ページの先頭です

ここから本文です

名東区の文化財

ソーシャルメディアへのリンクは別ウインドウで開きます

このページを印刷する最終更新日:2008年3月24日

ページID:9840

ページの概要:名東区内の主な文化財を紹介しています。

御馬塔(おまんと)(市指定有形民俗文化財)

御馬塔(おまんと)の写真

御馬塔(おまんと)は馬標(だし)と呼ばれる札や御幣(みてくら)(捧物(ささげもの))をたてて、豪華な馬具で飾られた馬を寺社に奉納する尾張、西三河地方で行われた代表的な祭礼習俗の一つです。
村単位で行うほか、合宿と称して数十の村が集まり、龍泉寺や熱田神宮に奉納することもありました。
龍泉寺合宿では、各村は大森寺に参集して龍泉寺まで行進しました。
その隊列は、村旗、村印を先頭に、庄屋、杖つき、鉄砲組、警固(棒の手隊)、飾り馬(御馬塔)と続き、途中所々で火縄銃を発砲し、龍泉寺に参詣したあと、境内で棒の手が奉納されました。
御馬塔は現在は行われていませんが馬具や馬標が各地に保存されています。

棒の手(市指定無形民俗文化財)

棒の手の写真

棒の手は、尾張や西三河地方に伝わる民間武術の一種で約400年前から伝えられています。
その起源については、農民の自衛手段であるとか、神様に捧げる神事芸能であるといわれています。
古来には棒のみを用いてきましたが、次第に刀や槍、薙刀(なぎなた)なども使うようになりました。
明治から昭和の初めまでは「若い者組」と呼ばれる青年組織があり、棒の手を修得することは、若者のいわば義務のようなものでした。
高針地区には、鷹羽検藤流、直心我流、鎌田流の各流派が伝承され、「高針棒の手」として、猪高町の「鷹羽検藤流棒の手」とともに、名古屋市の無形民族文化財に指定され地元保存会により伝承活動が続けられています。

蓮教寺(国登録有形文化財)

蓮教寺の写真

平安時代長徳年間に創建されたお寺です。天台宗に属し、高針山と号しました。山内に誓光坊・智根坊・泉蔵坊の塔頭もありましたが、承久年間、兵火により焼失したと伝えられています。
永禄4年(1561)、喜雲院宮真智上人がこのお寺に滞在した折、蓮光(中興の祖)が教えに感銘し、天台を出て真宗高田派となりました。蓮蔵院・蓮華蔵教院・明眼寺ともいわれましたが、元和年間に法雲山蓮教寺と改称され、現在地へは正徳6年(1716)に移転しました。
本堂は宝暦8年(1758)、庫裏は同13年に上棟。その後、寺門隆盛に伴って、文化9年(1812)に書院と山門が建立されました。この伽藍の全容は、当時の名刹のひとつとして「尾張名所図会」(天保12年(1841)刊)にも紹介されています。隆盛期の主要堂宇が揃って残る数少ない例であり、江戸時代の真宗寺院の典型を知る上で貴重なものです。

名東区内の主な資料館

神明社資料館

神明社資料館外観の写真

神明社資料館は、名古屋市猪子石地区の土地区画整理事業の完成を記念して、神明社境内に建てられました。
館内には、土地区画整理事業関係の書類と、神明社の祭礼にかかわる郷土文化財の馬標(だし)一式と郷土芸能の棒の手の武具一式ならび古文書等が永久保存され、陳列されております。

  • 開館日(開館時間)は、毎月第1日曜日(午後3時から午後4時)、1月1・2・3日(午前9時から午後4時)、天王祭(午前10時から正午)、例大祭(10月の第2月曜日(体育の日)、午前10時から午後4時)
  • 上の開館日以外の日程でご覧になりたい場合は、下の電話番号までお問い合わせください。
  • 所在地 名古屋市名東区神月町602番地
  • 電話番号 052-771-3244

神明社資料館に保存されている馬標(だし)と棒の手の武具

香流組の馬標(だし)などの写真

↑香流組

引山東組の馬標(だし)などの写真

↑引山東組

姥ヶ谷組の馬標(だし)などの写真

↑姥ヶ谷組

新田組の馬標(だし)などの写真

↑新田組

棒の手の武具の写真

↑棒の手の武具

半纏と丁桶の写真

↑半纏と丁桶

このページの作成担当

名東区役所区政部地域力推進課地域力推進担当

電話番号

:052-778-3021

ファックス番号

:052-778-3027

電子メールアドレス

a7783021@meito.city.nagoya.lg.jp

お問合せフォーム

お問合せフォーム

ページの先頭へ