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気になるオブジェ

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このページを印刷する最終更新日:2017年2月1日

ページの概要:港区内にあるちょっと気になる風景・施設などの紹介

防災行政用無線アンテナ塔

港区役所の北西にある白い防災行政用無線アンテナ塔

港区役所・港防災センターの北西にある白い塔(写真参照)をご存知ですか?
これは防災行政用無線アンテナ塔といい、平成2年3月に建設されたものです。
この塔の上部には、パラボラアンテナが5基設置されています。
このアンテナで電波を送受信し、ほかの区役所などと無線のやりとりをしています。
この無線は「行政無線」と呼ばれ、災害時には連絡手段として特に重要な役割を果たします。

なお、東山スカイタワーの上部にもパラボラアンテナが設置されていて、この鉄塔と共に無線ネットワークの中継基地としての役割を果たしています。
高さ58.5メートルという高い塔なので、上部からは周囲が見渡せます。
しかし、残念ながら中に入ったり登ったりすることはできません。

旧防潮壁の壁画

旧防潮壁に描画する小学生

名古屋港バスターミナルの北側にある、旧防潮壁。そこには、港が築かれた時代の写真や子どもたちが描いた絵などが並んでいます。
これは、地元のまちづくりグループ「夢塾21」と地域住民・行政が一体となり、役目を終えた防潮壁を平成16年にアートとしてよみがえらせたものです。
写真の並ぶコーナー「懐かしき築港」では、地元の方などの協力により集められた昔の写真が12枚展示されています。
また、お祭りを描いたかわいい絵も並んでいます。これは、西築地小学校の子どもたちと地元出身の若手アーティストとの共同作品です。
夢塾21の塾長さんは、「中央ふ頭が埋め立てられてガーデンふ頭になり、倉庫が取り壊されて水族館などになりました。港の様子が変わっても、素朴に港を愛する人たちと連携して、魅力的なまちづくりを続けていきます。」と語っています。
このほかにも、トリックアートや防潮壁の歴史などを記した銘板が見られます。
地域の人たちによるまちづくりの成果を、ぜひ一度ご覧ください。

なつかしい港の写真が飾られている旧防潮壁

港情緒あふれる錨の噴水

築地口にある錨の噴水

名古屋港の玄関口である築地地区。この築地口交差点の南西角には、錨を飾った港情緒あふれる噴水があります。
これは、名古屋市築地総合整備事務所(現在の臨海総合整備事務所)が、魅力ある港まちづくりプロジェクトを進める中、海にちなんだ道路整備のひとつとして昭和61年に設置した噴水です。
中央に設けられている水盤は、直径3.4メートル、高さ90cm。上から見ると南極大陸をかたどっています。その周囲には、南極の氷山を模した17個の花崗岩が置かれています。
水盤の中央にある、幅1.63m、高さ2.28m、重さ2.84トンの錨は、南極観測船「ふじ」の予備錨です。

南極観測船「ふじ」とは

「ふじ」は、昭和40年から18年間、南極観測を支えてきた砕氷船です。現在はガーデンふ頭に係留され、「南極の博物館」として公開されています。
「ふじ」には主錨2つ、予備錨1つが取り付けてありました。噴水に利用されたのは予備錨。主錨の1つは船に取り付けたままで残され、もう1つはガーデンふ頭に展示されています。

名古屋港跳上橋

堀川にかかる名古屋港跳上橋。現在は跳ね上げた形で保存されている。

入船一丁目に、この「名古屋港跳上橋」はあります。これは、昭和2年に旧東臨港線上に造られた可動橋で、堀川と中川運河とをつなぐ水路の堀川口に位置しています。当時は線路の一部として活躍しており、船が通行する際には橋げたを上げて水路への入り口を開けていました。
東臨港線の歴史は古く、名古屋港が開港して間もない明治43年にまでさかのぼります。この年、東臨港線は名古屋駅から2号地(現在のガーデンふ頭付近)南側の東端まで開通し、名古屋港駅も開業しました。その後、1号地(現在の築地ふ頭付近)東側の堀川口駅まで延長工事を行う際、この可動橋が整備されたのです。
しかし、昭和61年には時代の流れによって、この橋もその役目を終えました。現在では、この橋は国の文化財にも登録されており、名古屋港管理組合は橋げたを上げた状態で保存を続けています。

戦争の爪跡残す「10号地灯台」

10号地灯台

潮凪ふ頭・石炭受け入れ基地の南端には、トーチ型の「10号地灯台」が建っています。昭和14年(1939年)に建てられた当時は、この灯台は約175メートル北側にあり、ガス灯の明かりで港を照らし見守っていました。
しかし、第二次世界大戦の空襲により、この灯台にはたくさんの砲弾が浴びせられました。穴が開いて傷ついた外観は、当時の様子を現代に生々しく伝えていす。
残念ながら、灯台のあるふ頭内には関係者以外は入ることができません。遊覧船などに乗れば、海上からその存在をうかがい知ることができます。

鬼頭勘兵衛宅跡

鬼頭勘兵衛宅跡に残る長屋門

南陽中学校の南に、「鬼頭勘兵衛宅跡」はあります。
愛知郡八田村(現在の中川区)の豪農・鬼頭景義は、1631年から1657年までの27年間、新田開発や治水事業を行った人物です。1640年に福田新田を、1643年に西福田新田を開拓し、1676年に亡くなるまでこの地に居住していました。景義の子孫は代々ここに住み、勘兵衛を名乗る者が多かったため、この屋敷は勘兵衛屋敷と呼ばれました。
周辺には古木がうっそうと生い茂り、「かんべえの森」と呼ばれていましたが、太平洋戦争で建物のほとんどが焼失し、現在は「長屋門」を残すのみとなっています。

壁に埋めこまれた金庫

築地シティ住宅の壁に埋めこまれた古い金庫

地下鉄名古屋港駅のそばにある、築地シティ住宅。その壁面には、数字ではなくイロハニ…と刻まれたダイヤルを持つ、レトロな金庫が埋めこまれています。
昭和63年、名古屋市による築地地区再開発事業の一環として、この地にあった旧銀行ビルの取り壊しが行われることになりました。しかし、港町の景観を飾ってきたこのビルを惜しむ声は強く、何か残せるものはないか、という話がもちあがりました。検討の結果、ビル内にあった金庫が現在のような形で保存されることになりました。
住民参加のまちづくりの記念として残されたこの金庫からは、昔懐かしい雰囲気を感じることができます。

藤前干潟モニュメント

藤前干潟モニュメントの画像

稲永公園の南側の一角、名古屋市野鳥観察館と環境省稲永ビジターセンターの間に、この「藤前干潟モニュメント」はあります。これは、藤前干潟が2002年11月18日に、ラムサール条約の登録湿地となったことを記念したものです。
庄内川・新川・日光川の河口に位置する藤前干潟は、伊勢湾奥部で唯一残された大規模な干潟です。春秋の渡りの時期や越冬期には、南半球とシベリア・アラスカの間を行き来する渡り鳥のシギ・チドリなどが、この干潟でエサをとったり休息したりします。その飛来数は日本最大規模を誇り、渡り鳥にとって重要な中継地となっています。
このモニュメントにはスペイン産御影石が使用されています。これは、藤前干潟がラムサール条約の登録湿地となった第8回条約締結国会議が、スペインのバレンシアで開催されたことにちなんでいます。

ラムサール条約とは

水鳥の生息地などとして国際的に重要な湿地と、そこに生息・生育する動植物の保全を進めることを目的とする国際条約です。

ジェティ広場イルミネーション

ガーデンふ頭を飾るシャチとイルカのイルミネーションオブジェと花火

港の夜を飾るイルミネーション

ガーデンふ頭ジェティ広場で港の夜を飾る、イルミネーションオブジェについてのエピソードをご紹介します。
平成13年に水族館新館がオープンし、昼間のガーデンふ頭はたくさんの人で賑わうようになりました。そこで今度は、夜間にもガーデンふ頭のシンボルとなるものを設置しよう、ということになりました。そして検討の結果、シャチをかたどったイルミネーションオブジェの制作が決定しました。
制作過程では、より実物に近いものを目指し、水族館のシャチ担当者と何度も打ち合わせが重ねられました。制作作業は特殊技術を使って行われ、イルミネーションには5,000個もの色鮮やかに輝くLED(発光ダイオード)が使用されました。オブジェが広場に設置されたのは、平成16年11月のことです。
さらに半年後、この広場にイルカのイルミネーションオブジェを加えることになりました。これは、シャチの「クー」が名古屋港水族館にやってきたときに、友達のイルカ「ブイ」が一緒に旅をしてきたというエピソードがあったからです。
今では、2頭のオブジェが仲良く広場に並んでいます。幻想的に輝くシャチとイルカの待つ、夜の名古屋港へもぜひ足を運んでみてください。

トゥーラの戦士像

金城ふ頭にあるトゥーラの戦士像

金城ふ頭の「メキシコ大通り」入り口に、「トゥーラの戦士像」はあります。これは昭和53年、名古屋市とメキシコ市との姉妹都市提携を記念して、メキシコ合衆国から贈られたものです。
この像は、紀元11世紀から12世紀にかけて栄えたトルテカ王国の都「トゥーラ」のピラミッド上に建つ神殿の天井を支えていた、戦士像を模して作られたものです。頭には羽毛の頭飾り、胸にはトルテカ特有の蝶の紋章をつけ、一方の手に武具を、他方の手には装身具を持っています。また背面のベルト締め具は、太陽神の顔となっています。
一方、中区の久屋大通公園には姉妹友好都市提携を記念した広場があり、いくつかのモニュメントが設置されています。その中の「いこいの広場(メキシコ広場)」には、メキシコ市から寄贈された「トゥーラの戦士像」があります。

穀物サイロモニュメント

ガーデンふ頭にある穀物サイロモニュメント

ガーデンふ頭の水族館南側緑地には、モニュメントとして整備されている穀物サイロがあります。
このサイロは1955年、輸入穀物を効率的に受け入れるために食糧庁によって建設されました。高さ28メートルの円筒形の建物は、「スライディング工法」という当時の最先端技術で造られ、継ぎ目のない美しい仕上がりが特徴となっています。
その後、名古屋港における輸入穀物の取扱量が増加していく中で、サイロ業務は大規模で高能率な民間サイロに移行されていき、1994年3月、39年間の業務に幕を下ろしました。
サイロについては「撤去」か「保存」かという議論がありましたが、2001年、「歴史的な構造物」として保存され、展望施設・日陰棚としてその一部が利用されることになりました。
このモニュメントを見て、倉庫群や穀物サイロが建ち並んでいた当時のガーデンふ頭の風景を、思い浮かべてみませんか。

六朝帝王陵の麒麟像

金城ふ頭にある六朝帝王陵の麒麟像

名古屋市国際展示場の北西、南京大路沿いに、「六朝帝王陵の麒麟像」はあります。これは中国南京市の皇帝の墳墓に置かれた麒麟像(高さ3.13メートル)の原寸模型です。麒麟は伝説上の縁起の良い獣で、墓前に立て、皇帝が天の意を受けて至上の権威と尊厳を備えていることを示すのに使われていました。
この麒麟像は、昭和57年10月に名古屋で開催されたシスター・シティ・フェア・ナゴヤ'82に出品展示するため南京市により製作され、両都市の末長い友好を祈念して贈呈されました。 

永徳スリップ

庄内川河口にある永徳スリップ

水上飛行機を海へ下ろすための傾斜面をスリップと呼びます。永徳スリップは、航空機メーカーが所有していたスリップで唯一現存するものとなっています。
現在の稲永公園周辺には、戦時中、航空機の工場がありました。この工場で作られたフロート付きの水上飛行機は、工場西側に設けられたスリップから海へ下ろされ、水上から飛び立っていきました。
このスリップの北の部分は、新しい堤防が作られた時に取り壊されてしまいましたが、現在でも幅31メートル、長さ70メートル余のコンクリート製の傾斜地が残っています。スリップの中央には直径9cmの白い石が海に向かって一列に並んでいます。東側には監視用の突堤があり、先端部分は階段状になっています。

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港区役所区政部地域力推進室地域力推進係

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