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広報なごや9月号インタビュー 「どえりゃあぬくとい防災ナゴヤ。つくろみゃあ」

名古屋市長 河村たかし

市長写真

 「どえりゃあ青空だったがね。今でも忘れられん。あんたんとこはどうだった?」

 河村たかしから、中区老松学区区政協力委員長の澤田高志(さわだ たかし)さんに聞く。

 澤田さん「ボクは瑞穂区滝子におったけど、部屋の土壁が全部抜けて、そこから空が見えたけど、翌日はものすごい青空。強烈に印象に残っとるよ」

 港区南陽学区区政協力委員長の加藤和政(かとう かずまさ)さんはどう?

 加藤さん「当日無事だった。で、その日のうちに中川区の叔父の家へ避難。もう、ホントびっくりするくらい、静かな朝だったよ」

 河村たかしは台風当時小学校5年生。東区旭丘小学校へ次の日の朝に登校。60年前の青空。忘れられんのは3人とも共通。5千人以上が亡くなった伊勢湾台風、そして次の日の青空。自然は時にひどく残酷でもあるんだ。

 澤田さん「当時の老松学区には被災した子どもが75人、疎開してきたよ」

 加藤さん「新川の堤防の横。伊勢湾台風で切れたところに今も住んどるよ」

 伊勢湾台風当日のことはどう?

 澤田さん「当日は瑞穂区にいて、すごい雨風。おふくろは雨戸を全部オープンにして、家が浮き上がらんようにね」

 加藤さん「199人、南陽町で亡くなった。ちょうど寝とる時にものすごい『ゴォー』って音が。屋根に登って助かった。祖母も叔母も、いとこも小さい子だったけど、みんな死んじゃった。まわりでね」

 河村たかしから。「ボクは東区古出来。水はなかったけど、瓦がバンバンバンと飛んですごかった。木造2階建て。2階の壁がみんな抜けて半壊」

 市民の皆さんへメッセージを。

 加藤さん「訓練するなら形式的にやるのではなく、やっぱり小学生、中学生の頃から、じいさん、ばあさんと一緒になって地域とやってかないかん。自分も家が流されてホントに近所の人に助けてもらったでね」

 澤田さん「中区は外国の方が多い。ドンドン増えていく。外国の方と共生して巻き込んで、訓練、防災のシステムを作っていかないかんよ」

 外国の方を含め市民の皆さん。モデル事業をやっとるけど、役所がまず家庭訪問して、丁寧に。そして地域と一緒に、どえりゃあぬくといナゴヤの防災。つくっていこみゃあ。



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市長インタビュー音声版



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