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大高周辺のみどころ一覧2

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このページを印刷する最終更新日:2017年11月13日

大高周辺のみどころ一覧2

八幡社

JR大高駅西300メートルの所にあり、祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫(たまよりひめ)。社伝(原田家)によれば火高見城(大高城)主花井備中守が当所と大高城内に鶴岡八幡宮(治承4年1180年に源頼朝が石清水八幡宮を勧請)を勧請し、広大な神域を持っていたが大高小学校(現大高北小学校)の敷地にあてられたりした。元は村社で氷上姉子神社についで建物の規模は大きく、社殿・拝殿・末社・石鳥居などがある。家康も永禄4年(1561年)若武者のとき参詣祈願した記録がある。昭和56年(1981年)に本殿を、平成11年社務所の改築、平成13年(2001年)には拝殿、祝詞殿の改築、水手舎の新築、玉垣の新設工事が行われ、平成14年9月に竣工奉祝祭が執り行われた。江戸時代は武士は城山八幡社(城内)に参り、庶民はこの八幡社を参ったといわれる。境内の隅に大高小学校の奉安殿が修復されて残っていたといわれる。

大橋

大高川に架かる橋で天保12年(1841年)の村絵図には板橋で画かれており、大高ではメインの橋であった。木橋から昭和32年にコンクリート橋に、現在の橋は河川改修後の昭和58年に竣工した。

江明公園

元大高町役場跡地で、造り酒屋であった余延年(大高の文人・篆刻家)の宅地の碑がある。余延年は延事3年(1746年)大府市共和町八ッ屋に生まれ、文政2年(1819年)没74歳。千秋墨山、成修処士などの号をもち、通称山口九郎左衛門。篆刻は京都の高芙蓉に師事、藩主など著名人の印を篆刻している。俳句(俳号墨山)を久村曉台、墨蘭を増山雪斎に学ぶなど大高きっての文人であった。また陶芸大高焼にもかかわりがある。

青峰山観音

念仏橋の西の袂に小さなお堂があり青峰山観音が祀られていたが今は薬師寺にある。この辺りの大高川には江戸時代より船の出入りが盛んで湊のあったところで、昭和の初め頃までは伊勢参りの船が出ていた。青峰山観音さんは高見、込高、中之郷(現鷲津)の3カ所に在り、海上安全に御利益のある志摩の青峰山正福寺(真言宗)の十一面観世音菩薩像を勧請して湊船着き場に配られて来た証しである。青峰山は古来337メートル山頂にある寺の灯明が志摩の海を行き交う船の道標になって信仰を集めて来た。

春江院(しゅんこういん)

国の登録文化財に指定されている。弘治2年(1556年)の創建。大高城主水野大勝が父の和泉守忠氏菩提のため、尾張横須賀長源寺四世峰庵玄祝を開山とし、和泉守を開基としたのにはじまる。父の法名「春江全芳禅定門」により春江院と号す。本尊は多宝如来。石畳みの参道を上がって「大高山」の山門をくぐると大きな「不許葷酒入山門」の石碑が目に入る。正面に本堂、右手には大きな庫裡、鐘楼があり、書院、不老閣、茶室、観音堂、弁財天堂等が広大な林叢の境内にある。本堂は文政13年(1830年)再建、正面八開半、奥行八開、単層入母屋造、本瓦葺で鐘楼は慶応元年(1865年)に再建された。書院は有松紋の開祖竹田庄九邸宅にあった。江戸時代参勤交代の諸大名や公家の休息に当てられていたもので、明治12年(1879年)に当山に移築されたものであり、襖絵は狩野永秀画「しらさぎ」が描かれている。大高町に末寺として明忠院、東昌寺、薬師寺、弥陀寺がある。墓地には当地の文人余延年(山口墨山篆刻、俳人、1745年から1819年)、山口耕軒(墨山の子私塾時習館学頭、1767年から1837年)、下村丹山(画家、一六羅漢奉納、1804年から1867年)、下村実粟(茶人久田流、1833年から1916年)らの墓がある。

海岸寺

大高城跡の東端の国の史跡指定地内にあり、天正2年(1574年)称慶宝印(ちんけいほういん)の開山。寛文村々覚書では源光院と称していたが元禄7年(1694年)の由緒書では海岸寺になっている。もともとは入江だった大高川の川口海岸付近にあったが、宝暦7年(1757年)に現在地に移転。広い寺域と伽藍があったが、寛政のころの記録には海岸寺、源光院、三光坊のみで他は廃絶していたものと思われる。江戸時代の火災で記録類が焼失し縁起は不詳。今次大戦後本堂内陣の修復、庫裏の増築、庭園、参道などを修築して境内を整備し寺観が一変した。本尊は伝定朝作聖観音菩薩像、現代の作であるが緑区唯一の仁王門がある。また本堂や客殿の襖絵が立派、京都万福寺の宝珠山人の「龍」の南画、中村哲也画家の「龍」の日本画がすばらしい。1月4日の「大黒天の護摩焚き」と2月3日の節分は一見の価値あり。

田中の神明社

祭神は国常立神。大高小学校正面前にあり、石段を30段ほど上がった小高い丘に繁茂した樹木の中に三尺四方の小さな祠がある。記録によると慶長以前から除地で、土地の人は「オシャグジ」と呼んでいた。東海地方から関東信州方面で信仰された古い農耕の神様、庶民の神様ジャグジ(社宮司、石神)であとから神明社が合祀され名が神明社になった。大きな松、樫の木があったが台風で倒れ、近時は住宅が密接し往時の面影はない。

久米家墓地

氷上姉子神社の神職であった久米家の墓碑がある。また久米家文書はこの地方の貴重な文化遺産である。

石神遺跡

6世紀後半の古墳石室の跡地に、室町時代の石神祭祀遺跡が発掘調査で分かった。発掘調査以前に石室の石は石神白竜大王社に移設され立石、止石に使用されていた。なお、今は住宅地となっている。

石神白竜大王社

春江院の裏手の坂道を登ると丘陵地の中腹に大楠と桜の大木があり、石神白竜大王社の石碑が見える。祭神は石神白竜大王で祠と塚の石が祀ってある。昔ここに塚がありヘビが住んでいて、塚の土や樹木を構うと「たたり」があり、村民が白竜さんを祀り鎮めたといういい伝えがある。また「埋もれたる神の碑出て時雨かな」の句碑があり、石神遺跡の石室の一部と思われる石が置かれている。

朝苧社(あさおしゃ)

氷上姉子神社の境外末社で祭神は火上老婆霊(ひがみうばのみたま)で氷上の里の地主の神で宮簀媛命の母神と伝えられている。俗に老姥神様といわれ乳の出ない婦人が祈って効験があり、近年では「乳の神」として尊崇している。また朝苧社は麻苧社ともいわれ、織物の神社ではないかといわれている 。

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