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加藤商会ビル

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このページを印刷する最終更新日:2021年4月28日

ページID:107367

紙芝居表紙

「加藤商会ビル」

作 堀川文化を伝える会
絵 むらおか さちこ

紙芝居1ページ目

地下鉄伏見駅から広小路通りを名古屋駅の方へ向かって行くと、堀川に架かる納屋橋の北側の角に加藤商会ビルがあります。小さいけれども美しい飾りがあって、周りの新しくて大きなビルとは全然違った雰囲気です。このビルは今から90年ほど前(昭和6年)に、外国と商品の取引をしていた、加藤商会という貿易会社の社長の加藤勝太郎が建てました。窓や柱の上には珍しい飾りがついています。ビルの外側の壁はレンガやタイルが使われています。天井には美しい模様が刻まれています。このビルは昭和初めの歴史ある建物として、国に登録され大切に保存されています。さて、加藤勝太郎はどうしてここにビルを建て、一体どんなことをした人なのでしょうか。

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勝太郎は名古屋の商業学校を卒業した後、商売の勉強をするために香港へ渡り、中国や東南アジアの国々を見て周りました。実際に世界の国を見てきた勝太郎は、外国との取引の仕方をよく知っていて、名古屋で貿易会社を作ると、その会社はすぐに大きくなりました。特に、外国の米を買うことに目を付け、東南アジアの米を日本へ大量に輸入し、大儲けしました。大正7年に米騒動という暴動が起こりました。天気が悪くて米が取れず、米の値段は上がり続けました。日本全国で米を買えない人たちが米屋を襲い、警察官と衝突して大騒ぎになったのです。名古屋でも暴動寸前になりましたが、勝太郎が3万俵ものタイ米を緊急輸入して、暴動を救ったのです。米騒動の後、勝太郎はタイの国から名誉総領事という役人になって欲しいと頼まれ、加藤商会ビルは、一時タイ(但しその頃の国の名はシャム)の領事館という役所にもなりました。

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ところで勝太郎は、なぜ納屋橋に本社ビルを建てたのでしょうか。その頃の交通を考えると理由がよくわかります。飛行機や新幹線はもちろん、自動車もほとんどなく、たくさんの荷物を運ぶには船が一番便利でした。堀川は侍がいた江戸時代から、名古屋の船を使った水運の中心でしたが、100年ほど前(明治時代の終わり)に名古屋港が開港し、名古屋の中心部と名古屋港とを繋ぐ堀川の水運は、外国へ目を向けると、以前よりもずっとその重要さが増しました。また鉄道(昔はJRではなく国鉄といって、国の鉄道でした)の名古屋駅も出来て、納屋橋は名古屋港と名古屋駅の両方を結ぶ、とても交通の便利な場所だったのです。名古屋の交通の中心地に、ひときわ目立つ鉄筋コンクリートの本社ビルを建てた勝太郎。未来を読む鋭い目を持っていたことがよくわかります。勝太郎は3階の社長室から、いつも黙って堀川を見つめていたそうです。

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加藤商会という会社を作り、外国との貿易取引で会社を大きくした勝太郎は、名古屋で商売をする人々の中心人物として活躍しました。たくさんの仕事を成功させ、世の中のためになるいろいろな役目も自分から引き受けて、大勢の人たちに尊敬されながら、昭和28年に68歳で亡くなりました。勝太郎が亡くなった頃から、大きな船が出入り出来ない堀川から、外国船との貿易の中心は名古屋港へと移り、日本国内の荷物は、船からトラックに変わり、堀川は必要とされなくなっていきました。50年ほど前の昭和40年代には、堀川は下水路のように汚れてしまいました。納屋橋の周りには加藤商会ビルよりも大きくて新しいビルが次々に出来て、加藤商会ビルの美しさも人々から忘れられていきました。その後加藤商会ビルは別の会社に売られ、遂にはビル全体が広告塔で隠されてしまいました。

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平成に入ると汚れた堀川をきれいに戻そうと、ボランティアの市民と名古屋市が一緒になって活動が始まりました。ちょうど歴史ある建物を見直そうという運動も盛んになって、長い間忘れられていた加藤商会ビルが修理され、再び美しい姿を現しました。地下1階は堀川再生の活動場所として堀川ギャラリーが作られ、広場は勝太郎が名誉総領事をしていた頃、タイがシャムと呼ばれていたことから、シャムズガーデンと呼ばれるようになりました。ビルにはタイ料理店もあります。
 勝太郎は「世界中が自分の商売の場なのだ」という意味で、「世界は我が市場なり」と口癖のように言っていたそうです。今では名古屋から、自動車、機械、コンピューターや飛行機の部品などが、世界中に向けて輸出されています。反対に外国から石油や原材料などが輸入されています。名古屋の産業がこんなに発展したのは、勝太郎のような人が貿易を盛んにしようと、一生懸命努力してきたからです。加藤商会ビルは、今のミッドランドスクエア・JRツインタワー・名古屋港ポートビルのように、その頃の名古屋を代表する、いちばん新しくて、大勢の人から注目されるビルだったのです。

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