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塩付街道と桜のみち

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このページを印刷する最終更新日:2011年7月1日

ページの概要:塩付街道と桜のみち

塩付街道と桜のみち(地図)

瑞穂区役所(1)塩付街道(2)村上神社→(鼎小橋)→(3)善進寺(4)正及神社(5)東山荘(6)塩付街道(7)東栄八幡社(8)馬頭観音名古屋市博物館(全長約3.8km)

塩付街道(しおつけかいどう)

   江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯では、さかんに塩を作っていた。ここでとれた塩は、千種区古出来町あたりに集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。本星崎町から古出来町まで約10kmが塩付街道と呼ばれる。
 俵に詰めて塩を馬で運んだ「中馬(ちゅうま)」といわれる運送業者が往来していた。汐路町の道沿いに残る松は、昔の街道の趣きを伝えている。

村上神社(むらかみじんじゃ)

 かつてはおどり山古墳、まごく山、大殿山ともいった。高さ3.6m、直径40mの円墳であったが、現状は神社境内地として周囲が削りとられている。この古墳の北では、須恵器が採取されているため、この辺は古墳時代の集落地跡であったらしい。この古墳は瑞穂区内に現存する数少ない古墳の一つでもある。

善進寺(ぜんしんじ)

  山号は開道山。明治2年、現在の千葉県市川市中山日蓮宗大本山法華経寺内にあった「善進坊」(寛文2年創立)をここに移し寺号善進寺と改称した。本尊は一塔両尊四菩薩二士四天王。本堂北の中庭に、切利支丹燈籠があるが、いつから当寺のものとなったかは不明である。

正及神社(しょうきゅうじんじゃ)

 享保元年(1716)の創立で、約300年の歴史をもつ由緒ある神社。祭神は東照大権現徳川家康公。日光山東照宮の御分霊を勧請鎮斉されたもので、明治初年村社に列せられた。昭和35年には、社格を九級元郷社格に昇格。瑞穂区内17社のうち社格第3位、家康公を主祭神とする名古屋市内の神社のうちでは、東照宮(中区丸の内)に次ぐ神社である。昭和59年10月には鉄筋コンクリートの新拝殿が完成した。

東山荘(とうざんそう)

 大正初年から10数年かけて築造されたこの山荘は、所有者、綿布商伊東信一氏の遺贈により、昭和11年名古屋市の所有となった。東山荘は所有者の名前に因んでつけられたものであるが、14年からは市民に開放された。18年以後市長公舎となったが、43年4月再び市民の公園として開放され、その情緒を味わうことができるようになった。萱葺の門をくぐると広大な敷地に自然樹林そのまま美しい数寄屋風書院造りの風雅な建物が見事な景観を呈している。
 庭園は自然回遊式の総合庭園であり、玄関前庭、書院の庭、仰西庵露地、東丘庵露地の4庭と自然樹林からなっている。
 庭園の見学は無料。

東栄八幡社(とうえいはちまんしゃ)

 祭神は応神天皇。「尾張旬行記」に、熱田社家栗田宮部太夫支配とあり、当時、境内は一反十二歩あった。

馬頭観音(ばとうかんのん)

 塩付街道沿いに祀られていたもので、道中の無事を祈る当時の人々の面影がしのばれる。中馬的交通時代の大きな特色で、「中馬」とは、江戸時代の馬稼人がつくった同業者の組合で賃馬、中継馬などが語源といわれている。道端に馬頭観音が祀られているとその下には「馬接待水」があり、馬への思いやり、生活の知恵がしのばれる。

名古屋市博物館(なごやしはくぶつかん)

 本市の人口200万人突破記念事業の一環として昭和52年10月に開館した総合歴史博物館。尾張地方の原始から現代までの歴史をテーマごとに分け、実物・複製資料やジオラマ等で構成した常設展示室がある。内外のすぐれた文化財の展覧会を催すとともに、時代別・分野別等の展覧会を随時開催。また、市民文化の向上のためにギャラリーを併設。当地方を中心とする歴史教育や文化遺産の保存・公開の場として重要な役割を担い、新しい名古屋文化の創造・発信の場となっている。

このページの作成担当

担当: 瑞穂区役所まちづくり推進室生涯学習担当
電話番号: 052-852-9307
ファックス番号: 052-852-9306
電子メールアドレス: a8529307@mizuho.city.nagoya.lg.jp

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