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貝塚と城あとをしのぶみち

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このページを印刷する最終更新日:2020年4月17日

ページの概要:貝塚と城あとをしのぶみち

貝塚と城あとをしのぶみち(地図)

地下鉄瑞穂運動場西駅(1)瑞穂古墳群(二号墳)(2)下内田貝塚(3)大曲輪貝塚(4)あゆちの水(伝承地)→(道分け地蔵)→(5)中根中ノ城あと(6)東八幡社(7)観音寺(北条八幡社)(8)西八幡社(9)宝蔵寺(10)中根銅鐸発見地新瑞橋バスターミナル(全長約5km)

瑞穂古墳群・瑞穂二号墳(みずほこふんぐん・みずほにごうふん)

 瑞穂古墳群のうち一号墳は豊岡小学校内に、二号墳は野球場南側にある。二号墳は高さ5m、径30mほどの円墳で、ほぼ原型を残して保存されている。墳頂には円筒埴輪をめぐらしていたという。三号墳には、現在野球場が建っており今では何も残っていない。地元の人たちは3古墳を総称して、三ツ塚と呼んでいた。

下内田貝塚(しもうちだかいづか)

 瑞穂古墳群と同じ頃の遺跡であり、この付近はその当時かなりの数の部落が集まり、生活しやすい環境にあったと思われる。

大曲輪貝塚(おおぐるわかいづか)

 昭和14年6月に発見され、16年に国の史跡に指定された。55年瑞穂陸上競技場改築工事の時、縄文時代の人骨がほぼ完全な形で出土し、実物は名古屋市博物館に展示されており、瑞穂陸上競技場西側には発掘された当時の形の複製が展示されている。

あゆちの水(伝承地)

 尾張の名水の一つで、万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある。直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。戦後は荒れ果てたままになっていたが、昭和52年に地元の有志の人たちの協力により現在の形になった。

中根中ノ城あと(なかねなかのしろあと)

 永禄四年(1561)から天正18年(1590)に織田越中守信照(信秀九男・信長の弟)が築城した。中根城は、北城、中ノ城、南城があった。現在は区画整理により当時の面影は何もないが、「尾張志」に、「中根村南の城の北の方一町ばかり字丸根と呼ぶ地にあり、東西二十六間、南北三十間あり、城主は村上弥右衛門と府中にいえるごとし」と伝えられている。

東八幡社(ひがしはちまんしゃ)

 祭神、応神天皇。中根村の鎮守として古くから住民に親しまれている。本田遊無が開祖といわれる「見当流棒の手」が秋祭りの神事として行われており、名古屋市の無形民俗文化財となっている。境内には、「見当流棒の手」の碑や神馬像が建っている。

観音寺(かんのんじ)

 浄土宗鎮西派、慶長10年(1605)開基万誉存公が創建。本尊は阿弥陀如来で、徳川源敬公(尾張藩初代藩主)より拝領したもの。観音堂には元和8年 (1622)井戸の中から発見されたと言われる千手観音が納められている。中根南城の一部であり、かつては堀址の名残りが見られたという。寺の西側に北条八幡社(祭神、応神天皇)は、中根南城の鎮護神ともいわれている。その脇には樹齢400年を超す黒松が在城当時をしのばせ名古屋市指定文化財となっていたが、昭和33年枯死により解除された。

西八幡社(にしはちまんしゃ)

 祭神、応神天皇。仁所村の鎮守で、境内には明治44年建立の寺嶋梅吉氏改良土臼発明碑、及び維新の井の碑がある。

宝蔵寺(ほうぞうじ)

 曹洞宗。天文12年(1534)大安守公が創建。昔、寺子屋があった所といわれている。境内には文政12年(1829)に建立された宝篋印塔がある。

中根銅鐸発見地(なかねどうたくはっけんち)

 明治3年(1870)道路改修工事中に発見された。弥生時代のもので、袈裟襷文の文様があり、横帯と縦帯により6区画に分けられる三遠式銅鐸の普通の型である。雷文があるのが特徴であり、縦帯の線様が珍しい。現在は兵庫県西宮市の辰馬考古資料館の所有。中根小学校に複製がある。教育委員会標札が仁所公民館横に建てられている。

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担当: 瑞穂区役所地域力推進室生涯学習担当
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