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笠寺(かさでら)一里塚

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このページを印刷する最終更新日:2015年2月13日

ページの概要:笠寺一里塚の紹介

笠寺一里塚の写真

笠寺一里塚

 慶長9年(1604年)、徳川幕府は、日本橋を基点として、東海道をはじめ主要街道に一里塚を築きました。36町を一里(約4キロメートル)とし、一里ごとに土を盛って塚を築き、その上にエノキやマツの木が植えられました。

 一里塚は旅の目印となったり、人足が荷物を運ぶとき運賃計算の目安にされたりしたようです。

 市内にはかつて9カ所に一里塚があったと言われていますが、現存するのはこの「笠寺一里塚」だけです。かつては一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代までムクノキが植えられていました。

 土を盛った上に大きなエノキが根を張っています。春には水仙、秋には曼珠沙華(マンジュシャゲ(ヒガンバナ))が加わり、昔の東海道の面影をしのばせています。

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