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家庭の日

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このページを印刷する最終更新日:2024年2月5日

ページID:50866

「家庭の日」について

 家庭は私たちの生活の基盤であり、家族の心のよりどころでもあります。また、子どもたちにとっては、生きるルールを覚える最初の学校であり、知らず知らずのうちに、人格が形成されていく場でもあります。
 家庭がそのような働きをよりよく発揮するためには、家族みんなの心がふれあう明るい家庭づくりを進めることが大切です。

 毎日をともに過ごす家族のすばらしさや、話し合いのできる家族のありがたさは、身近にあり当たり前に考えてしまうため、かえってその価値を見失いがちです。

 名古屋市では、家庭の大切さ、家庭の役割のすばらしさについて改めて考える機会としてもらうため、毎月第3日曜日を「家庭の日」と定めています。

 そして、この日をきっかけにして毎日が「家庭の日」となるように、みんなの工夫でそれぞれの家庭にあった楽しい「家庭の日」をつくっていきましょう。

たとえばこんな「家庭の日」を

家族みんなで話し合いやだんらんの時間をもちましょう。

子どもの話を最後まで聞く心のゆとりをもちましょう。
何でも話せる信頼関係をつくり、子どもの発する注意信号を、見逃さないようにしましょう。

家族みんなで食事をする機会をもちましょう。

食事の時間は、ゆっくりと家族がおしゃべりできる大切なひとときです。たまには家族で一緒に作ってみませんか。子どもは喜び、さらに食事もおいしくなるでしょう。

家族の中で役割分担を決めましょう。

みんなで家事の分担をして、家族が共に助け合いながら生活している意識や責任感を育てましょう。

家族が一緒に過ごす時間をもちましょう。

晴れた日には、家族で一緒に外へ出て、ハイキングやスポーツ、レクリエーションを楽しみましょう。また、家族で音楽を聴いたり、本を読んだり、芸術鑑賞に出かけたりして、すばらしいものにふれて感動する心を育てましょう。

家族みんなで地域での行事に参加しましょう。

親子で地域での行事に参加し、地域の人々との交流を深めましょう。

子どもにとって、異年齢の友達とつきあうことは、大切な経験となり、社会性が育っていきます。地域においても、親子で参加できる行事を積極的に進めましょう。

「家庭の日」普及啓発ポスター(最新版)

新しいポスターが完成しました。令和5年度の名古屋市「家庭の日」普及啓発ポスター最優秀賞の図柄です。

名古屋市「家庭の日」普及啓発ポスター

PDF形式とJPEG形式のデータでご覧いただけますが、ファイルはサイズが大きいため、ファイルを開くのに時間がかかることがあります。

「家庭の日」普及啓発ポスター(最新版PDF形式データ)

Adobe Reader の入手
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「家庭の日」普及啓発ポスター(最新版JPEG形式データ)

名古屋市「家庭の日」普及啓発ポスター・作文の入賞作品

名古屋市では毎年、名古屋市立の小学校、中学校、特別支援学校に通う児童・生徒を対象に、「家庭の日」を普及啓発する作品を募集しています。令和5年度も多数の応募をいただきました。その入賞作品をご紹介します。

令和5年度 「家庭の日」普及啓発ポスター入賞作品

小学生の部 最優秀賞 春日野小学校1年 市岡史帆さん

小学生の部 最優秀賞 春日野小学校1年 市岡史帆さんの作品

小学生の部 優秀賞 橘小学校4年 近藤恵茉さん

小学生の部 優秀賞 橘小学校4年 近藤恵茉さんの作品



小学生の部 努力賞 東桜小学校1年 倉本涼平さん

小学生の部 努力賞 東桜小学校1年 倉本涼平さんの作品



小学生の部 努力賞 楠西小学校3年 鈴木陽翔さん

小学生の部 努力賞 楠西小学校3年 鈴木陽翔さんの作品



小学生の部 努力賞 千年小学校5年 堀田杏月さん

小学生の部 努力賞 千年小学校5年 堀田杏月さんの作品



小学生の部 努力賞 西山小学校5年 大原あずみさん

小学生の部 努力賞 西山小学校5年 大原あずみさんの作品



中学生の部 最優秀賞 神沢中学校3年 宮田よつ葉さん

中学生の部 最優秀賞 神沢中学校3年 宮田よつ葉さんの作品



中学生の部 優秀賞 はとり中学校1年 松本彩伽さん 

中学生の部 優秀賞 はとり中学校1年 松本彩伽さんの作品 



中学生の部 努力賞 神丘中学校1年 金井遥さん

中学生の部 努力賞 神丘中学校1年 金井遥さんの作品



中学生の部 努力賞 有松中学校2年 清水美波さん

中学生の部 努力賞 有松中学校2年 清水美波さんの作品



令和5年度「家庭の日」普及啓発作文入賞作品(表記を一部変更して掲載しています)

小学生の部 最優秀賞 大高小学校5年 笠井優希歩さん「お父さんとのコミュニケーション」

 「今日は何を書こうかなー。」

朝起きてから今までの一日の出来事をあれこれ思い出し、私はうかれながら、書く内容の事をむ中で考えていました。

 私の家では、毎日作文帳に今日あった出来事などを書いています。ひまな日もあれば、とてもいそがしかったりする日もあるので、何を書こうかまよう時もあります。けれど次の日になると、お父さんが私の作文について面白い絵やコメントを書いてくれるのです。私はそれが楽しくて、作文帳を開く時、心がはずみます。

 この作文習慣は、お父さんがプレゼントをわたすように、作文帳を「じゃじゃーん。」と出してきた時から始まりました。最初のころは「楽しいけど、少しめんどくさいなぁ。」と思っていました。でも今では「今日はお父さんのコメントどんなのくるかなぁ。」とウキウキな気分で待っています。

 そして私は、お父さんの事をすごいと思っています。なぜなら会社から帰ってきて、とてもつかれているのに、毎日コメントを書いてくれるからです。もし私なら、コメントを書くのを休んでしまう時もあるかもしれません。一度、お父さんが大変なんじゃないかなと心配になって、お母さんに聞いてみたことがあります。でも、お母さんから「お父さんは、顔いっぱいにニコニコしながらコメントを書いているよ。」と聞いて、満面の笑みをうかべているお父さんのすがたが目にうかび、お父さんも私と同じように、楽しんでいることが分かってほっとしました。お父さんが必ず返事をくれることで、私はこのやりとりがお気に入りになり、ますますはりきって書くようになりました。

 私が今までで一番うれしかった出来事は、私がなやみ事を書いた時のことです。次の日に作文帳を開いて見ると、なやみ事に対するやさしい言葉が書いてあって、すくわれたような気持ちになりました。お父さんが、自分と真けんに向き合ってくれたことが伝わってきて、うれしさがこみ上げて、思わず泣き出してしまいました。私は泣いている時、お父さんのやさしさや、味方がいる安心感で、心の中が満たされていき、「この家族に生まれてきて本当に良かったなぁ。」と幸せな気持ちになりました。

 私はこの作文習慣を通して、家族がもっとにぎやかで、もっと仲良くなっていけると良いなと思いました。家族にもっと自分の気持ちを伝えて、面白かったことやうれしかったこと、悲しかったこと、くやしかったことをたくさん分かち合ったり、なやみ事を書いて気持ちをすっきりさせて、元気良くすごしていきたいです。こんなすてきなコミュニケーションの方法を教えてくれたお父さんへの感謝の気持ちをわすれずに、これからもずっと毎日作文帳を書き続けていこうと思いました。がんばります。

小学生の部 優秀賞 西山小学校5年(氏名非公表) 「ありふれた日常が一番の宝物」

 ぼくたちが国語の授業で読んだ「ひとつの花」。まだ小さな女の子と、戦争に行くお父さんとの別れが描かれている話だ。戦争のことはひいおじいちゃんに聞いたことはあるけれど、全く実感はないし、遠い昔のことだと思っていた。

 先日、テレビで教科書と同じような光景を目にした。それは、家族にとって別れの場面だった。外国の小さな子どもは、何も分からない様子で、お父さんに抱っこされていた。お父さんは戦争に行かなければならなくて涙をためていた。横にいるお母さんも泣いている場面が流れた。ぼくはそれを見たとき、「ひとつの花」を思い出した。ぼくが今の時代にはぜったいないだろうと思っていた光景は今もなお現実の世界で起こっていたのだ。

 ウクライナとロシアの戦争はまだ続いている。これまでは、遠い国の戦争は、身近に感じることができなかった。でも、テレビに映っていたそのお父さんとお母さんの涙を見たら、胸が苦しくなった。ウクライナでは、十八歳から六十歳までの男の人たちは、戦争から避難する家族と離れ離れになっているのだという。

 もしもぼくがウクライナに生まれていたら?何の心配もなく平和な毎日で、家族と幸せに暮らしていたのに、突然戦争が起きて家族が引き裂かれたら?自分たちではどうしようもできない理由で、家族との幸せな生活を奪われたら?そう考えるだけですごく怖くなった。冗談を言いながらみんなで笑って夕ご飯を食べることも、朝、会社に行く前にお父さんにいってらっしゃいと言うことも、一日の終わりに家族みんなにおやすみなさいを言うことも、ある日を境にできなくなったら?

 ぼくは、この当たり前で普通だと思っていた毎日が、家族と過ごすことができる一日一日が、実はとても恵まれていて、幸せなことなのだということに気がついた。スーパーに行って一緒に買い物をする、レストランでわいわい言いながらメニューを選ぶ、プールで泳ぎ方を教えてもらう、習い事に送り迎えをしてもらう、一緒に映画を観る、ぼくが普段、家族と過ごす何気ない日常は、ウクライナやロシアの子どもたちには、非日常的なことなのだ。大好きな家族と会いたいときに会えない悲しさや辛さは想像もできない。

 わがままを言ったり、いやなことを言って家族を困らせたり、遊んでばかりいて手伝いをしなかったりして怒られることが多い毎日だったけれど、怒ってくれる家族がいることも、実はとても幸せなことなのだ。

 ぼくは離れ離れで悲しみのどん底にいるたくさんの家族の人たちのために、早くロシアとウクライナの戦争が終わることを強く祈りたい。そして、家族みんなと一緒にいられることが当然のことだと思わず、お父さん、お母さん、お姉ちゃんを大切に、いつもありがとうという感謝の気持ちを持って、毎日を大切に過ごしていこうと思う。

小学生の部 努力賞 井戸田小学校1年 森咲絢さん「だいすきなにちようび」

 わたしは、おとうさんとおかあさんと3にんでくらしています。

 おとうさんは、スポーツがとくいです。にちようびになると、おとうさんは、にわでゴルフのやりかたをおしえてくれたり、プールであそんでくれたりします。

 おかあさんは、おやつづくりがとくいです。いっしょにわたしのすきなパンケーキやゼリーをつくってあそびます。

 わたしは、どのあそびもたのしいのでだいすきです。

 だけど、もっとわくわくするのは、おとうさんとおりょうりをすることです。なつやすみには、おとうさんと、やきそばをつくりました。ギャーギャーさわぎながらするおとうさんとのおりょうりは、おかあさんとのおりょうりとはちょっとちがって、さいこうにたのしくてスペシャルなきもちになります。すこしにがてなやきそばが、とてもおいしくかんじました。おかあさんもよろこんでいました。おかあさんがよろこんでくれて、わたしは、とてもうれしかったです。つぎはオムライスをつくってあげたいなとおもっています。

 わたしは、かぞくみんなですごせるにちようびがだいすきです。まいにちがにちようびだったらいいのにな、とおもいます。おとうさんは、おしごとがいそがしいので、へいじつは、わたしがおきるまえにいえをでて、ねたあとにかえってくることがおおいです。とてもさみしいです。わたしが、

「だれか、いえのポストにおかねをいれていってくれないかな。そうしたらおとうさんがおしごとにいかなくていいのに。」

というと、おかあさんはわらって、

「へいじつにがんばるからにちようびがたのしくなるんだよ。」

といっていました。だけど、やっぱりわたしは、にちようびがだいすきです。

 おかあさんはきもちをきりかえるのがだいじ、というけれど、わたしにはそれがとてもむずかしくてげつようびになるとよくおかあさんにおこられてしまいます。あさは、よういがおそくておこられて、がっこうからかえるとあしたのよういがおそくておこられて、もう、たいへんです。きょうこそは、おこられないぞ!とおもうのに、たまにおとうさんがはやくかえってくると、うれしくてうれしくてよるなのにおとうさんとおおさわぎをしてしまって、おとうさんもいっしょにおかあさんにおこられます。だけど、ぷんすかおこっているおかあさんをみて、

「おこられちゃったね。」

とおとうさんとひそひそばなしをしながらしずかにわらうのもほんとうはちょっとだけたのしいです。

 にちようびをおもいきりたのしむために、きもちのきりかえのれんしゅうをしながらこれからも3にんでなかよくくらしたいです。

小学生の部 努力賞 植田南小学校1年 千種萌音さん「わたしがうまれたひ」

 わたしのおとうさんとおかあさんのスマホには、わたしのしゃしんやビデオがたくさんあります。わたしがまだあかちゃんだったときのしゃしんもありますが、わたしはそのときのことはわすれてしまいました。

 「わたしってどんなあかちゃんだった?」とおかあさんにきくと、おかあさんはわたしのうまれたひのことをおしえてくれました。

 わたしは、ていおうせっかいといって、おかあさんのおなかをきってうまれてきました。ていおうせっかいのしゅじゅつのまえのひ、おかあさんは、しゅじゅつがこわいというきもちとわたしにあえるのがたのしみというきもちでなかなかねむれなかったそうです。わたしがうまれたとき、おかあさんは、ますいでねむっていました。わたしは、からだがすこしちいさかったけれど、うぶごえはびょういんでいちばんおおきかったそうです。おとうさんは、わたしがげんきにうまれてきたことをおかあさんにつたえたくて、はやくおきないかなとずっとそわそわしていたそうです。おかあさんのめがさめて、はじめてわたしをだっこしたとき、とてもかるくてちいさくてこわれてしまいそうできんちょうしたといっていました。でも、とってもあたたかくて、かわいくて、おとうさんもおかあさんも、そのひがいままででいちばんうれしいひになったそうです。うまれたときは、わたしのなまえはまだきまっていませんでした。おとうさんとおかあさんは、わたしのかおをみて、たくさんそうだんしてなまえをかんがえてくれました。おとうさんがとってくれた、うまれたてのわたしのビデオをみせてもらうと、まだなまえがないわたしに「おーい。」とはなしかけてくれています。ほいくきのなかにいるわたしは、あかくてしわしわでかみのけもまだはえていませんでした。それをみて、なぜあかちゃんがあかちゃんとよばれるのかがわかったきがしました。「あかちゃんってもっとかわいいとおもってた。」とわたしがいうと、おとうさんはわらっていました。

 あかちゃんは、うまれるまでおかあさんのおなかのなかで、ながいあいだすごします。おとうさんもおかあさんもわたしがうまれてくるのをとてもたのしみにしていたそうです。わたしは、おとうさんとおかあさんがわたしがうまれてくるのをたのしみにしていてくれたことがうれしいなとおもいました。

 わたしのうれしかったひはたくさんあります。クリスマスもうんどうかいもおたんじょうびもぜんぶうれしかったので、いちばんはきめられません。おとうさんもおかあさんもきっとたくさんうれしかったひがあったのに、わたしがうまれたひがいちばんうれしかったなんて、あかちゃんがうまれるということは、ほんとうにすごいことなんだなとおもいました。いつかわたしもおかあさんみたいにあかちゃんをうんでみたいです。

小学生の部 努力賞 藤が丘小学校6年 長谷川寧音さん「ちいさなてのひら」

 私はいつものようにすずりにそっと墨汁を注ぎ、ゆっくりと筆をなじませた。今日は書道教室ではなく、先日産まれた従兄弟の命名書を書くのだ。

「お腹に赤ちゃんがいるんだ」と嬉しそうな顔をして叔母がそう教えてくれたのは、まだ寒い冬の時期だった。ひとりっ子の私は心が踊ったのを今でも鮮明に覚えている。

 私は物心がつく前から母と二人暮らしだ。そんな私に行事があるとなれば、叔母は時間を合わせて出来るだけ参加してくれている。私にとって叔母はもう一人の母のような存在なのだ。初めての保育園の発表会のビデオ映像にはビデオ撮影しながら私の名前を必死に何度も呼ぶ叔母の声がしっかりとおさめられていて、見返す度に叔母の愛情が伝わってくる。「当の本人よりも必死だよね」と母は楽しそうに笑った。

 春になり、安定期に入った叔母と母と一緒に桜を見に出掛けた。私は桜の季節に産まれたからか、桜を見るのがとても好きなのだ。こぼれ落ちそうな桜の花が風に揺られてはらはらと花びらが舞う中、三人で一緒に写真を撮った。「やっぱり似てる」と母は少しつまらなさそうにつぶやいた。私は母よりも叔母に似ているのだ。しばらくして新学期に入るとすぐに運動会に向けてソーラン節の練習漬けの毎日になった。小学校に入学して初めて見た六年生のソーラン節は力強く、とてもかっこよかった。私も下級生に憧れられるような迫力のある演舞になるように休み時間や自宅に帰ってからも練習をした。「学校の名前を背負ってカッコよく踊ろう」と先生は練習の度に気合いを入れてくれていた。演舞で身につける衣装に「藤」と学校名を個々で書いたのだが、気合いの表れからかクラスのみんなの文字は大きく、力強かったので担任の先生は納得の笑みを浮かべていた。

 小学校最後の運動会、「全員が主役!思いきり輝こう」とスローガンを掲げて始まった。観覧席には母、離れて住む祖父母、幸いにも大きなお腹をした叔母の体調もよく、見に来てくれていた。四年ぶりの全校生徒がそろう運動会にはやる気と笑顔がいっぱいだった。あっという間に最後の演舞、ソーラン節だ。

 ソーラン節はヘブライ語由来の説もあり歌詞を要約すると「まっすぐ目指して進む、嵐が来ても神のご加護によって進んでいけますように」という意味もあると知った。私は緊張しながらも家族への感謝と歌詞の意味を込めて力一杯踊り切った。「ここまで大きくなってくれてありがとう」と母はいっぱいの笑顔で迎えてくれた。

 従姉弟の可愛い小さな手の平に指をそっと持っていくと、ぎゅっとにぎってくれた。年の離れた兄弟のようで愛おしい。ここからどんな夢を持ってまっすぐ目指して行くのかな。私も負けないよ!これから一緒に大きくなって行こう!と思いながら私は丁寧に、そして壮大に「壮」と命名書を書き終えた。

中学生の部 最優秀賞 神沢中学校3年 久田真生さん「記念写真と私」

 「早く早く、みんな並んでピースして!」私の母は、毎年無理矢理家族を並ばせて、通りかかった人に頼んで家族写真を撮る。それは桜の季節の山崎川だったり、紅葉の季節の香嵐渓だったり、ディズニーランドだったり花鳥園だったり、様々だ。その時々の椅麗な景色や旅行先の楽しそうな場所で、毎年家族四人で必ず写真を撮るのだ。

 小学校高学年の妹と中学三年生の私は、家族と出かけることもだんだんと減っているが、この写真撮影には必ず付き合わされる。少し面倒だな、と正直思ったりもする。妹とはよくけんかもするし、父や母とぶつかる時もある。しかし、嫌々付き合わされている、と思うこの家族での外出の時は、不思議と楽しい気分になったりする。四季折々の美しい景色をながめ、散歩をしたり、自分でもスマホで景色の写真を撮ったりする。歩きながらすれ違う人たちも楽しそうにしていると、なんだか自分も楽しいような気がしてくる。家族とも、ここの桜はよく咲いてる、とかあそこのカフェでちょっと休けいしよう、とか話をしながら歩く。

 母がこだわる家族写真は、毎年年賀状に使われる。リビングにある写真立てには、私が生まれてから今までの、毎年の年賀状が飾られている。「みんなの成長が見られていいでしょう。だから毎年、必ずこうやって撮るんだよ。これからもずっと撮るからね。」と母は笑う。確かに写真をながめると、その時々の家族の出来事がよみがえる。ああ、この時妹はまだ赤ちゃんで、泣きわめいた後だったな。この時はたくさんの鳥に囲まれて幸せそうな私を見てみんな笑っていたな。小さい頃はよく妹と私二人おそろいの服を着ていたな。

 どの写真にも共通しているのは、みんな楽しそうで、それは私と妹の子ども二人はもちろんだが、私たちを見守る父と母が、よりうれしそうだということだ。

 故郷が山口県と遠い母は、私たちが小さい頃、なかなか周囲に頼ることもできず、父と協力して一生懸命私たちを育ててくれた。父も仕事が忙しく帰宅はいつも遅かったが、帰って来てからは明るく、食卓はいつも楽しかった。父と母は、二人で年月を重ねて、家族をつくっていたんだなと思う。

 私が将来結婚したり、子どもを産んだりした時は何でも手伝うからね、と母はよく話す。私にはまだまだ遠い未来のように思えるが、私もいつか新しい家族をつくるんだなと思う。家族から家族へ広がって、どんどんつながっていく。私もそうやってつながった輪の中で生まれてきて、今こうやって毎日生きているのは、ありがたいことなんだと思う。

 もうすぐ夏が終わって、紅葉の季節になったら、また母の写真撮影に付き合おうと思う。リビングの写真立てが増えていくのをながめて、毎日をがんばろうと思った。

中学生の部 優秀賞 神沢中学校3年 永田蒼惟さん「スマホと食事」

 「コラッ食事中にはスマホを触わらない。」そう言って父は最近私に怒ってくる。行儀が悪いのは自分でも分かってる。スマホは決して綺麗なものではないし、食事中に触わるものでもない。分かってはいるのだ。

 でもやっぱりスマホを触わりたくなる。何故なら私は正直言って家族との食事が好きではない。理由もしっかりある。

 私の家族は両親と祖母、年が離れた社会人の姉二人、計六人で生活している。そんな中で食卓を囲んで繰り広がる会話なんて。各職場の人の善し悪しや愚痴。それに加えて「バイタル」や「キューオーエル」といった専門用語ばかりが飛び交っている。

 中学生の私にとっては大人の現実を見ているようで楽しくないし、理解も共感もできない。

 だからつい、私が好きなアニメやドラマがある夢の詰まったスマホを食事中でも触りたくなる。

 しかし、だからといって私は家族が嫌いな訳では全くない。時には旅行をしたり、ゲームをしたり、行事を一緒に過ごしたりと、家族の仲は良いしむしろ好きである。

 ある日、私は洗面所の家具の配置が換わっていることに気が付いた。配置が変わると共に、近くに置いてあった筈の私の部活用具が無くなっていた。それを母に尋ねると、どうやら私の部屋に置いてくれたらしい。

 ついでに母に洗面所の家具について聞いてみた。すると母はこう答えた。

「昨日の夕飯で話したじゃない。」

と。

 母が無意識に言った言葉が私を突き放したように感じた。たしかに私のすぐ隣で話題にしていた気もする。だが私が昨日の夕飯から思い出せるのはスマホでみていた恋愛ドラマと夕飯に苦手なもずくが出たことだけだった。

 私は父が注意してもやめられなかったスマホが、家族と過ごせる残り時間を早送りしていることに気が付いた。

 スマホを触っても、そうでなくても、流れる時間の量は一緒である。しかし家族と過ごしたと言える時間はスマホを見る度、段々と確実に減っているのだ。

 スマホから見るものは、いつみても充分同じ楽しさ、おもしろさを味わえる。だが家族との時間はそうはいかず、一人一人の今だからこその気もちがある。

 今その瞬間の家族とだからこそできる会話や思い出が必ずある。私はそれらをスマホに奪われることのないように食卓ではスマホを遠慮しようと思った。

 そしてその分、スマホで忘れていた母のあたたかい料理を「ありがとう」という会話を食卓では交わそうと思った。

中学生の部 努力賞 伊勢山中学校1年 田内絵梨香さん「優しいじいじ」

 私の家は五人家族で、生まれたときから、ずっとおじいちゃんと暮らしています。私たち家族は、おじいちゃんのことを親しみを込めて「じいじ」とよんでいます。 

 幼い頃から私はじいじとのたくさんの思い出があります。

 私が幼児園に入るまで、お母さんが家事をやっているときに、じいじが私の大好きなおままごとをして一緒に遊んでくれました。幼かった私でもこのことは鮮明に覚えていて、嬉しかった記憶があります。

 幼児園に入ってからは、毎日じいじが送り迎えをしてくれました。晴れている日は手をつないで歩き、雨の日はじいじの車で送り迎えをしてくれました。帰り道の途中でじいじの友達からお菓子をもらって歩きながら食べて家まで帰るのが楽しみの一つでした。雨の日は車の中で、好きなテレビを観せてくれて、家に着いたのに車から降りるのが嫌で番組が終わるまでじいじもずっと降りずに、待っていてくれました。

 小学校に入ると、放課後に友達と遊ぶ約束をした私をじいじは、嫌な顔一つせず友達の家や公園までの送り迎えもしてくれました。

 お母さんが忙しいときは、じいじが習い事のバレエの送り迎えを車でしてくれました。

それから、じいじは八十歳になったときに車の運転免許証を返納しました。返納することを知ったときは、思い出がたくさんつまったじいじの車と別れなくてはいけないのかと一日中泣いて悲しみましたが、その後は地下鉄を乗り継いで十二駅先のバレエスタジオまで変わらずじいじが送ってくれました。お母さんがお迎えの時間に間に合わない時は、じいじが迎えにも来てくれて帰り道の途中で夜ごはんを食べに連れて行ってくれることがとても嬉しかったです。食べに行くお店はいつも私に選ばせてくれて「行きたいお店はどこ?そこ行こう。」と優しく言ってくれました。

 家でお母さんに叱られて泣いている私をじいじの部屋に呼んで優しくなでてくれたり抱きしめてくれて泣き止むまでずっと話を聞いてくれました。

 私が小学校高学年になると友達とバレエに行くようになり、じいじと一緒に地下鉄に乗りバレエまで送ってもらうこともなくなりました。今年の夏は、自宅から一人で区外のお母さんの実家に電車で行けるようにまでなりました。これも全部じいじがいつもバレエに地下鉄で送ってくれたおかげだとじいじに感謝の気持ちでいっぱいです。これからは私がじいじをいろいろな所につれていってあげたいと思います。

 じいじ、いつもありがとう。

中学生の部 努力賞 神沢中学校2年 森友季菜さん「伝えたい愛」

 私は、家族のみんなが大好きです。でも、そんな家族への愛を、私から家族のみんなに伝えたことはありません。もっと小さいころの私だったら、素直に伝えられたかもしれません。でも今は、伝えたいとは思うけれど、なかなか言い出せません。

 パパは、家族の中で一番私を心配してくれています。勉強しているとたびたび部屋をのぞいて「休憩したら?」「頑張りすぎじゃない?」と声をかけてくれたり、ジュースやチョコを差し入れてくれたりします。私が中学生になってからパパと話すことは少なくなったし、話すときも恥ずかしくて目をそらしてしまうけれど「そうなの?」と驚いたり「なるほど!」と納得できたりするパパの話をこれからも聞きたいです。私はパパが大好きです。

 ママは、家族の中で一番私を応援してくれています。どんな相談をしてもいつも自分のことのように真剣に聞いて、全力でアドバイスしてくれるので、ママに相談すると心がすっきりします。でもときどき、ママの全力のアドバイスを素直に聞かないことがあります。それは、ママのポジティブすぎるアドバイスにネガティブな気持ちになってしまっているだけで、ママが私を応援してくれていることは、ちゃんと分かっています。私はママが大好きです。

 唯人は、家族の中で一番私を笑わせてくれます。唯人の冗談やモノマネには、毎日おなかが痛くなるくらい笑っています。唯人が私に甘えて、よしよししたり抱きついたりするときも、恥ずかしさとうれしさで照れ笑いしています。去年、そんな唯人のポスターが最優秀賞に選ばれたときは、唯人のことがとても誇らしかったです。私は唯人が大好きです。

 裕哉は、家族の中で一番私をいやしてくれます。唯人の真似をして甘えてくるときは、かわいくて思わず抱きしめたくなるし、友達と遊んでいるときの裕哉の満面の笑みを見て、私まで楽しい気持ちになります。末っ子らしくわがままを言うときは、そのわがままにあきれながらも「このわがままも今だけか…」とさみしく思っています。私は裕哉が大好きです。

 家族への愛を言葉にしてみると、この気持ちを家族のみんなに伝えたいという気持ちが大きくなりました。でも最初に書いたように、伝えたいとは思うけれど、恥ずかしくて照れくさくて、なかなか言い出せません。それに、この気持ちを伝えることで、今の家族の関係が変わることが怖くて、その勇気が出ません。

 だから私は、家族のみんなが私を大切にしてくれているように、私も家族のことを大切にすることで、家族への愛を伝えることにしました。「ありがとう」「ごめんなさい」をちゃんと伝えたり、無駄に気を遣わないようにしたり、家族とのお出かけを楽しんだりして、私が家族の一員であることを当たり前に思わないようにします。私は家族のみんなが大好きです。

中学生の部 努力賞 神沢中学校3年 山梨胡桃さん「お母さんの病気」

 私のお母さんは今年病気になりました。お母さんが病気になってから私の家族は変わったと思います。お母さんは病気ということが分かってからどんな質問にも答えることが出来るように病気の勉強をしていました。なので私も気になったことは聞いてみるようになりました。そして自然と家族で話す時間が増え、自分達は何が出来るのかを考えてみたり、相談してみたりしました。今までの生活をみんなで考え直してみる良いきっかけになったと思います。

 そして協力することも増えたと思います。お母さんが家事をやっていたのをお父さんが洗濯物を干したり、皿洗いをやる機会が増えました。仕事から帰って疲れて寝てしまう時もあるのに文句何一つ言わずに家事をしてくれて感謝しないといけないなと思いました。私とお兄ちゃんも協力して洗濯物を取り込みました。二人でやっていても風が吹いた時にせっかく干した洗濯物が落ちそうになっていつもこれを毎日一人でやっているお母さんは凄いなと感じました。お母さんがお手伝いを必要としている時は言われなくても出来る人になりたいです。

 次にお母さんが病気になって良かったことは二つあります。一つ目はお母さんがいないと私の家は回っていけないことが今回でよく分かりました。私はお母さんの思いやりに気付きました。普通だったら面倒くさくてやる気にならないことを家族のためにやってくれていました。母は偉大とはまさにこのことで凄いなと思いました。

 二つ目は命の大切さと家族の温かさを知ることが出来ました。お母さんが病気と聞いてお父さん・お兄ちゃん・私自身も病気にならないように意識するようになったと思います。手術に向けてコロナに感染しないように手洗いうがいをよくするようになったり、なるべく健康食品を食べるようになったりしました。これもお母さんが病気になっていなかったらこんな風にはなっていなかったと思います。そして手術前になるとおじいちゃんやおばあちゃん、いとこの家族などが応援のメッセージを送り合っていてお母さんだけではなく私もうれしくなりました。

 お母さんの病気が見つかってからみんな大変なことがあったけどその分病気が私達家族に当たり前ということの大切さを教えてくれました。今の当たり前はいつどうなるか分かりません。だから毎日一日一日を大切にしていきたいです。そしてどんなことがあっても笑って過ごしていれば乗り越えることが出来ると分かったのでこれからも笑って毎日を頑張りたいと思います。

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