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碁盤割と札の辻

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このページを印刷する最終更新日:2016年4月1日

ページID:30627

ページの概要:御園小学校のトワイライトスクールで披露した「碁盤割と札の辻」の紙しばいです。

「碁盤割と札の辻」表紙

「碁盤割と札の辻」

作 堀川文化を伝える会
絵 むらおか さちこ

「碁盤割と札の辻」2枚目

 これは何でしょう? 迷路は、曲がりくねった難しい道をたどりながらゴールを探すゲームです。
 では、こちらの碁盤は一体どんなものか知っていますか。碁は白い石と黒い石に分かれて陣地を取り合う、昔からある大人のゲームです。碁盤はその碁石を置いていく板のことで、縦と横の線がまっすぐに引かれていています。碁盤はまっすぐな線ですっきりしていますが、迷路はぐにゃぐにゃ曲がっていて分かりにくく、誰がやっても何回も迷ってしまいます。

「碁盤割と札の辻」3枚目

 家から学校へ通うのに、迷路のような道と碁盤のような道のどちらがいいですか。碁盤の方がずっと分かりやすいですね。毎日道に迷っていたら、学校に遅れてしまいます。皆さんの学校のまわりが、碁盤のようなまっすぐな道ということに気がついていますか。名古屋の町の真ん中は400年前の昔から、今と同じまっすぐな道でできていました。

「碁盤割と札の辻」4枚目

 では、どうしてまっすぐな道ができたのでしょう。名古屋の町ができる前、武士たちは戦いを繰り返していました。いつ敵が攻めてくるのか分からず、わざと道に迷うよう迷路のような道を作っていました。でも、名古屋のお城を作った家康という武士は、戦いが終わって平和な世の中になる先のことまで考えて、みんなが暮らしやすいように、仕事がしやすいように、まっすぐな道の町を作りました。名古屋の町は400年も前に、敵を防ぐことだけでなく、みんなが後々まで安心して暮らせることも考えて、計画的に作られました。碁盤ようにまっすぐな道を通した名古屋の中心部は、碁盤割と呼ばれています。

「碁盤割と札の辻」5枚目

 碁盤割の町で中心となる縦の道が、本町通です。いちばん本(もと)になる道だから、本町通というのです。名古屋城の門から、まっすぐ南へ続いている道です。昔この道の両側には、大きくて立派な店が並んでいました。
 横の道でいちばん人通りが多かったのは、伝馬町通です。伝馬とは、馬に載せた荷物を積み替えるという意味で、堀川に架かる伝馬橋の近くには荷物を載せる馬がたくさん待っていました。この伝馬町通は、東は静岡へ、西は岐阜へつながっていく大切な道でした。

「碁盤割と札の辻」6枚目

 本町通と伝馬町通が交わる交差点は、札の辻と呼ばれていました。札というのは伝言板のことで、辻は交差点です。今は、テレビや新聞で大勢の人に何でも伝えられますが、400年も前は、人がたくさん通るにぎやかな場所に立て札を立てる以外に、お知らせを伝える方法がありませんでした。この本町通と伝馬町通が交わる交差点は名古屋の碁盤割の町の中で、いちばんにぎわっていた場所でした。今なら、地下鉄東山線と名城線の両方が通る栄駅で乗り降りする人がいちばん多いのと同じです。2つの道が交わる札の辻は、人がたくさん行き交いお知らせを伝えるには絶好の場所だったのです。

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