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西古渡かいわいコース

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このページを印刷する最終更新日:2017年7月24日

ページの概要:中川区史跡散策路西古渡かいわいコースのご案内です。

西古渡かいわいコース(地図)

松重閘門・運河に栄えたまちを訪ねて

コース順路(全長約4.9km)

名鉄「山王」駅→(1)松重閘門→(2)堀川→(3)鹽竈神社→(4)金刀比羅社(石切場跡)→(5)露橋スポーツセンター・ナゴヤ球場→(6)源通寺→(7)願興寺→(8)八幡社→市バス「八幡小学校」停

市バス「八幡小学校」停時刻表(外部リンク)別ウィンドウ(名古屋市交通局のページ)

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コースガイド

(1)松重閘門(まつしげこうもん)

松重閘門の写真

90メートルを隔てて2基ずつ建つこの塔は、中川運河と堀川を結ぶ通船路閘門として、昭和5年に建設されたが、水運の衰退から昭和51年から閘門としての経済的生命を終えた。高さ20メートルの避雷針をつけた尖塔や三角窓は、異国情緒を漂わせ、周囲に設けられた10基の照明灯が、エキゾチックな夜景をかもし出している。昭和61年5月、市文化財に指定された。付近は昭和61年に松重閘門公園となり、中川区唯一の歴史公園となっている。

(2)堀川(ほりかわ)

堀川の写真

堀川は、慶長15年(1610年)福島正則が総奉行となり、名古屋城築城に際し木・石材の輸送のため開削された。日置橋の南北数町の間、両岸には数百株の桜や桃が植えられ、茶屋や料理屋、菓子屋などが軒を並べ、花見の名所となり花見船も出て、紅花は一帯の水先に照り映えて壮観を極めた、と江戸時代の諸書に見られる。

(3)鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

塩釜神社の写真

社伝によると、名古屋城築城の際、岩田藤忠が工事無事遂行を祈願して、仙台の鹽竈大明神の御分霊を奉祀したのが始まりで、天保6年(1835年)に現在地に遷宮された。大祭日は、毎年10月10日であるが、5月第1土曜日・日曜日には、安産、虫封じの育児大祭があり、釜型の土鈴を授けている。境内には、痔病の治癒に霊験著しい無三殿主大神を斎祀する無三殿社が祭られている。

(4)金刀比羅社(ことひらしゃ)・石切場跡

金刀比羅社の写真

500年程前に月島町一帯の守護神として祭られ、もとは西宮神社と称し、祭神は天照大神である。「いぼ神様」の別名があり、いぼ取りの願いをしゃくしに書いて奉納、拝殿の石で患部をさすれば霊験あらたかと信仰されてきた。また、この地は慶長15年(1610年)名古屋城築城の折の石切場所として伝承されている。境内には、石切場跡の石碑が建てられている。

石切場跡の写真

(5-1)露橋スポーツセンター

露橋スポーツセンターの写真

本市初の本格的な屋内総合体育施設として、昭和57年6月に開館された。各種の公式競技ができる競技場をはじめ、柔道場・剣道場・サーキットトレーニング室・屋内プールなど競技スポーツばかりでなく、個人の健康や体力づくりの場としても利用できる。

(5-2)ナゴヤ球場

ナゴヤ球場の写真

平成8年まで中日ドラゴンズのフランチャイズ球場であった。敷地面積38,000平方メートル、収容観客数35,000人である。名古屋紡績の跡地に、昭和23年に建設されたが、昭和26年8月19日の火災で全焼、その後、鉄筋コンクリートに建て替えられた。昭和50年までは、中日球場と呼ばれていた。

(6)源通寺(げんつうじ)

源通寺の写真

真宗大谷派の寺である。初代長山法師が天正年間(1573年~1592年)に創建、その後、衰退していたのを寛永年間(1624年~1644年)に三州針崎(現岡崎市針崎町)徳円寺の僧万休が再建したと伝えられている。

(7)願興寺(がんこうじ)

願興寺の写真

尾頭山願興寺は、白鳳時代、道場法師が奈良元興寺の分院として、古渡村に当寺を建立した。一時廃寺となるが、鎮西八郎為朝の子義次により再興された。織田信秀が古渡城を築城する際、尾頭村(現東別院)より今の地に移った。延徳年間(1489年~1492年)天台宗から浄土真宗に改宗した。

(8)八幡社(はちまんしゃ)

八幡社の写真

祭神は応神天皇。かつては西隣の四門寺のご本尊が合察されていたが、明治の神仏分離によって、750年間廃寺になっていた寺を再興し、現在に至っている。境内に足洗い池があり、足洗い祭が毎年5月5日に行われる。牛頭天王山車は、慶応元年(1865年)八王子天王社(現在北区清水町)から牛立村が譲り受けたものである。天保6年(1835年)仲秋尾州名護屋末広町住人真守作の銘がある大将豊臣秀吉のまわりには、人形師竹田源吉作の唐子人形2体が配置され、からくり仕掛で太鼓を打つ趣向がなされている。

このページの作成担当

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