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大森の歴史を訪ねるコース

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このページを印刷する最終更新日:2017年5月17日

コース

東島公園→郷蔵→八剱神社→大森寺→交通安全地蔵→雨池→雨池公園(学校公園)→斎穂社→白龍社→法輪寺→東島公園(約4キロメートル)

コースの主な見どころ

1 郷蔵(ごうくら)

郷蔵

江戸時代に島(地区)ごとに作られ、年貢米や備蓄の穀物などを入れておく共同の穀物蔵は郷蔵と呼ばれていた。大森の土地区画整理後には殆どの郷蔵は姿を消したが、ここ大森の中之島の郷蔵は残り、現在、共有の祭礼の道具などが保管されている。

2 八剱神社(やつるぎじんじゃ)

八剱神社

祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・天之火明命(あめのほあかりのみこと)。延暦(えんりゃく)12年(793)大森北八剱に創建。のち元郷から昭和2年(1927)に現在の高台に遷座された。境内には土地区画整理により多くの神々が移され、厄年の方々の寄進による石造物が多い。

3 大森寺(だいしんじ)

大森寺

尾張二代藩主・徳川光友が、生母・歓喜院(かんぎいん)の菩提寺として、母の故郷であるこの地に寛永元年(1661)に創建。境内には歓喜院の御廟(ごびょう)がある。本堂に鎮座するご本尊・阿弥陀如来像は、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)によって千年程前に作られたと伝えられている。

4 交通安全地蔵

交通安全地蔵

昭和23年(1948)1月5日、名古屋鉄道瀬戸線旭前から大森(当時)間で急行列車が脱線転覆し、死者35名、負傷者154名となった。犠牲者の冥福を祈るため、同年5月篤志家が「交通安全地蔵」を、翌年1月会社が「殉難之碑」を建立した。

5 雨池(あまいけ)

雨池

江戸時代初期、台地上に新田を開発するため造られたと考えられている。谷の出口に堤を築いて雨水や湧水を溜めている。濃尾地震の時、堤が崩れ洪水が発生した。現在は農業用水源としての役割は終え、治水と環境のために利用されている。

6 雨池公園(学校公園)

雨池公園(学校公園)

「名古屋市設置1000カ所目の公園1988.3.28」と刻まれた記念の石碑が公園内に設置されている。隣接する大森北小学校と公園を隔てる塀や道路がなく、一体的に整備された「学校公園」となっている。ちなみに1番目の都市公園は鶴舞公園(つるまこうえん)。

7 斎穂社

斎穂社

天武5年(676)、新嘗祭(にいなめさい)の斎田(天皇が神々に献上するための米や粟などを耕作する田)が尾張国山田郡渋川に設けられた。その際、刈り取った稲を集める場所として建てられた稲穂神社が、斎穂社の由来とされる。

8 白龍社

白龍社

水の神である龍神を祀る社。大森八龍の山を水源とした水の恵みや、水害を鎮める村人たちの信仰の場であった。境内には龍神の小祠(しょうし)と、その横に自然石で作られた龍神碑がある。また瀬戸街道に面してバス待合所があり、名鉄のバス停があった名残である。

9 法輪寺

法輪寺

寺は昔、矢田川の畔にあり、水害で現在地に移転した。平安時代末頃平家追討の時、源義経の家来、佐藤兄弟の戦死を母が知り、供養のため諸寺巡拝の途中に寺の前身正宗庵(しょうそうあん)に滞在し、子供の供養に寺を作り直した。山門の脇に兄弟と母の供養塔がある。

まちあるきマップ

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まちあるきマップ表・裏面
まちあるきマップ中面

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