に仕え、子飼いの武将として数々の戦いで秀吉を補佐しました。

秀吉没後は石田三成と対立し、関ヶ原の戦いでは豊臣家ではなく徳川家康につきました。その功により広島城を与えられましたが、数年で信州高井野に改易され、その地で没します。

正則は無骨な武者として知られ、晩年の不遇もその強硬な言動に一因があったとされていますが、社寺の修復をしばしば行っています。今回は、文化人的な側面に着目しつつ正則の生涯を振り返ります。

現在の堀川

現在の堀川(納屋橋付近)

正則は、家康の命により加藤清正らとともに名古屋城の石垣を築きました。築城資材を運ぶための水路も掘っています。今の堀川であり、堀川はかつて正則の官職名から大夫堀と呼ばれていました。

正則出生地碑

正則出生地碑

正則が生まれたとされるあま市二ッ寺に建つ正則出生地の碑。近くには正則の菩提寺菊泉院や、正則が修復したと伝えられる二ツ寺神明社があります。

「秀吉文書の世界」

秀吉文書を1点展示し、背景などを詳しく紹介するコーナーです。

学校団体見学時などご覧いただけない場合がありますので、ご了承ください。

次回予告

夏休み特集展示「真田幸村」

7月9日(土曜日)から9月4日(日曜日)まで

真田幸村はじめ真田家の面々は、尾張とも関係がありました。真田一族の命運を考察します。 

信州川中島百勇将戦之内 真田昌幸

信州川中島百勇将戦之内 真田昌幸

江戸時代後期 歌川国芳画  名古屋市博物館蔵 

高木繁コレクション

このページの作成担当

教育委員会事務局 秀吉清正記念館
電話番号: 052-411-0035
ファックス番号: 052-411-9987
電子メールアドレス: a4110035@kyoiku.city.nagoya.lg.jp
郵便番号:453-0053
住所:名古屋市中村区中村町茶ノ木25

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