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御器所台・寺社コース

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このページを印刷する最終更新日:2021年1月26日

ページID:1260

ページの概要:御器所台・寺社コース

コースについて

地下鉄荒畑駅→(1)龍興寺→(2)宗円寺→(3)久松寺→(4)尾陽神社→(5)浄元寺→(6)西福寺→(7)寿栄寺→(8)龍福寺→(9)御器所八幡宮→(10)神宮寺→(11)堪忍寺→(12)御所屋敷跡→地下鉄荒畑駅


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龍興寺(りょうこうじ)(龍興寺ヶ池と龍神)

 龍興寺は曹洞宗のお寺で、天文2年(1533)織田家に仕えていた御器所城主佐久間盛次が、一族の菩提寺として創建しました。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和53年実業家藤山雷太の旧邸(東京都)を移築して本堂(県指定文化財)としました。本堂前は、入り 組んだ形の池を中心にした日本庭園が広がり、本堂とも調和した美しい空間になっています。
 龍興寺の南側には、大正の初め頃まで龍興寺ヶ池(雨池)という大きな池がありました。この池には、龍が生息していると言い伝えられていましたので、大正5年(1916)頃、土地造成のための排水後、この池の守り神をまつる八大龍王社がつくられています

瑞現山 宗圓寺(ずいげんざん そうえんじ)

 曹洞宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩です。地下鉄荒畑駅近くにある龍興寺の末寺で、同寺の四世白山を開祖とします。本堂では毎月第4日曜日に座禅会も行われています。道路に沿って南西側に回ると、石仏を収めた小堂があり、左端に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が安置されています。
 旧広見ケ池畔の野墓にあったものを移転・復元したもので、市内に現存する最も古い宝篋印塔の一つとして、名古屋市有形文化財に指定されています。

亀齢山 久松寺(きれいざん きゅうしょうじ)

 戦国時代の1550年頃、駿河守・藤原忠利が御堂を建立し、長松院と名付けたのが寺の始まり。元和2年(1616)藤原氏の末裔・前田家の菩提を弔うため、その末裔・奥村庄左ヱ門が再興し、曹洞宗・久松寺となります。本堂は、幕末の慶応2年(1866)一時廃寺となった寺を再興した當山14世桂蕚嫩大和尚(けいがくどんしだいおしょう)時代の建立。この骨組みを残し、平成28年に檀家の協力により耐震工事が加えられました。平成29年、山門新築。ご本尊は阿弥陀如来。他に延命地蔵菩薩・弘法太師等を祀ります。

尾陽神社(びようじんじゃ)

 尾張藩初代藩主徳川義直と最後の藩主である徳川慶勝を祀る神社で、明治43年(1910)、名古屋開府300年を記念して創建されました。尾陽の名は、義直の尾陽公」からとったものです。本殿は昭和20年の名古屋大空襲により焼失、仮本殿も昭和34年の伊勢湾台風で倒壊しましたが、昭和45年に再建されて現在に至ります。
 また、この地は嘉吉年間(1441から1444)に佐久間家勝が築城した御器所西城跡と言われ、鳥居脇に標柱と説明板が立てられています。

清澤山 浄元寺(せいたくざん じょうげんじ)

 曹洞宗。地下鉄荒畑駅近くにある龍興寺の末寺。永禄年間(1558から1569)正躰浄元を開祖としています。鎌倉様式の古風な本堂でしたが、戦災で焼失し、戦後再建されました。なお現住職は茶道賣茶(ばいさ)流の家元でもあり、寺で茶会が催されます。静かな浄元寺の庭から木戸を出て西方の崖の手前に、銀杏の木に囲まれて姫塚があります。この塚には諸説があり、一説には150歳まで生存して殿様から長寿のお祝いの品を賜った正念という老女の塚と伝えられています。

大澤山 西福寺(だいたくさん さいふくじ)

 境内右手に上部の欠けた標柱が立っています。昭和20年の名古屋大空襲で吹き飛ばされたもので、戦争の悲惨さを伝えています。寺歴は古く、天長6年(829)、弘法大師が真言宗寺院として建立。永禄5年(1562)、浄土真宗に改宗しました。以来、450余年を経た今も、聞法(もんぼう)道場として慕われています。近年は地域の拠点となる寺院を目指し、昭和区社会福祉協議会の出張講座や、こども食堂を開催するなど、さまざまな活動を行っています。

松籟山 壽栄寺(しょうらいざん じゅえいじ)

 明治初年(1868)に創建された曹洞宗のお寺です。本堂は石段を上った奥にありますが、山門の右手の道路沿いに地蔵堂があり、出世地蔵のいわれを持つ立派なお地蔵様のほか、弘法大師、不動明王尊、観世音菩薩、延命地蔵大菩薩、重軽地蔵尊などが安置されています。本堂を建て直したとき、地蔵堂をこの場所に移したところ、「いつでも気軽にお参りができる」と喜ばれたそう。以来、地蔵堂の扉は常に開けられていて、地域の人々の心のよりどころとなっています。

普照庵 龍福寺(ふしょうあん りゅうふくじ)

 八事興正寺が創建された時、開祖の生母である普照尼が創建した寺です。本尊が地蔵尊ということから、地蔵寺とも言われています。この地蔵尊は、山伏が寺の柳の大木から弘法像三体をつくり、尾張3箇所に安置したひとつで、尾張三弘法の元祖といわれています。また、名古屋二十一太師霊場の一つとして、お遍路めぐりの参拝者も多くいます。

御器所八幡宮(ごきそはちまんぐう)

 創立年代不詳と伝えられていますが、一説には平安時代前期に仁明天皇の勅願社とされ、熱田神宮鬼門方位の守護として鎮座されたとも言われます。鎌倉時代に御器所西城を築いた佐久間家勝が、鎮護の社として厚く守護します。また、徳川家康が小牧・長久手の戦いの前に必勝祈願をした言い伝えがあり、必勝の神様として知られます。境内に菅原道真公を祀る御器所天満宮もあることから、今では合格祈願に多くの人が訪れます。赤丸神事やお馬塔神事など、子どもの健やかな成長を願うお祭りも行われています。

醫王山 神宮寺(いおうざん じんぐうじ)

 御器所八幡宮の右手に位置する神宮寺は、御器所最古の真言宗の寺院で、嘉祥3年(850)熱田神宮鬼門除けの修法祈願所として創建されたといわれています。昭和20年の名古屋大空襲で焼失しましたが、昭和46年に再建されました。毎年11月8日に秘仏薬師如来の御開帳があり、秘仏の持物である藥壺(やっこ)に模された「やっこ餅」が供えられます。古くより食べれば病気わずらいがないといわれ、参拝者で境内が賑わいます。また、1歳になる赤ちゃんに一升餅を背負わせ成長を願う祈祷会も開催されています。

堪忍寺(かんにんじ)

 徳川家の家臣、保忍法浄(ほにんほうじょう)が開いた寺で、寺名は「堪忍の心」という家康の家訓から名付けたといわれています。戦後、西区紙漉町から現在地に移されました。

御所屋敷跡(ごしょやしきあと)

 秀吉の母、大政所の在所と言い伝わるところで、敷地内には「御所屋敷跡」と彫られた石柱が立っており、小さな祠があります。
  閑静な住宅街の中にあり、民家に隣接したわずかな空き地にあるためか、一見見落としそうになりますが、名古屋市教育委員会の立札「伝豊臣秀吉母宅跡」も立っているので何とかこの場所が確認できます。

このページの作成担当

担当: 昭和区役所地域力推進室生涯学習担当
電話番号: 052-735-3826
ファックス番号: 052-735-3829
電子メールアドレス: a7353826@showa.city.nagoya.lg.jp

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