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名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室

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このページを印刷する最終更新日:2018年3月15日

ページの概要:特集展示「秀吉の家臣たち」  3月17日(土曜日)から5月6日(日曜日)まで 

特別展示室 

特集展示「秀吉の家臣たち」    

 3月17日(土曜日)から5月6日(日曜日)まで 

豊臣秀吉は、天文6年(1537)、尾張の中村で生まれました。
20歳の頃、秀吉よりわずかに年長ながら尾張の有力武家織田家の当主として周辺を席捲しつつあった信長に仕え、その美濃・伊勢・近江侵攻に大きな役割を果たしました。
天正元年(1573)、小谷城の浅井氏を滅亡させた功により近江長浜を与えられ、一国の城主として自身の家臣団を形成していきます。
天正10年(1582)、本能寺の変が起こり、信長は家臣の明智光秀に暗殺されました。
備中高松でそれを知った秀吉は、他将に先んじて光秀軍と対決し、山崎の地で光秀を倒します。
これを契機として、信長の家臣を吸収し、引き続き北陸、四国、九州、関東各地の領主を倒しました。
彼らの配下を従属させることにより、秀吉は、短期間のうちに膨大な家臣を抱えました。
最晩年に朝鮮に出兵したとき、拠点とした肥前の名護屋に全国から終結させた兵は、30万人にのぼったといわれています。
今回は、家臣に焦点をあてて秀吉の生涯を振り返ります。

主な展示資料

木下秀吉等連署状

木下秀吉等連署状
 室町時代後期 永禄11年(1568)6月10日付
 兼松家資料 名古屋市指定文化財 名古屋市秀吉清正記念館蔵


永禄11年(1568)という、現存する秀吉書状のうち最も早い時期のもの。
木下藤吉郞と名乗り信長に仕えていた秀吉が、丹羽長秀、村井貞勝、島田秀頼、明院良政の信長四奉行と連名で、斎藤道三の家臣であった伏屋氏と一色氏が所有していた河野島(現各務原市川島町)の土地計30貫文を、兼松正吉と佐々平太に与えるもの。
本書状発給の前年、信長は美濃の井口城から道三を追放し、岐阜に改称して移住しており、この美濃制覇にともない斎藤氏の土地が信長家臣に分配されたのである。
本書状の14年後の天正10年(1582)、本能寺の変が起こり、四奉行のうち村井貞勝は信長とともに明智光秀に倒されたが、丹羽長秀は秀吉に与しその配下となった。


賤ヶ岳七本鎗図 しずがたけしちほんやりず

賤ヶ岳七本鎗図
 江戸時代後期 名古屋市秀吉清正記念館蔵

本能寺変の後、秀吉は大徳寺で信長葬儀を盛大に行い、秀吉こそ信長の実質的な後継者であると周囲に知らしめた。
翌天正11年4月、近江の賤ヶ岳で宿敵柴田勝家と対決し、勝家は敗走し北ノ庄城で自刃する。
この合戦で活躍したとされる秀吉近臣七人が、いわゆる賤ヶ岳七本槍である。
賤ケ岳での武勇を秀吉がほめ加増した家臣は、九人にのぼる。しかし、秀吉没後に編まれた伝記や軍記物の中で七人の武勇が誇張され、さらに伝記物語『絵本太閤記』で挿絵とともに詳述されることにより、「賤ケ岳七本槍」として固定化した。
本図は、『絵本太閤記』の挿絵七枚分を風景の中にはめ込み、縦長画面におさめたもの。文字は一切記されていないが、当時の人々は、七人が誰とどう戦ったのかを知っており、あたかも絵解きするように本図を楽しんだのであろう。

豊臣秀吉自筆覚書

豊臣秀吉自筆覚書
 桃山時代 文禄元年(天正20年・1592)11月16日朝付 
 木下家資料 名古屋市指定文化財 名古屋市秀吉清正記念館蔵

 

天正13年(1585)、関白に任官した秀吉は、朝鮮・中国の制圧を次の目標に掲げた。
文禄元年(1592)4月、小西行長らが率いる第一陣が、朝鮮半島に上陸した。7年に及ぶ文禄・慶長の役の勃発である。
肥前国の名護屋(現佐賀県)が、朝鮮出兵の拠点に選ばれ、わずか半年で天守や秀吉本営、諸大名の陣所が築かれた。
茶室や能舞台も順次整備され、柱は竹尽くしで障子には秀吉自詠の和歌が記されていたという茶室が、文禄元年11月に完成し、14日から17日にかけて座敷開きとして大規模な茶会が開かれた。
本資料は、16日分の客組を秀吉自身が記したものと考えられている。織田有楽斎や茶頭が茶を点て、上杉景勝、直江兼継、伊達政宗、佐竹義重ら多数の武将が客として招かれたことがわかる。
秀吉愛玩の茶器や掛軸が飾られたことも知られており、名品を惜しげもなく用いた茶会は、家臣の心をつかむ手段の一つであった。

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次回予告

パネル展「武将たちの眠る場所」

5月15日(火曜日)から7月16日(月曜日・祝日)まで
秀吉、清正、家康ら武将の墓所は、菩提寺だけでなく、意外な場所に設けられています。
各地に散らばる墓所や位牌所をたどります。

会期中、6月30日(土曜日)から7月6日(金曜日) まで、館内整理のため臨時休館いたします。
ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承くださいますようお願いいたします。   


「秀吉文書の世界」

秀吉が出した文書を1点展示し、内容や背景を探るコーナーです。
次回の展示は、5月15日(火曜日)からです。

このページの作成担当

教育委員会事務局 秀吉清正記念館
電話番号: 052-411-0035
ファックス番号: 052-411-9987
電子メールアドレス: a4110035@kyoiku.city.nagoya.lg.jp
郵便番号:453-0053
住所:名古屋市中村区中村町茶ノ木25

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