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学区の紹介

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このページを印刷する最終更新日:2017年6月19日
南区には全部で18の学区があります。
学区の区割り地図

学区概要

明治学区(めいじがっく)

南区の北西部に位置し、明治新田・図書(ずしょ)新田・紀左衛門新田・長三郎新田・氷室新田等の干拓地からなり、学区名は「明治新田」にちなんで付けられました。昭和11年に豊田学区から独立。昭和の初めには、内田橋付近は「名古屋」の南の玄関口といわれ、大いに発展しました。戦災で消失、戦後再びかつての賑わいを取り戻し、昭和39年から豊田都市改造事業が行われ、近代的な町に生まれ変わりました。

 

伝馬学区(てんまがっく)

南区の北端にあって瑞穂区と境を接しています。昔は遠浅の海でしたが、江戸時代に尾張藩から資金の援助を受け、伝馬役人が協力して1673年に開墾した伝馬新田が中心となっており、学区名の由来となっています。昭和37年9月明治学区から独立しました。

 

豊田学区(とよだがっく)

明治6年に道徳新田北堤の民家(中尾卓度宅)で開知学校として開校したのが豊田小学校の前身で、南区で最も古い学区の1つです。この辺りは、新田農業集落として発展し、米、麦、菜種のほかイチジクの産地として有名でした。大正10年学区内に紡績工場ができてから急速に町として発展しました。

 

道徳学区(どうとくがっく)

学区の大部分は江戸時代に鷲尾善吉により干拓された道徳前新田からなっています。昭和15年に豊田学区から独立し、学区名は新田名から名付けられました。戦前は南区でも指折りの繁華街であったといわれ、マキノ映画製作所があり、人工の観音山に道徳観音が祀られ、伊勢湾が展望できました。戦争や伊勢湾台風で大きな被害を受けましたが、早く復興し、南部臨海工業地帯へ通勤する人で、一時は8000世帯と道徳音頭に唄われました。

 

呼続学区(よびつぎがっく)

北を流れる山崎川をはさんで瑞穂区と接するこの学区は、大半が高台で、太古は松巨島(まつこじま)と呼ばれた島であったといわれています。熱田とは船で往き来したと伝えられ、海辺で呼び交わす人のさまが古歌に読まれ、学区の由来となっています。旧東海道沿いに発展した町には、桃山時代の様式を今に残す富部神社、万葉の古歌にも詠われた年魚市潟(あゆちがた)の碑など社寺、史跡が数多くあります。

 

大磯学区(おおいそがっく)

昭和28年に呼続学区から独立、学区名の由来となった大磯通のほか、塩屋町、千竃通、荒浜町などかつて海岸沿いで塩田が盛んだったことを示す町名が残っています。学区内には文化活動の拠点となる南文化小劇場と南図書館があり、南図書館には「伊勢湾台風資料室」があります。

 

桜学区(さくらがっく)

当学区一帯は、その昔「作倉」とも「作久良」とも称された古い土地です。大部分は笠寺台地と呼ばれる高台で、東側の天白川沿いが低地となっています。昭和14年に呼続学区から独立しましたが、年とともに住宅地として発展し、昭和33年には菊住学区が、昭和47年には春日野学区が分離しました。鯛取通は桜並木が美しいところとして知られています。

菊住学区(きくずみがっく)

昭和33年に桜学区から独立しました。菊住の「菊」は南の桜学区に対する秋の花、または山崎川沿いにあった酒造会社の頭文字であり、「住」は地元にあった電気工業所の頭文字を取ったといわれています。名古屋環状線を介して瑞穂区と接する新瑞橋付近は大規模小売店舗もあり、賑わいをみせています。

 

春日野学区(かすがのがっく)

昭和47年に桜学区から独立。約一万年前にすでに人が住み、狩猟生活をしていたといわれる土地柄で、歴史も古く多く遺跡が残されています。見晴台遺跡では、毎年夏に中学生以上の市民の方が参加して発掘調査が行われています。「桜の棒の手」は、昭和31年に県の無形民俗文化財に指定されました。

 

笠寺学区(かさでらがっく)

太古は笠寺西門から南へ海を突き出た半島であったといわれ、海の部分には次第に新田が開発され、製塩も盛んなところでした。旧東海道沿いに発展した町は、今でもJR東海道本線、新幹線、名鉄名古屋本線、国道1号、高速道路などが走り、交通の要衝の地です。また粕畑貝塚など多くの旧跡もあり、尾張四観音の一つに数えられる笠寺観音では、毎月6の付く日に「六の市」が開かれ、食料や衣料、花などさまざまな露店が境内に並びます。

 

星崎学区(ほしざきがっく)

大磯・笠寺・星崎学区の辺りは、昔は星崎の塩浜といわれ尾張地方屈指の製塩地であって、前浜塩という白い上質の塩を産し、信州地方へ大量に送っていたといわれています。昭和42年に笠寺学区から独立しました。かつての農村地帯も工場が建ち並ぶ町に変わっています。当学区にある喚続神社には1632年8月14日に落石したとされる隕石があります。

 

笠東学区(りゅうとうがっく)

南区の東部に位置し、東には天白川、西には笠寺観音見晴台遺跡があり、市内唯一の笠寺一里塚もあります。土地区画整理事業により急速に宅地化が進み、昭和51年に笠寺学区から独立しました。学区名には笠覆寺(笠寺観音)の名が由来で、その東に位置していることから名付けられました。笠寺福祉会館は地域の福祉・文化活動の拠点として、また、学区を縦断する中井用水緑地は散歩道として親しまれています。

 

大生学区(たいせいがっく)

昭和23年に笠寺学区から独立。学区名は地域名の「大江」と「宝生」から一字づつとってつけられ、「大きく伸び栄えるように」との学区民の願いがこめられています。JR笠寺駅西には、わが国有数の屋内スポーツの拠点といえる日本ガイシスポーツプラザ(外部リンク)別ウィンドウがあり、市内屈指のスポーツ基地となっています。他にも、南保健所南生涯学習センター南児童館、南土木事務所などの公共施設が集まっています。

 

宝学区(たからがっく)

昭和34年に大生学区から独立しました。この辺りは江戸時代に宝生新田・水袋新田・弥次衛新田などの新田として干拓されたところでした。宝生荘・北頭住宅・中割住宅・弥次ヱ荘など住宅団地の多い地域です。伊勢湾台風で大きな被害に遭っています。

 

宝南学区(ほうなんがっく)

宝学区から昭和61年に独立した、南区で一番新しい学区です。伊勢湾台風の犠牲者の霊を慰めるために作られた「くつ塚」があります。神松荘・堤起荘・元塩荘のほか、集合住宅の多い学区です。学区境にある大江川緑地にはサイクリングコースもあり、緑豊かな緑地として市民の憩いの場となっています。

 

白水学区(はくすいがっく)

当学区は源兵衛・丹後江・繰出などの新田があったところです。昭和13年に笠寺学区から独立しました。伊勢湾台風で大きな被害に遭い、「母子像」や「愛と力の筏像」「友情の碑」などの記念碑が建てられました。せせらぎ水路は毎年夏に「魚のつかみどり大会」が行われ、子どもたちの歓声がこだまします。

 

千鳥学区(ちどりがっく)

この辺りは丹後江新田、鳴海宿の伝馬助成の目的で築造された鳴海伝馬新田などの新田開発により生まれました。昭和31年に白水学区から独立。その3年後に伊勢湾台風に見舞われ大きな被害に遭いましたが、早くに復興しました。

 

柴田学区(しばたがっく)

南区の南西に位置し、北は大江川、南は天白川に面している当学区は、大江・北柴田の新田からなり、畑が多く、うりや綿の産地であるとともに、漁業の基地であったといいます。昭和36年4月に白水学区から独立。学区名は柴田屋新兵衛によって開墾された北柴田新田の名をとってつけられました。伊勢湾台風で甚大な被害に遭い、柴田小学校には慰霊碑が建てられています。

 

 

お住まいの地域の学区の確認方法について

 ご自身の町内がどの学区にあたるかは下の通学区域一覧でご確認ください。学区は小学校区と一致しています。

 

学区の花

 南区では、区制100周年を記念して、各学区で「学区の花」の選定とコミュニティセンターなどへの植栽をしていただきました。「学区の花」についての知識を深め、地域に植栽することで、うるおいのあるまちづくりを進めていきましょう。

 

各学区の人口統計

 毎月1日の各学区の世帯数や人口を公表しています。

 

学区別生活環境指標

 人口や住環境に関することをはじめとする地域の身近な情報を各種統計データ等から収集し、「学区別生活環境指標」として学区別に整理しています。

 

地域活動事例集

 地域の安心・安全につながる活動や住民の親睦を深める活動など、各学区で取り組まれている様々な地域活動を事例集としてまとめ、紹介しています。

このページの作成担当

南区役所区政部地域力推進室地域力推進係

電話番号

:052-823-9322

ファックス番号

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