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史跡散策路「清流と神社・寺院コース」

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このページを印刷する最終更新日:2009年8月24日

ページID:1031

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1 栄久寺

浄土真宗。創建不詳。松雲山と号し、文明12年(1480)永照法師室賀多門が伽藍を建てる。当初は、現在の飯田街道の南に建っていたが、天白川がたびたび氾濫するので水難を避けるため、文化3年(1806)現在の地に移された。

2 泉称寺

浄土真宗。創建不詳。常喜山と号し、天台宗であったと伝えられるが、大永3年(1523)浄土真宗第9代実如上人に帰依し、改宗。当初は、現在の飯田街道沿いに建っていたが、天白川の洪水の被害から逃れるため、享保19年(1734)3月現在の地に移された。

3 全久寺

曹洞宗。福田山と号し、文明3年(1471)将軍足利義政の命により、遠州横地城から植田城主となった横地秀綱が建立。当初は、現在の飯田街道南側に建っていたが、天白川の洪水の被害から逃れるため、寛政4年(1792)頃現在の地に移された。昭和48年RC造りに改築。

4 植田八幡宮・大正天皇御乗馬跡

祭神は応神天皇。創建不詳。天正8年(1580)植田城主横地権蔵秀住の家臣室賀久太夫によって修造された。境内には、大正天皇が皇太子のとき明治41年に陸軍大演習を観覧された折、愛馬「藤園」に御乗馬になった跡の記念碑が建っている。なお、神社境内にあった古墳は、約1500年前の古墳時代中期ものものである。その古墳は、昭和49年に八幡宮が大改修された際、後円の下部のみ残し大部分が削りとられて原形をとどめていないが、その大きさは、前方部の長さ40m、後円部の高さ6m、全長80mもある大きな前方後円墳であったといわれている。

5 天白川・寄鷺橋

区のほぼ中央で天白川と植田川が合流し、天白川となり南区を抜け海へ注いでいる。合流点付近に東海地方では珍しいニールセンローゼ型の人道橋「寄鷺橋」がある。また、「天白川天白護床工」は、植田川との合流点につくられた河川管理施設、馬蹄形で段状という特異な形により見事に自然と調和をさせ、快いせせらぎの音を創出したところが高い評価を受け「名古屋市都市景観大賞」を受賞した。河川敷には公園、サイクリングコースがある。川に沿って上流から「平針原緑道」から「菅田緑道」があり、清流を泳ぐ魚や水鳥などを眺めながらジョギングなどが楽しめる。

6 地蔵寺

曹洞宗。嘉吉2年(1442)樵山和尚が島田山広徳院として創建。延徳3年(1491)大洪水があり寺殿を破壊されたが、鳴海の瑞泉寺の秀建和尚が、明応9年(1500)本殿を再建、島田山地蔵寺と改称。永禄3年(1560)桶狭間の合戦の折、焼失。その後、牧義次の男右近義汎が再建し、古厩山地蔵寺と改名。なお、別棟に祀られている地蔵尊は熊坂長範の盗馬変毛の伝説がある。また、雨降地蔵ともいわれる。

7 島田神社

祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命を始め九柱を祀る。創建不詳。この神社には、島田城主であった斯波高経(牧氏の祖)が貞治年間(1362から1367)島田城を築くにあたり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていた。明治42年池場の神明社、八幡社、天神社を合祀の上、さらに黒石の山神社、天神社を合祀し黒石に移る。大正12年現在地に鎮座し、同15年天神社、秋葉社を境内に祀り、名称も島田神社と改めた。

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