ページの先頭です

ここから本文です

檀渓・街道コース

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2023年6月14日

ページID:1282

ページの概要:檀渓・街道コース

コースについて

地下鉄川名駅→(1)太平寺→(2)川原神社→(3)飯田街道→(4)塩付街道→(5)白山社→(6)善昌寺→(7)古観音廃寺跡→(8)檀渓跡→(9)昭和美術館→(10)カトリック南山教会→地下鉄いりなか駅


下記PDFデータは一部テキストを含まないデータとなっております。内容についてお問い合わせがある場合は、地域力推進室(052-735-3827)までご連絡ください。

添付ファイル

Adobe Reader の入手
PDFファイルの閲覧には Adobe Reader が必要です。同ソフトがインストールされていない場合には、Adobe 社のサイトから Adobe Reader をダウンロード(無償)してください。(外部リンク)別ウィンドウで開く

太平寺(たいへいじ)

  開山の卍室長吉和尚(まんしつちょうきつおしょう)(小牧福厳寺3世盛禅洞奭和尚の弟子)が天文2年(1533)に亡くなっていることから、開創年は1533年よりも前と考えられます。開基は佐久間氏です。天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いで焼失した等の記録が古文書に残っています。
  江戸時代には、日本地図を作った伊能忠敬が太平寺にて昼食をとったという記録が測量日記に記されています。
  現在の本堂は昭和6年に建てられたもので墓地内には室町時代のものと見られる五輪塔があります。神仏分離令により川原神社から川名弁天と大般若経600巻が太平寺に移されました。

(注1)開山…お寺をはじめた僧侶(初代住職)

(注2)開創…お寺を創設すること

川原神社(かわはらじんじゃ)

  創建は不詳ですが、延長5年(927)にまとめられた「延喜式神明帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載される式内社で、飯田街道沿いにあり、祭神は日神(ひのかみ)、埴山姫神(はにやまひめのかみ)、罔象女命(みつはのめのかみ)です。『尾張名所図会』には、川原天神とあり、描かれている池は今もあります。夏祭りは7月4日・5日で、奉納提灯、赤丸神事、茅ノ輪くぐりがあります。また、秋祭りは10月16日・17日で餅投げが行われるため多くの参拝者が訪れます。
  社殿は平成10年に再建されましたが、拝殿等の天井絵は、狩野派絵師であり、総代を務めた笙弘(しょうこう)氏が2年2か月をかけて描き上げた、大変美しいものです。

飯田街道(いいだかいどう)(駿河街道(するがかいどう)

  この道は、名古屋と信州飯田を結んでいる街道で、昭和区は地下鉄吹上駅付近から八事にかけて、区内をほぼ斜めに通っている道です。この街道には東海道のように関所のわずらわしさがなかったので、信州との交易が盛んに行われ、信州からはタバコや木地椀などが、名古屋からは塩、干魚や瀬戸物などが運ばれました。また、明治末期には馬車鉄道が敷かれ、八事山に行くのに利用されました。

塩付街道(しおつけかいどう)

  塩付街道は、昭和区のほぼ中央を南北に通る道で、南は星崎付近から北は瀬戸街道につながっています。塩付という名は、星崎付近の塩田で取れた塩を、足助を経て信州方面に運ばれたことに由来します。塩は馬によって運ばれましたので、馬の安全を祈って所々に馬頭観音や地蔵菩薩が安置されており、特に白山社北側は当時の面影が強く残っています。また、この道は現在の塩付通の西側を通る狭い道で、その静けさは古くからある道だと感じられます。

白山社(はくさんしゃ)

  貞享年間(1684年から1687年)に服部総一郎善昌が加賀国白山の神「菊理姫命(くくりひめのみこと)」を勧請した神社です。社殿は、前方後円墳の後円部に造営されたため、小高い丘になっています。境内にはむかし若者の力競べに使われた「力石」が残っており、保存樹の楠木、イチョウなど大木もあり、歴史の深さを物語っています。

善昌寺(ぜんしょうじ)

  曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来です。ここは、もともと石仏観音が安置されている庵を、元和元年(1615)亀甲和尚が慈雲庵と名付けて住んでいました。その後、この地を隠居地としている服部総一郎善昌の名をとって、慈雲山善昌寺となりました。石仏観音堂には、5尺余の石像の千手観音が秘仏として安置され、実体を見たものはいないといわれています。
  境内には、昔話にも登場する「目開き地蔵」があります。眼病治癒のお地蔵様として信仰を集めています。石仏観音とともに「石仏村」の由来となったお地蔵様です。

古観音廃寺跡(ふるかんのんはいじあと)

  この付近の旧地名は古観音といわれ、奈良時代のものと思われる鬼瓦や瓦の破片が出土しています。他に礎石(そせき)らしい自然石が発見され、廃寺跡と考えられています。しかし、現在その廃寺跡の所在は不明です。

檀渓跡(だんけいあと)

  山崎川が、檀渓橋あたりで湾曲し、丘陵の裾に沿って南流する付近の渓谷を檀渓(だんけい)と呼んでいました。
  江戸末期の「尾張名所図会」には当時の景勝の様子が描かれています。

昭和美術館(しょうわびじゅつかん)

 昭和53年、後藤幸三氏の収蔵品を公開して始められた。茶道関係の美術品を中心に、藤原家長筆の「熊野懐紙」など国の重要文化財を含む約800点がある。庭園には、県指定文化財の「旧渡辺家別邸の茶室と書院」(南山寿荘)がある。


  • 入館料:有料
  • 休館日:月曜日と火曜日、祝日(振替休日)の翌日、展示替え期間

カトリック南山教会(なんざんきょうかい)

  丘の上に建つ白い円形の聖堂は昭和33年(1958)に落成した建物です。パイプオルガンコンサート、クリスマスミサ等が行われています。

このページの作成担当

担当: 昭和区役所地域力推進室生涯学習担当
電話番号: 052-735-3826
ファックス番号: 052-735-3829
電子メールアドレス: a7353826@showa.city.nagoya.lg.jp

ページの先頭へ