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郷土の英傑 前田利家

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このページを印刷する最終更新日:2015年3月27日
前田利家

 前田利家は、天文7年(1538年)前田利昌の第4子として、現在の中川区で生まれた。
 幼名を犬千代といい、幼年時代から織田信長に仕えた。
 14歳で尾張海津の戦いに初陣、早くも敵の首級をあげ、「肝に毛のはえた奴だ」と信長を驚かせた。信長にことのほか目をかけられていたが、向こう意気も強く、信長の愛童を殺害してしまい、信長の怒りにふれ、放逐の身となった。
 その後、桶狭間の戦いに隠れた戦功をあげ、美濃の斉藤征伐にも武勲をあげて、ようやく信長の不興が解かれた。そして、勇士のみが加わることを許された赤母衣武者の一員になり、32歳で荒子城主となった。その後も、各地の戦いで功をたて、長浜一万石に封じられ、更に越前府中三万五千石に移封された。
 信長の死後、秀吉と柴田勝家が争った際には、勝家側に属していたが、勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れた後は、尾山城(後の金沢城)に入り、秀吉に従って活躍し、豊臣家の五大老の一人として重責を果たした。 秀吉の死とともに、豊臣政権に亀裂が生じたが、利家の存在が徳川派と反徳川派との均衡を保たせていた。しかし、約1年後の慶長4年(1599年)に病気でこの世を去った。
 利家は、家康に対して子の利長の取り立てを頼み、利家の後を継いだ利長は、関ヶ原の戦いのあと、加賀百万石の大名として徳川御三家に次ぐ席を得る道を開いたのである。
 前田利家は、我が国の戦国時代の武将のうち、信長・秀吉・家康に次ぐ偉大な人物であり、当地からでたことについては大いに誇りとするところである。

(『中川区史』より抜粋)

犬千代ルート

犬千代ルートマーク

中川区内の利家ゆかりの地を巡る散策コースです。ルート上のポイントには、「梅と矢印」の案内マークが用意されています。利家とまつが共に歩んだ時代に思いを馳せながら、歩いてみませんか?
マップは下記リンク先からダウンロードできます。

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