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名古屋市秀吉清正記念館 特別展示室

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このページを印刷する最終更新日:2019年4月26日

ページの概要:パネル展「清正の城」を開催しています。

特別展示室 

パネル展「秀吉と城 2」 

4月27日(土曜日)から7月15日(月曜日・祝日)
秀吉は、大坂城、聚楽第、伏見城など壮麗な城郭を次々に建築した。
その一方で、戦のたびに膨大な数の砦を各地に築き、勝ち取った城には配下の武将に修築させて守らせた。
その数はまさに数え切れないが、本展では、「秀吉と城1」(開催終了)に引き続き、秀吉後半生の築城の一端を紹介する。
なお秀吉は、城、取出(砦)、要害などの言葉を用いている。
ここでは大規模と思われる建物を城、小規模建物を砦と仮称する。

山崎城 
 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎
天正10年(1582) 6月2日早朝、信長は本能寺で明智光秀によって倒された。
秀吉は備中高松城を水攻めにより包囲していたが、信長横死を知り、急いで東に引き返し(中国大返し)、6月8日、京都西南の山崎の地で光秀と激突した。
光秀は逃亡し、首を奪われた。いわゆる天王山の戦いである。
合戦後の6月27日に清洲城で開かれた会議により。秀吉は居城長浜城を柴田勝家へ譲り、7月には山崎山に城を築きはじめた。
山崎の地は、西を山崎山(通称天王山・標高270m)、東を男山ではさまれた細長い平地で、桂川・宇治川・木津川が合流する水陸の要所である。
2年後の天正12年(1584)3月25日の『兼見卿記』に、「今朝山崎之天守ヲ壊チ取ランガ為、奉公罷リ越ス」とあり、天守が存在したこととこの日をもって破城されたことが知られる。現在、一帯が整備され、本丸北側の天守台や虎口、井戸、礎石、石垣、転用石が確認できる。
平成30年9月4日、台風21号が一帯を通過し、山崎駅と山頂、天王山駅を結ぶハイキングコースが通行禁止となった。
ボランテイアや寄付金による懸命の復旧により本年3月28日から登山可能になったが、今も倒木が残り台風のすさまじさを語っている。

山崎城跡の写真

山崎城跡への道


田上山城
 長浜市中野町 
天正11年2月末、柴田勝家は、秀吉との決戦に向け居城北ノ庄城を出陣し、近江の国境である柳瀬に中尾山城(玄蕃尾城)を築き本陣とし、その南に多くの砦を築いた。
秀吉も伊勢から北進し、北国街道と北国脇街道の合流地点である木之本を本陣とし、木之元を見下ろす田上山山頂(大洞山・標高323m)に田上山城を築いた。
さらに西の賤ヶ岳やその北尾根の大岩山、岩崎山、北の堂木山一帯にも砦を置き、勝家軍と対峙した。
田上山城には、守将羽柴秀長、秀吉陣中最大の1万5千の兵が置かれ、この賤ケ岳の戦いの拠点となった。
現在、山頂の主郭を中心に南郭、西郭、北郭、北外郭が囲み、土塁、虎口、空堀、堀切、土橋、角馬出などが明瞭に残っている。

田上山城跡の写真

田上山城跡 本丸

竹田城 
 兵庫県朝来市和田山町竹田  
天空の城として知られる竹田城は、秀吉の意志が強く働いた城である。
竹田城のある通称虎臥山(標高353m)は、大路山(603m,)の東尾根先端の一ピークに過ぎないが、播磨、但馬、京都の国境に近い。北・東・南は急崖となり眼下を川が流れ、西も大路山に向けいったん切れ落ちている。まさに自然の要害である。
赤松氏・山名氏の争いの地であったが、天正8年(1580)信長の命により秀吉が落とし、海部郡出身の臣桑山重晴を入れた。天正13年(1585)重晴を和歌山城に移し、播磨龍野城主赤松広秀を置いた。 広秀は文禄慶長の役で朝鮮に出兵したが、関ヶ原合戦後自刃し、竹田城は家康により廃城とされた。
城跡は、山頂部に本丸と天守台、南に南二ノ丸、南千畳、北東に二ノ丸、北千畳、北西下に花屋敷と呼ばれる曲輪がある。井戸も2箇所確認されている。
朝鮮瓦が出土していること、総石垣造りできわめて発達した縄張りであること、壮大な規模であるなどから、秀吉の指示のもと、文禄元年以降に改修されたと考えられている。

竹田城跡の写真

竹田城跡 南千畳

「武家文書の世界」コーナーでは、「秀吉と城 2」関係の資料を展示しています。

秀吉朱印状の写真

秀吉朱印状 6月6日付

次回予告

特集展示「平成と城」

7月20日(土曜日)から9月23日(月曜日・祝日)
明治維新後、江戸時代の城郭の大半が破却され、廃城を免れた城には陸軍施設が置かれました。さらに第二次世界大戦の空襲により、壊滅的な被害を受けました。
一方、戦国期に険しい山の中に築かれた城はそのまま放置され、逆に今なお遺構を残しています。
近年それらは次々に発掘調査され、文化財として保護されています。
この展示では、戦国の城や江戸時代の城が、明治維新から平成までの時代にどのように認識され受容されてきたか、その変化を考察します。

このページの作成担当

教育委員会事務局 秀吉清正記念館
電話番号: 052-411-0035
ファックス番号: 052-411-9987
電子メールアドレス: a4110035@kyoiku.city.nagoya.lg.jp
郵便番号:453-0053
住所:名古屋市中村区中村町茶ノ木25

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