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西中島学区(中川区)の紹介

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このページを印刷する最終更新日:2023年7月27日

ページID:54549

西中島学区

プロフィール(令和5年4月1日現在)

面積

0.747平方キロメートル

人口

6,827人

世帯数

3,113世帯

生活環境指標

西中島学区生活環境指標

  • 西中島学区生活環境指標 (XLS形式, 27.50KB)

    各種統計データ等から身近な生活環境を構成する指標を作成し、人口密度や持ち家世帯比率などの「人口・住まい」、刑法犯認知件数や救急出動件数などの「安心・安全」、小公園等面積や住宅用地率などの「土地の利用」の3つの区分に分類、整理し掲載しています。

指標の算定方法

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中川区各学区の生活環境指標については、下記ページからご覧いただけます。

学区の紹介

 昭和51年4月、荒子小学校から分かれて中島小学校が独立したが、当時中島新町の土地区画整理が進み水田が宅地化するにつれ、人口が急激に増加しつつあった。そのため独立早々の翌52年分校が開設され、その分校が同53年4月、西中島小学校として独立した。しかし、区政協力委員会、ならびに諸団体は、地域社会の関係上、同55年4月に中島学区と分かれて独立した。
 当学区は、北側は国道1号線に沿って東西2キロメートル、南北0.9キロメートルから0.14キロメートル、面積は0.747平方キロメートルで細長い形をしている。南側は歴史のある百曲街道を境として港区に接し、西側は庄内川に近い。
 当学区は、昔の中島新田と東起村からできている。中島新田は17世紀の始め、鬼頭景義によって、百曲街道を堤防として開田されたという。東起村の土地が生まれたのは、600年以前のことで、庄内川の肥沃土が堆積したのを耕し始め、人が住むようになったのは400年前という。(後藤邦四郎説)。
 明治22年の町村合併で愛知郡一柳村大字中島新田、大字東起村となり、明治39年荒子村に編入された。大正10年名古屋市に編入、南区中島新町、同東起町となり、昭和12年新区制によって中川区となった。なお、中島新町の荒子川東は昭和36年畑田町と改称した。大正10年ごろの現学区内の戸数は約170戸でほとんど純農家であった。特に最近宅地化が急激に進み県、市営、公団住宅、店舗、工場、倉庫等が建ち、世帯数も2,000を超え、なお増加しつつある。
 現在、専業農家は少数になったが、中西部には畑、西部に水田が耕作され、空間、緑、水も多く、生活環境は極めて良好である。また、当学区は国道1号線に沿い、更に港区に通ずる3路線が貫通、準工業地帯としても、ますます発展し市街化が進むであろう。

地域活動事例

各学区の活動、取り組みなどについて、活動内容や実施スケジュール、成果、課題などの点を紹介する「地域活動事例集」の中から、西中島学区の地域活動事例を紹介します。

(地域活動事例集は、地域で様々な活動に取り組まれている皆様の「他の地域の活動を参考にしたい」という声を受けて作成されたものです。地域活動の魅力向上や新たな活動に取り組む上でのきっかけとして、ぜひご活用ください。)

西中島学区地域活動事例

中川区各学区の地域活動事例については、下記ページからご覧いただけます。

学区からの紹介

 令和5年度の西中島学区行事予定は未定です。

このページの作成担当

中川区役所 区政部地域力推進課地域力推進担当

電話番号

:052-363-4319

ファックス番号

:052-363-4316

電子メールアドレス

a3634319@nakagawa.city.nagoya.lg.jp

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