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司会:

本日は、港区多文化共生推進協議会顧問の岡本昭二さんにインタビューをさせていただきたいと思います。日本人とブラジル人の共生にご尽力されました岡本さんの、まずは人となりについて伺いたいと思います。御年90歳でいらっしゃいますが、お若い頃のエピソードを教えてください。

岡本:

私は滋賀県大津市で生まれたんですが、若い時に予科練で、18歳で海軍特攻隊にいたんです。その時に30人の小隊長をやれと言われてやっておったんですけど、奈良の航空隊におったもんで、奈良まで早駆けでみんな駆け足で行ったんです。向こうまで着いたら帰りに走れんやつが出てきて、何が何でも連れて行かないかん、肩に手をひっかけてでも走って帰るぞということで、全員揃って引きずって帰ってきたということがありました。

岡本昭二さんの写真

司会:
早駆けの際、食事がかかっていたとか。

岡本:
体育などの時に棒倒しで負けたら、「昼食はなしだ」と、そういうことはありましたね。訓練でも死に物狂いですね。昼飯がかかっているので。

司会:
その頃から今の岡本さんが作り上げられていたというか、リーダーシップというのが出来上がっていたんでしょうね。

岡本:
未だに肌身離さず持っている写真が一枚だけあるんです。

岡本さんが海軍特攻隊にいた頃の様子










⇦岡本さんが手帳から取り出し見せてくれた戦時中の写真です。

司会:
よく残ってましたね。

岡本:
これ、7つボタンと言うてね、一時、歌にも歌われたね。襟の処には鷹の羽みたいなのが付いとった。これだけ大事に一枚残してある、記念に。

司会:
その後、戦争が終盤にかかって…

岡本:
私は奈良の航空隊におった。米軍も奈良と京都は爆撃しない、重要文化財がたくさんあるんでね。一緒に行った連中で別の基地へ回されたやつは、爆撃で死んだ。そういう点もね、私は恵まれとったなと。

司会:
戦争中はそうした紙一重の差で生死が分かれてしまうんですね。
その後、名古屋の港区にみえたきっかけは。

岡本:
住友軽金属、今のUACJ、名前が変わったけどね、あそこに勤めていて、自動車のピストン関係の型を専門にやっていた。型を作る人がおらんかったもんで、昭和24年に強引に引っ張られてこっちへ出てきた。名古屋に来てしばらくして今の家内と一緒になったね。

司会:
上司に見込まれ、伴侶もできてということですね。その後、区政協力委員をやっていただくことになったと思いますが。

岡本:
中川小学校から分校として東海小学校ができたんですね。その時にちょうど切り替わる時でしたね。というのはね、九番団地ができた関係で昭和50年に中川小学校の分校ができて、学区独立する準備委員会に推薦されたんだな。最初は役をやるのはいやだと言っていたのに、体育委員をやらされて、それからだわね。その前に町内会長をやっていたんだけど、家内の在所がこの辺一帯の大地主で、あそこの旦那だったらいいだろうということで・・・。私たち夫婦も保護司をやっていて、それで区政になった。

司会:
役を頼まれるというのは、地域での人望あってのことではないでしょうか。体育委員から始まって、区政協力委員を15年、さらに委員長を20年勤められましたね。どんなご経験をされましたか。

岡本:
どっかに書類があったな…。ずーっと書いたやつがあったんだ。

岡本さんが昔の書類を見る様子

岡本:
これ、東海小学校独立について、学区資料として保存すると書いてある。中川小学校の分校から2年間、昭和50年、51年が分校だと、昭和52年4月1日から東海小学校として独立、その時に学区も各種団体連絡協議会として独立した。昭和53年に南北どんぐり広場、汽車道のところに子供の遊び場を作ってやってくれということで、あれもJRの土地を買って、市の協力を得て公園を作ってもらった。それから昭和57年に南郊公園の開園式があった。九番団地の向こう、千年のほうからまわってきて、そのあと昭和59年に東海公園を市が買い上げてくれるなら話してもいいと、すぐに部長のところに座り込んで、「あの話はどこまで進んだ」と毎月1回ずつ話していたら、ようやく市が買い上げてくれて、12月にできた。それで開園式をやって、公園で盆踊りをやったりした。これができたもんで、南郊運河の埋め立てをお願いしようと。あれがね、NTT(現、南十番町ショッピングプラザ)の北側で子供達がザリガニ取りに行くのに危険だということで言ったんですけどね、平成6年に埋め立て工事の認可が下りて、工事が始まった。

現在の南郊公園の様子

司会:
交渉して約10年ですね。

岡本:
それから平成11年にコミュニティセンターを作るといって埋め立てて、できた。

司会:
そうした中で、ブラジル人がたくさん住み出して「市内最大の集住エリア」とまで言われた九番団地の多文化共生に取り組まれたんですよね。

岡本:
平成 13年11月17日に九番団地の集会所にて日本語教室を開講するということになった。名大教授の今津先生がボランティアでやろうということで、学生を連れて来てやってくれた。そのあと、今の人たちが引き継いでやってくれている。で、土曜日の、それも夜の7時から9時までの間、1週間に1回しかない、働きに行ってるもんでね。2時間しかないんだけど、あくる日は休みだで、30人くらいいつも来てくれていた。で、いまだに続いている。永久にやってもらわないかん。私が委員長の時は毎回必ず行っていたが、今でも時々、菓子持って行っているよ。
それから、九番団地の前に違法駐車があって、警察に言ったら違法駐車の看板やステッカーを日本語で作って持ってきてくれた。でも立てたら「こんなものわからない、邪魔になる」と言ってほかされてだね、日本語分からないから。それで解決できなかったもんで、なにかいい方法はないかと警察と相談して、ポルトガル語で作ってくれと言って、作ってもらい貼りだしたら理解してもらえた、ここは駐車禁止だと。
同時に日本語教室やろうかと。日本語も読めるようにということで、今津教授がグループ作って日本語教室を始めてくれた。それが今も続いているということですわ。

司会:
今津教授と岡本さんの出会いのきっかけはどんなことでしたか。

岡本:
港明中学校のPTAをしていた時に講師でみえてね、何か困ったことないかねと言われ、言葉の問題が一番困ると。だったら日本語教室やったらどうかということで始まって、1期くらいはやってあげると、そのあと日本人を入れてということなんです。

司会:
そうすると駐車違反の話があったすぐあとくらいで、ちょうど今津教授との出会いがあったと。すごいタイミングでしたね。

岡本:
そういったことで今津教授とは、だいぶ長い付き合いになる。

司会:
そして、港区多文化共生推進協議会が立ち上げられましたね。

岡本:
平成14年1月だったかな、会ができたのは。その時に、今津教授が私に会長やれと言ってきて、この時に多文化共生推進協議会というのが港区で始まったんだね。

司会:
協議会を作ってよかったことは、どんなことですか。

岡本:
団地の人なんかでも、外国人も喜んでくれて、日本語教室はいつまでもやってほしいと言ってくれた。なかなか向こうの人が勉強しようとしても行けないもんでね。1週間に1回しかないけど、働いていて休みの前の日には、帰って来たら2時間ずつ日本語を教えてもらえると、また友達もできるということで、喜んで来てくれたというのがよかったですね。

司会:
駐車違反のステッカーの話でもそうですが、まずはやはり言葉の壁を取り除こうというのが、岡本さんの思いがあったと。サッカー広場もやられていましたね。これはどういったきっかけだったんですか。

岡本:
はじまりは、言葉が通じなくても何かもっといい方法がないかと考えたところ、外国の子供らがサッカーをしていた。ちょうどそのとき稲永スポーツセンターの管理人と知り合いだったのでそこで始めたのがきっかけ。

司会:
言葉が分かるとお互いの思いが通じるので、そこは大きいですね。
九番団地では「国際交流のつどい」を毎年やっていますが、そこでサンバをみんなで踊ると。岡本さんが自らその輪の中に入って踊っていたと耳にしましたが。

岡本:
うん。今は亡くなってしまったが、団地の自治会長やっていた金丸さんなんかも、戸数がたくさんあるので、協議会の副会長やらしてさ、それで一緒にやっていたよ。団地でやる時は場所を提供してくれたりとかね。

司会:
話を伺っていると警察もそうですし、今津教授もそうですし、金丸さんもそうですが、岡本さんの周りにたくさん人が集まって来て、協力してくださる方がたくさんいらっしゃるんですね。

岡本:
そうですね。未だに子供の勉強を見てくれる人もいるわね。

司会:
数々の取り組みをされてきたと思いますが、そうしたことを続けられる中で、これは大変だったというのは何かありますか。

岡本:
そう大変でもなかったけどな、30何年も区政やっとったらさ。

岡本さんが笑顔で話す様子


司会:
知らず知らずのうちに人が寄ってくるんでしょうね。今後、港区だけでなく外国人がさらに増えていくと思われますが、今後の多文化共生についてどんなことを望まれますか。

岡本:
九番団地を抱えている以上、今喜んでもらえるのは子供はサッカーですわ。それと日本語教室を続けてほしいということですね。これは協力してずっと続けて行ってもらいたいと考えてますね。

司会:
これだけはみんなに聞いてほしいことなどはありますか。

岡本:
いや…。自慢たらしいで、あんまり言わんようにしとるけど、日本語教室はこれからも続けて行ってほしいね。

司会:
やはり言葉の壁を取り除くということですね。今日は貴重なお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。

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