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天白区の概要

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このページを印刷する最終更新日:2012年10月26日

「天白」の由来

天白川と植田川の合流点

 明治39年(1906年)、四つの村、平針村・植田村・弥富村(中根を除いた地域、現在の昭和区の一部を含む)・島野村から現在の天白区の前身である天白村が誕生しました。

 「天白」という名称は、この地を北東から南西に貫流する「天白川」からとって名づけられました。天白川という名称は、下流の流域に天白社が祀られていたことによります。

 緑区鳴海町に「字天白」という小字名があり、昔の東海道の天白橋のすぐ東の土地です。そこに天白社があったといわれています。天白社には天白神が祀られており、中部地方を中心に全国で122の天白社があります。

 この天白神が祀られている場所は、大きな川の下流や海岸が多いため、河川の暴流を防いで田畑を守る神であり、街道を行く旅人を怒涛から守る神でもあったといわれています。

(愛知県郷土資料刊行会「天白区の歴史」より)

新しいまち てんぱく

天白区は名古屋市の東部に位置し、南側は緑区、北側は名東区、西側は千種区・昭和区・瑞穂区・南区と接する。

 天白区は、名古屋市の東部丘陵地帯に位置し、南側は緑区、北側は名東区、西側は千種区・昭和区・瑞穂区・南区と接しています。

 昭和50年2月に昭和区から分区独立して誕生した名古屋市の中で一番新しい区です。 かつてはのどかな農村地域でしたが、土地区画整理事業による優良な宅地の造成と道路の整備や地下鉄と市バスの公共交通網の整備により平針住宅、島田住宅、相生山団地といった大規模な集合住宅や、多数のマンションなどが立ち並ぶ住宅地域として発展してきました。

 平成16年地下鉄名城線が環状化され、平成23年には国道302号線の開通、地下鉄桜通線の野並-徳重間が延伸し、交通の利便性がさらに向上しました。区域にはまだ宅地等として供給可能な土地もあり今後さらなる発展が期待されます。

 本格的な室内アリーナや温水プールを完備した「天白スポーツセンター」、室内外20面のテニスコートを備えた全国屈指の規模を誇る「東山公園テニスセンター」、家族連れの皆さんで大いににぎわう「名古屋市農業センター」、天白の文化の発信地「天白文化小劇場」など、さまざまな施設も整備されています。また、区内や隣接する地域には大学も多数あり、若い人たちが多く集まりにぎわいのあるまちが形成されています。

 区の中央部を横断するように天白川が流れ、河川敷の「天白川緑地」では四季を通じて散歩を楽しむ人々が訪れます。区の南西部にある相生山緑地では、市民や地主の皆さんのご協力により、緑地内の雑木林などで自然とふれあうことができる「オアシスの森」が整備されました。また、区の南東部にある荒池緑地は、早春には「しだれ梅まつり」で賑わう農業センターを有する約60ヘクタールの豊かな自然が残る緑地です。毎年区民まつりが行なわれる「天白公園」は、区内でも規模の大きな公園で、里山を活かしつつ親しみやすい公園として整備されています。このような豊かな自然環境も、天白区の財産です。
 こうした恵まれた環境を活かし、川と人との共生を考える、天白「川辺の楽校」や、農業センター付近を核とした「荒池なごやかファーム構想」により、市民の皆さんとともに歩む「まちづくり」が進行中です。

 これからも、豊かな自然と調和を図りながら、個性と活気にあふれた潤いのある住みたくなる「太陽と緑のまち天白」をめざします。

行政の沿革

 江戸から明治へと時代が移り、さまざまな改革が行われましたが、行政単位にも多くの移り変わりがありました。
 明治4年(1871)廃藩置県の公布から、明治11年(1878)郡区町村編成法を経て、明治21年(1888)市町村制の公布により、島野村(島田・野並)・植田村・平針村・弥富村(八事を含む)の4村が置かれました。

 明治39年(1906)新市町村制公布により、上記4村を廃止し、その区域(弥富村字中根を除く)をもって天白村が成立しました。村役場は、はじめ島田地蔵寺境内に仮設置され、大字島田字石薬師(現在:池場二丁目、天白信用農業協同組合事務所の東隣)にできたのは大正10年(1921)のことでした。この建物は、愛知郡役所建物を移築したもので、以後村行政の中心として、また名古屋市への合併以降も区の支所として住民サービスの中心となって永く使用されました。

 かつて米麦中心の農村であった天白村は、昭和30年4月5日、村民の長年の夢であった名古屋市への合併が実現し、昭和区天白町となりました。その後数年間は農村型のまま大きな変化はありませんでした。しかしながら、国の高度経済成長政策に伴って、産業と人口の都市への集中が進み、名古屋市が中部経済圏の中核都市として整備されていくにしたがい「太陽とみどりのまち天白」は、名古屋市の住宅地として注目され、開発が急速に進みました。
 昭和36年以降相次いで土地区画整理組合が設立され、幹線道路の新設拡張、学校・住宅団地等の用地の造成が大幅に進み、かつての山や田畑は生活環境の整った住宅地に変ぼうし、今日のまちづくりの基礎がつくられました。

 名古屋市合併当時12,800人であった人口は、昭和40年代に入って飛躍的に伸び、住民サービスの向上と行政の充実のため、昭和50年2月1日人口 87,931人、世帯数27,426世帯をもって昭和区から分区独立しました。昭和51年3月には、現在地に新庁舎が完成し、天白村から続いた旧庁舎から移転しました。

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