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鳴海周辺のみどころ一覧3

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このページを印刷する最終更新日:2017年11月13日

鳴海周辺みどころ一覧3

長翁寺

古くは薬師山にあり天正年間(1573年から1592年)に現在地に移転。瑞泉寺十世海雄圭禅大和尚の開山。本尊は釈迦牟尼仏(木像伝行基作)、薬師堂の薬師如来像は織田信長の守護仏と言い伝えられ、俗に「織田薬師」と呼ばれ一族の織田長益有楽斉が堂宇を建て祀ったもので、寺の移転とともに移設されたものである。東海四十九薬師第三十四番。

鳴海陣屋跡

江戸中期天明2年(1782年)に尾張藩の地方役所、鳴海(森下)陣屋が設けられ、初代代官飯沼定右衛門、手代4人、足軽3人が定詰めし、年貢徴収、寺社関係の行政、土木、追補、訴訟業務に従事した。鳴海代官は大代官で鳴海村から愛知郡東南部、知多郡東半分を収めた(121ヶ村支配、石高72000石)。

光明寺

当初鎌倉海道筋の三王山の東にあった真言宗清水寺を弘治2年(1556年)現在地に移転。瑞泉寺九世剛菴洞金大和尚が開山となり伽藍を再興し曹洞宗光明寺に。本駒は子安地蔵大菩薩、弘法大師の御作との言い伝えがある。付近には丹下砦跡、清水寺遺跡、鳴海陣屋跡などの史跡がある。

丹下砦跡

光明寺から裏手の清水寺遺跡にかけて、織田信長が永禄2年(1559年)3月に築いた今川義元の上洛に備えるため、善照寺、中島、鷲津、丸根など一連の砦の一つである。東西84メートル、南北78メートルで信長公記によれば水野帯刀、山口海老之丞、柘植玄蕃允らが勤めた。

清水寺遺跡(せいすいじいせき)

貝塚、住居跡、砦など縄文期から室町期にかけて各時代の遺物を出土する複合遺跡である。貝塚は縄文中期、弥生中後期の土器類が発見され、弥生後期の縦穴式住居跡や古墳、丹下砦の溝など遺構、遺物が多い。

西の常夜灯

寛政4年(1792年)宿場町の西の入口に建てられた後に現在地に移転された。旅人の目印や宿中安全、火災厄除の難を逃れる為の秋葉社を祈願したもの。石灯籠の4面には「秋葉大権現」「新馬中」「願主重因」「寛政四□□二月」と彫ってあり、東海道の伝馬制度の馬方衆である重因と言う寄進者の名がある。東の入口と同じく木戸と立場があった。

鉾の木貝塚・遺跡

貝塚は東海道筋にある。昭和5年野村三郎氏の発見で遺物は縄文前期に属する土器で上下二層の間に相違があり、上層は爪形文、羽状縄文をもつ土器(鉾の木式)を主体とし、下層からはやや厚手の縄文のある土器と薄手の細線文土器が出土している。東に100メートル程、山を上がった鉾の木遺跡はこの地名の由来でもある日本武尊が鉾を松の樹上にかけて休憩されたところといわれ、弥生式土器の破片なども散財していた。

緒畑稲荷神社

創建は室町時代で、伊勢の緒畑原から勧請された社。祭神は倉稲魂命の女神様で、五穀豊穣を願う農耕神である。桶狭間の戦禍に遭い、その後この地に帰依するところとなり遠近より祈願者が多い。碑石の多いのは修験者が魂として祀る風習からである。境内には樹齢400年以上の楠木が二本仲良く寄添って、夫婦円満の霊験ありといわれている。

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