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すいどうみち緑道と周辺史跡散策コース 庄内川から矢田川まで

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このページを印刷する最終更新日:2023年7月19日

ページID:35133

ページの概要:「すいどうみち緑道と周辺史跡散策コース 庄内川から矢田川まで」を紹介します。

(注)令和6年11月まですいどうみち緑道は導水管の耐震工事中のため、一部コースを散策できない可能性があります。

コース

川嶋神社→御用水路跡→すいどうみち緑道→ブロンズ像「翔」→大永寺→水屋→熊野社→守山瓢箪山古墳→神明社(廿軒家)(約4.5キロメートル)

コースの主な見どころ

1 川嶋神社

川嶋神社の写真

祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)・大苫辺命(おおとまべのみこと)・誉田別天皇(ほむだわけすめらみこと)。平安時代初期(807年)尾張の国の連(むらじ)、沖津世襲が白沢川新堀割落口近くに創建後、元宮を経て現在の地に鎮座。「延喜式神名帳」に名前が載る古刹、式内社。

2 御用水路跡

御用水路跡の写真

寛文3(1663)年柳原で庄内川から取水した御用水は、瀬古で矢田川を横切り(伏越水筒)、名古屋城水堀を満たし(総延長距離約8キロメートル)、巾下住民の飲水となった。後に、この水路は農業用水に転用、暗渠となった。

3 すいどうみち緑道

すいどうみち緑道の写真

犬山で取水した木曽川の水は庄内川底を横切り、守山区内を通り、矢田川を潜り鍋屋上野浄水場へ送られ(総延長距離23キロメートル)、名古屋市の飲水となる。守山区内埋設送水管上の道(約2.5キロメートル)が「すいどうみち緑道」。

4 ブロンズ像「翔」

ブロンズ像「翔」の写真

名古屋市山下中部土地区画整理組合が昭和57年4月、彫刻家・画家の故「三枝惣太郎」氏の作品をここに寄贈した。

5 大永寺

大永寺の写真

本尊は釈迦如来。建久年間に山田重忠が小幡に天台宗寿昌院を創建するが戦火焼失。大永元(1521)年山田氏子孫岡田重頼が曹洞宗大永寺(開山:柏悦道根(はくえつどうこん))として再建するが、再び戦火焼失。元和3(1617)年岡田善同が再興。

6 水屋

水屋の写真

明和5(1768)年以前、旧白沢川下流(現:古川)域の大永寺・瀬古等の村は、低湿地帯で、大雨の度に家屋浸水被害を被った。一部の豪農は1メートル以上に石積・盛土した高台に家屋を建て、食料等を貯えた。

7 熊野社

熊野社の写真

祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)。村社。元和3(1617)年創建。合祀は山神社、本宮社、天神社、神明社、八幡社、御嶽社、津島社。

8 守山瓢箪山古墳

守山瓢箪山古墳の写真

5世紀末から6世紀初頭の古墳で全長63メートル、前方部幅58メートル、後円部径36メートルの前方後円墳。昭和27年の調査では、周囲に濠があり、墳丘部では川原石の葺石、須恵器質の円筒埴輪を出土。

9 神明社(廿軒家)

神明社(廿軒家)の写真

祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)・建速須佐之男大神(たけはやすさのおおおかみ)。「廿軒家」は徳川義直の附家老成瀬隼人正正成が当地区に支配下の武家屋敷20軒を建築させたことに由来する。元和元(1615)年所領山林内の一部に氏神様として神明社が創建された。

まちあるきマップ

PDFの表面・裏面・中面を印刷していただくと、配布しているマップになります。まちあるきにご利用ください。守山区役所3階地域力推進室などでも配布しています。

(注)以下のファイルはすべてテキスト情報のない画像データです。内容を確認したい場合は守山区役所地域力推進室(電話番号052-796-4524)までお問い合わせください。

このページの作成担当

守山区役所区政部地域力推進室区の特性に応じた地域の活力向上担当

電話番号

:052-796-4524

ファックス番号

:052-796-4508

電子メールアドレス

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