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ごみ非常事態宣言

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このページを印刷する最終更新日:2022年2月28日

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ごみ非常事態宣言から20年経ちました

2019年(平成31年)2月で「ごみ非常事態宣言」から20周年!

記念事業を行います。詳しくは20周年記念事業のページからご覧ください。

ごみ処理量の増加と「ごみ非常事態宣言」

1999年(平成11年)2月18日(木曜日)
名古屋市は緊急記者会見を行い、「ごみ非常事態」を宣言しました。

年々増え続けるごみ処理量が100万トンに迫り、市の処理能力が限界を迎える中、愛岐処分場に次ぐ新たな埋立処分場の計画を中止したため、このままではまちにごみがあふれてしまう恐れがありました。

そこで、市民・事業者の皆さまに対し、名古屋市のごみ処理の窮状を率直に伝えるとともに、市民・事業者・行政の協働のもとで、ごみ処理量を20世紀中(2年間)に20%20万トン削減という大幅なごみ減量を訴えました。

宣言までの経緯

1990年代、本市のごみ処理量は一貫して右肩上がりで増え続け、1998年(平成 10 年度)には年間 100 万トンに迫り、焼却・埋立の両面で処理能力の限界を迎えつつある状況になっていました。

平成5年度から10年度までのごみ埋立量の推移を表すグラフ画像
ごみ非常事態宣言当時の愛岐処分場の埋め立て状況を表す画像

(画像をクリックすると大きいサイズの画像が開きます。)

藤前干潟に次期埋立処分場を建設する計画を進めていましたが、藤前干潟が渡り鳥の重要な飛来地であったため、埋立中止を求める声が強まっていました。

こうした状況の中、1999年(平成11 )年1 月、藤前干潟の埋立計画の中止を決断しました。「快適で清潔な市民生活と自然環境の保全との両立」をいかにして図るべきか悩み抜いた末の決断でした。

しかし、ごみは消えてなくなるわけではありません。
藤前干潟埋立計画を断念し、「ごみを減らす」ための「非常事態宣言」が出されたのです。

藤前干潟の埋め立て計画予定地を表す画像

画像をクリックすると大きいサイズの画像が開きます。

ごみ減量目標に向けての取り組み

主なごみ減量対策(平成11年から12年)

 

平成11年度

平成12年度

家庭系

○空きびん・空き缶収集の拡大 (9区→16区)

○家庭ごみ指定袋制の導入

○コンテナボックスによるごみ収集の廃止

○市民自主回収(集団回収・リサイクルステーション)
 への助成強化及び学区回収方式開始

○紙製・プラスチック製容器包装、
 ペットボトルの分別、ステーション収集開始

事業系

○事業系古紙・空きびん・缶の搬入禁止

○産業廃棄物の受入全面中止

○事業系ごみ指定袋制の導入

○事業系ごみ全量有料化実施に伴う

 ごみ処理手数料の改正

○事業系ペットボトル、発泡スチロールの搬入禁止

現在のごみ減量の取り組みについては以下のページからご覧いただけます。

ごみ削減の取り組み-ごみダイエットにご協力ください-


「なごやの熱い夏」

2000年(平成12年)8月、紙製容器包装、プラスチック製容器包装の分別が始まり、2か月間に10万件の苦情・問合せが市役所に寄せられるなど、混乱が続きました。

混乱の一番の原因は、「プラ」や「紙」と記した識別マークがまだついていなかったことにあります。(容器包装リサイクル法のスタート直後だったため。)

プラと紙の容器包装識別マークを表す画像

しかしそれ以上に、「きちんと分別しなくてはいけない」という市民の皆さまの強い責任感が、猛暑だった平成12年8月をさらに熱くしたのです。

こうした混乱の末に、名古屋の「分別文化」は定着しました。
そこには、市民の皆さまの熱意と地域役員の方々の献身的な尽力がありました。

分別に取り組む市民の皆さまの画像

分別・リサイクルに取り組む市民。地域役員の方々のご協力により、当初の混乱は次第に落ち着き、分別が定着していきました。

取り組みによってこんなに変わりました

ごみ非常事態宣言前後で変化した愛岐処分場の埋め立ての様子の画像

以前は、不燃ごみの大半をそのまま埋め立てていました。大幅なごみ減量と破砕処理により、埋立量を大幅に削減することができました。

指定袋制度の導入前後のごみ・資源置き場の画像

以前は、どんな袋でもごみを出せましたが、分別・リサイクルを推進するため、中が透けて見える指定袋で出していただくよう、ルールを変えました。

協働の成果

「ごみ非常事態宣言」後、「プラスチック製容器包装」、「紙製容器包装」の新資源収集を始め、様々な施策を矢継ぎ早に実施し、2000年(平成12年度)のごみ処理量は76.5万トンと、「ごみ非常事態宣言」に掲げた目標を達成することができました。

埋立計画が中止された藤前干潟は、2002年(平成14年)11月、世界的にも貴重な渡り鳥の飛来地として「ラムサール条約」の登録湿地になりました。
(詳しくは藤前干潟の保全・活用のページをご覧ください。)

そして2003年(平成15年)5月には、「自治体環境グランプリ」で最も優れた取り組みとして、220万名古屋市民と名古屋市が連名で「環境大臣賞」と「グランプリ」を同時受賞しました。

当初は、「数年たつとリバウンドが来るかもしれない…」、そんな不安がありました。しかしごみ非常事態宣言からの取り組みで、「分別文化」は確実に根付きました。

市民・事業者・行政が同じテーブルでともに悩み、試行錯誤を繰り返しながら一つ一つ解決していくという「名古屋スタイル」の協働の成果が全国的にも評価されたのです。

環境大臣賞と市民グランプリの盾と表彰状の画像

「自治体環境グランプリ」「環境大臣賞」受賞
(画像をクリックすると大きいサイズの画像が開きます。)

ごみ処理量等の推移

平成10年度から29年度までのごみ処理量等の推移を表す画像

(ごみレポート'17版より)

「ごみ非常事態宣言」以降の徹底した分別・リサイクルの取り組みにより、資源分別量は約2 倍となり、ごみ処理量は約38%減、埋立量は約80%減となりました。(平成28年度末)

(詳しくはごみレポートのページでご覧いただけます。)

ここ数年、総排出量と資源分別量が減少傾向にある中、ごみ処理量は横ばいの状況が続いています。

このページの作成担当

環境局ごみ減量部減量推進室減量企画担当

電話番号

:052-972-2398

ファックス番号

:052-972-4133

電子メールアドレス

a2378@kankyokyoku.city.nagoya.lg.jp

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