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富部神社(とべじんじゃ)・戸部新左衛門(とべしんざえもん)の碑(ひ)

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このページを印刷する最終更新日:2019年5月8日

ページの概要:富部神社(とべじんじゃ)・戸部新左衛門(とべしんざえもん)の碑(ひ)の紹介

富部神社の写真

 別名「蛇毒神社」、「戸部天王」ともいわれています。創建は定かではありませんが、慶長8年(1603年)清洲城主松平忠吉が西方にあった祠を現在地に移し慶長11年(1606年)本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建てたと伝えられています。本殿は一間社流造(桁行(正面)の柱間が一間(柱2本))、屋根は檜皮葺、正面の蟇股(横木(梁、桁)に設置し荷重を分散して支えるため下側が広い部材、そのシルエットが蛙の股様に見える)、屋根の懸魚や桁隠しはよく桃山様式を伝え国の重要文化財に指定されています。当社は神宮寺として天福寺をもち、社領百石を有し尾張藩主の崇敬も篤く格式があったと伝えられています。また、境内の山車蔵にある享保12年(1727年)作の高砂車山車は、市指定有形民俗文化財に指定されています。 戸部新左衛門政直は戦国時代の戸部城主であり、織田信長の計略にかかり三河𠮷田(現在の豊橋市)で今川義元に殺害されました。その霊を祀って城跡に碑が建てられました。昭和4年(1929年)に戸部町3丁目に移設、町内等の人達により管理されていましたが、平成28年(2016年)4月に富部神社に移築されました。戸部城は別名松本城または笠寺城ともいわれ、西、南は高さ十数メートルもある崖で、東西30メートル、南北約180メートルでした。昭和4年の区画整理で削平され痕跡をとどめていません。

戸部新左衛門の碑の写真

戸部新左衛門の碑  ※平成28年4月に富部神社境内に移設

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