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中川まちなか博物館「佐屋街道と尾頭橋」

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このページを印刷する最終更新日:2019年12月23日

ページID:78505

銘板の概要

佐屋街道の解説、尾頭橋・尾頭の地名由来、佐屋街道の絵、佐屋街道を走っていた市電の写真が掲載されています。

歩道側(イメージ画像)

佐屋街道と尾頭橋
銘板の本文

佐屋街道(縁起)

東海道の熱田宮宿から桑名宿までの海路「七里の渡し」の迂回路として江戸時代に開設された陸路の脇往還。佐屋路(さやじ)とも呼ばれる。船旅は天候次第で欠航、また船酔いや犯罪に巻き込まれやすい子女等の迂回路として往時、盛んに利用されました。

尾頭橋/尾頭(地名由来)

尾頭橋「即ち、佐屋街道の往還橋なり、町の名を取りて如此唱(かくのごとくとな)へり」と尾張藩郷土資料「張州府志(ちょうしゅうふし)」に記述。

尾頭 現・牛立町にある尾頭山願興寺は尾張最古の寺で白鳳時代、世界遺産の奈良元興寺の分院として道場法師(どうじょうほうし)が古渡村に建立。

道場法師の生誕時、霊蛇が首筋にまきつき蛇の尾と頭が並んで後ろに倒れていた故事[日本霊異記に記述]より山号を尾頭山と命名したと伝わる。

一時廃寺となるが鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)(源為朝)の次男、次郎義次により再興。その義次、平氏の源氏討伐より逃れ熱田神宮にかくまわれた後、朝廷を悩ませた賊を成敗。恩賞として現在の金山から古渡、尾頭橋を含むかなり広範囲の領地を拝領、法師故事にちなみ尾頭次郎義次と名乗り居城。それ故、廃城後も一帯を「尾頭」と言い伝えられている。(由来については諸説あります)

願興寺は、織田信秀が古渡城を築城する際当時尾頭村より現在地に移る。

※「中川区の歴史」他、参照 

設置場所

尾頭橋通交差点付近
尾頭橋三丁目1505番2地先

このページの作成担当

中川区役所 区政部 地域力推進室 地域力推進係
電話番号: 052-363-4321
ファックス番号: 052-362-6562
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