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名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室

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このページを印刷する最終更新日:2016年11月29日

ページの概要:特集展示「戦国の城 美濃編」平成29年2月19日(日曜日)まで

特別展示室 

パネル展「戦国の城 美濃編」

11月29日(火曜日)から平成29年2月19日(日曜日)まで

山や川、平野が複雑に入り組んだ美濃の地は、交通の要衝であり、美濃を制する者は天下を制すとも言われました。古くから多くの土豪が居を構え、戦国時代には土岐氏、斎藤氏らが熾烈な戦いを繰り返しました。
尾張出身の織田信長は、この地に城を構え全国制覇への拠点としました。若き日の秀吉も信長に従い美濃を駈けていました。
美濃の城の多くは、戦乱が繰り返されるなかで廃虚となりました。しかし、その跡は各所に残り、加納城跡など国により史跡として指定されているものもあります。今回は、美濃にのこる城跡のいくつかを訪ねます。

 

鷺山城跡

鷺山城跡

鷺山は、金華山から3km弱北西にある標高68mの小山であるが、周囲が平地であるためよく目立つ。鎌倉時代、山頂に佐竹氏が築城したのが鷺山城の始まりとされる。室町時代の14世紀半ば、美濃国守護の土岐氏により革手城(川手城)の支城とされ、永正6年(1509)、美濃守護所が置かれた。大永5年(1525)には土岐頼芸が支配したが、天文11年(1542年)に斎藤道三により頼芸は追われた。天文17年(1548)に道三が家督を子の義龍に譲ったのちは鷺山城が道三の隠居所となった。なお道三の娘濃姫は、鷺山から織田信長に嫁いだため鷺山殿と呼ばれたという。道三は、弘治2年(1556)義龍により長良川の戦いで滅ぼされ、鷺山城は廃城となった。昭和30年代には山の南斜面が一部土砂採取され平坦面となっている。狭い頂上に石碑が建てられ、直下には古い堂がある。

黒野城跡

黒野城跡

黒野城は、岐阜城から約8km北東の地にあった平城。初代城主は秀吉家臣の黒野貞泰。貞泰の父光泰は秀吉から甲斐国24万石を与えられていたが、文禄2年(1595)の光泰病没後貞泰は美濃黒野4万石に削封され、同4年、本丸、二の丸、三の丸と三重の堀を有する黒野城を築いた。関ヶ原合戦において貞泰は岐阜城主織田秀信ではなく家康についたため、戦後も黒野城を安堵されたが、慶長15年(1610)、伯耆米子藩へ移封された。旧領地は加納奥平氏領となり黒野城は廃された。
現在、本丸跡は岐阜市史跡に指定され黒野城跡公園として整備されている。本丸は、江戸期の図面によれば約1km四方の方形で、北西と南東に隅櫓があった。高さ約6mの土塁に囲まれていたが、現在堀は堆積により浅くなっている。また南側土塁は昭和に造成されたもので、勾配や位置が変わっている。発掘調査により石垣列、瓦破片が出土した。

「秀吉文書の世界」

戦国武将が出した文書を1点展示し、背景などを詳しく紹介するコーナーです。
今回は、「森半三郎宛 秀吉朱印状」(天正18年9月7日付)を紹介します。

次回予告

特集展示「ねねと秀吉」

平成29年2月21日(火曜日)から4月16日(日曜日)まで
秀吉の正室高台院(おね・ねね)の実家木下家の資料を中心に、その足跡を展示します。

高台院画像

高台院画像  秀吉清正記念館蔵

このページの作成担当

教育委員会事務局 秀吉清正記念館
電話番号: 052-411-0035
ファックス番号: 052-411-9987
電子メールアドレス: a4110035@kyoiku.city.nagoya.lg.jp
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