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納屋橋を作った彦作さん

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このページを印刷する最終更新日:2016年4月1日

ページID:30625

ページの概要:御園小学校のトワイライトスクールで披露した「納屋橋を作った彦作さん」の紙しばいです。

「納屋橋を作った彦作さん」表紙

「納屋橋を作った彦作さん」

作 堀川文化を伝える会
絵 むらおか さちこ

「納屋橋を作った彦作さん」2枚目

 名古屋の堀川は、今から400年前にたくさんの人が掘ってできた川です。家や道路、お城を作るための材料や、名古屋に住む人の食べ物や暮らしに必要なものなどを船で運ぶために川が掘られました。たくさんの荷物を運ぶには船がいちばん便利だったからです。堀川は名古屋にとって、なくてはならないお母さんのような川でした。

「堀川を作った彦作さん」3枚目

 堀川沿いには、材木を売る店がたくさんありました。遠い山で切った木は、川や海をへて堀川まで船で運ばれてきました。50年ほど前は堀川に丸太がたくさん浮かんでいて、いかだ師という材木を扱う人たちが丸太を上手に操って仕事をしていました。この堀川沿いには木挽町(こびきちょう)という町がありました。木挽きというのは材木を扱う人のことで、かんなやのこぎりで木を挽(ひ)く人がたくさんいたので、そういう名前になりました。

「堀川を作った彦作さん」4枚目

 今、堀川に架かる橋の中でいちばん賑やかな橋が納屋橋です。納屋橋は堀川ができたときからありましたが、今のような立派な橋ができたのは、100年ほど前のことです。名古屋が誕生して300年目に博覧会が開かれ、納屋橋はそれに合わせて作り直されました。納屋橋は、金属を溶かしていろいろな物を作る工場を営んでいた中島彦作さんが作りました。彦作さんは納屋橋を名古屋一の橋になるよう、橋の真ん中にバルコニーを作り、柱にはきれいな飾りをつけ、橋を照らすライトは花の形のおしゃれなものにしました。彦作さんは、よそからわざわざ上手な職人たちを呼んできて立派な橋を作り上げました。

「納屋橋を作った彦作さん」5枚目

 皆さんは、郷土3英傑として名古屋まつりに登場する、信長・秀吉・家康という3人の武士を知っていますか。おもてなし武将隊にも入っています。納屋橋には、この3人の武士のほかに堀川を掘る仕事の責任者となった福島正則を合わせて、全部で4人の武士の印が彫られています。みんな名古屋の近くで生まれた武士です。彦作さんは、名古屋のもとを作った4人の武士の印を入れて、納屋橋を見てもらおうと考えたのでしょう。

「納屋橋を作った彦作さん」6枚目

 でも、納屋橋の工事にお金がかかり過ぎて、彦作さんの工場は潰れてしまいました。立派な橋ができたのにどんな気持ちだったのでしょう。結局、彦作さんは仕事のないまま死んでしまいました。でも名古屋の人は、彦作さんのことを忘れていませんでした。みんなでお金を出して、彦作さんのために立派なお葬式をしてあげました。彦作さんがどんな思いで納屋橋を作ったのか知っていたからです。一度、納屋橋の真ん中のバルコニーを見てきてください。4人の武士の印の下に彦作さんの名前が小さく彫ってあります。今の納屋橋は、車が通れるように架け直されましたが、彦作さんが作った部分はそのまま残されました。彦作さんは、今も賑わう納屋橋を、遠い天国から喜んで見ているはずです。

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