表紙 名古屋城バリアフリーに関する市民討論会 会議録 名古屋市 目次 1 開催概要 .................................. 1 (1)趣旨.................................... 1 (2)概要.................................... 1 2 市民討論会の記録 .......................... 2 (1)開会.................................... 2 (2)講演.................................... 3 (3)名古屋市からの説明 ..................... 9 (4)討論会 ................................. 13 (5)閉会.................................... 29 1ページ 1 開催概要 (1)趣旨 @目的 復元する木造天守への昇降技術の設置について、名古屋市の方針の参考とするため、市民から意見を聴取するもの A参加者 無作為に抽出した名古屋市に居住する18歳以上の5,000人に「名古屋城バリアフリーに関するアンケート」の調査票とともに市民討論会への参加申込書を郵送し、その参加申込書を返送してきた市民を対象とした。 (2)概要 @日時、会場、参加人数 日付 令和5年6月3日(土) 時間 14:00〜16:10 会場 中区役所会議室 参加人数 36名 A次第 1.開会 2.講演 講師:名古屋工業大学名誉教授 麓 和善 氏 タイトル:「名古屋城木造天守復元の理念・手法・意義」 3.名古屋市からの説明 「名古屋城木造天守復元とバリアフリー」 4.討論会 有識者 愛知産業大学非常勤講師 堀越 哲美 氏 名古屋工業大学名誉教授 麓 和善 氏 一般財団法人バリアフリー総合研究所 UDラボ 東海 代表理事 阿部 一雄 氏 5.閉会 2ページ 2 市民討論会の記録 (1)開会 司会 本日はお忙しい中、ご来場いただきまして誠にありがとうございます。ただ今より、「名古屋城バリアフリーに関する市民討論会」を開会いたします。どうぞよろしくお願いいたします。 初めに、本日の市民討論会の進行についてご説明いたします。皆様お手持ちの資料の表が次第になっているかと思いますので、そちらをご覧いただきながら聞いていただければというふうに思います。 まず、名古屋城に関する講演をしていただきまして、その後、「名古屋城木造天守復元とバリアフリー」の説明を行います。大体これが50分ぐらいかかるかと思います。その後、休憩に入りまして、後半は討論会を行います。できるだけ多くの皆様にご発言いただきたいので、進行にご協力くださいますようお願いいたします。 なお、ご参加の皆様には、まずは率直な意見を賜りたいと考えております。そのため、今日、ここにお越しいただく前に、皆様に事前にご回答いただいたアンケートの結果につきましては、この討論会の最後にご報告をさせていただきたいというふうに考えております。討論会は、午後4時10分頃終了予定となっております。 次に、本日お配りした資料についてご案内をいたします。受付で討論会の冊子、それから黄色のA5サイズの質問・意見用紙、それから感想記入用紙、そして先ほどお伝えしたご参加にあたってのお願いという、注意事項の資料が入っていたかと思います。 さらに、名古屋城に関するチラシ等も入っていったかと思います。 これから名古屋市から説明する説明内容につきましては、今は暗くなっておりますけど、スクリーンで映写いたしますが、お手元の資料でもご確認いただけるようにしております。また、黄色の質問・意見用紙は、休憩中に回収して後半の討論会の一部でご紹介をさせていただきたいというふうに考えております。前半の講演及び「名古屋城木造天守復元とバリアフリー」に関する説明の時間、または休憩中にご質問やご意見を記入していただけたら、幸いでございます。 また市民討論会の終了時には、感想記入用紙というものを回収させていただきます。なお、報道機関による取材が入っているほか、カメラによる撮影と、個人の方が特定されない形でのインターネット中継、こちらも行っておりますので ご了承くださいますようお願いいたします。 初めに開会にあたりまして、名古屋市から一言ご挨拶を申し上げます。市長、よろしくお願いいたします。 河村市長 はい、それでは、ちょっとマスクを取らさせていただいて、声が通りにくいですから、話をさせていただきたいと思いますが。今日はお越しいただきまして、誠にありがとうございます。これ、本当に無作為で選ばさせていただいた皆さんだけのご出席ということになっておりますんで、一応、統計学上と言いますか、フラットな皆さんのご意見が賜れるということでございます。 お城の方は、国宝1号という大変な名誉のあるお城だったんだけど、昭和20年の5月14日の午前9時ぐらいだと言われておりますけど、焼夷弾が当たりまして、燃えてしまったということ 3ページ でございまして。どうするかということを皆さんで考えていこうということでございますので、私は、ともすれば1000年の宝になるように、それにはどうしてったらいいかということでございますんで、ぜひ思いの丈を、私も全部聞いておりますんで、お話をいただければと思います。そんなことでございますんで、今日はどうもおいでいただきまして、ありがとうございました。Thank you very much、ありがとうございます。 (2)講演 司会 では、市長の挨拶もしていただきましたので、これから講演の方に入っていきたいと思っております。 それでは、「名古屋城天守復元の理念・手法・意義」と題しまして、名古屋工業大学名誉教授の麓和善様より講演をいただきます。麓先生は、日本建築史、文化財保存修復をご専門とされており、名古屋城の他にも鳥取城中の御門(なかのごもん)や金沢城二の丸御殿の復元をはじめ、全国の史跡整備や文化財建造物の保存修理に携わっておられます。 では、皆様拍手でお迎えください。麓先生、よろしくお願いいたします。 麓先生 ただいまご紹介いただきました、名古屋工業大学名誉教授の麓和善と申します。よろしくお願いいたします。今日は「名古屋城天守復元の理念・手法・意義」っていう、ちょっと堅いテーマですけども、まず私が最初に申し上げたいのは、なぜ名古屋城の天守を復元するのか、そしてその復元する場所が文化財として、名古屋城全体が特別史跡に指定されている、特別史跡における復元っていうのがどういうことなのか、っていうようなことを最初に申し上げたいと思います。 まずその史跡、史跡っていうのは文化財保護法の中の史跡名勝天然記念物という分野があって、その中の史跡、歴史的な遺跡が文化財として指定されているんですけど、それが、史跡と特別史跡っていう2段階指定になっています。これは、有形文化財の重要文化財においても、建造物や美術工芸品の重要文化財でも、重要文化財と国宝という2重指定になっているように、史跡においても2重指定になっています。国指定の史跡の中でも、特に重要なものを特別史跡に指定してるわけです。名古屋城は特に重要な特別史跡になっているわけですね。史跡であれ特別史跡であれ、そこに建物を復元するということはどういう行為なのか。単に観光名所を名古屋市に作りたいっていうことで復元するわけではないんですよね。文化財としての、特別史跡としての価値を高めるような行為でなければいけない。今の状態よりも、天守を復元することによってさらに文化財としての価値が高まらないといけないんです。その文化財としての、名古屋城の文化財としての価値はどういうところにあるかといいますと、もちろん城郭ですから、城郭として特別史跡になっておりますので、江戸時代の藩政の中心、藩の政治の中心、中枢であるっていう機能が江戸時代まであって、その状態、その時代の、歴史性っていうのが一番重要なわけですね。その城郭として価値を高めるような復元でないといけない。それは何か、不幸にして戦災で失われました、焼失しましたけども、江戸時代の史料であるとか、あるいは近代に入ってからの史料であるとか、歴史的な記録、そういうものを元に忠実に復元するっていうことが求められるわけです。それは、何をもとにこの天守を復元するのかっていうのを、ちゃんと根拠を示して復元します。 4ページ それが例えば、有識者である建築史研究者が詳しく研究して、それで復元が認められるっていう、それだけではなくてですね、もちろんそういうことも必要なんですが、第三者の専門家がちゃんと審議する機関があって、それは文化庁の中に設けられた文化審議会というのがあって、そこでこういうものを復元するんだっていうものを、膨大な書類を作って、資料を作って、それを文化庁に提出して、文化庁がこれなら史実に忠実な復元だっていうことを認めて、やっと復元できるっていう運びになるんですね。そういう資料を整えていく、文化庁に申請書を提出する最終段階に今至っています。そういうことで復元していくんですが、今度はもう少し具体的に、スライドを見ながら説明していきたいと思います。 史跡の復元、これが特別史跡の復元でも同じなんですが、復元根拠というのがあって、重要な順番に上から@残存する建築遺構や地下(基礎)遺構、A古写真、B絵図・文献史料、C類例と書いてあります。@は、実際に今残ってる、失われた、建物が失われたとしても、その一部が残っているとか、地下に基礎遺構が残っている。今のこの話は、名古屋城に限らず、史跡の復元一般について、こういう順番で、重要な、復元根拠となる資料がありますっていうことを申し上げています。これを名古屋城に当てはめると、天守はSRCですが、この下にある天守台の石垣、あるいは周囲の石垣、そういうものは堀も含めて江戸時代以来のものですから、これは現存する遺構っていうふうにいうことができます。だから、この大きさを無視した天守っていうのは、あり得ないですね。そして、今このSRCの天守を造るにあたって、昭和30年代、34年でしたかね、元あった穴蔵の礎石を天守の北側に移設して、そのまま平行移動して設置してありますが、あれも現存する遺構というふうに言えます。 そしてA古写真、古い時代の写真があります。Bこれは昭和の実測図と呼んでますが、図面、絵図、文献、史料等ですね。この図面よりもまだ写真の方が間違いがないということで、古写真が上位に来ています。こういう現存する遺構、古写真、文献、こういうものでもわからない、これでもわからない時には、C類例といって類似の、似た資料を、建物を求めます。例えば名古屋城でしたら、城内に当時の同じ時期の建物として、櫓が3棟、これは西南隅櫓ですが、櫓が3棟残っています。こういうものを参考資料として使うこともできます。 これをもっと詳しく話しますと、名古屋城、戦災で焼失したんですが、その時に崩れ落ちた焼け跡の中から、焼損金具と呼んでますが、飾金具、名古屋城天守を飾っていた飾金具とか、屋根の銅瓦、銅板でできた瓦、こういうものが下に落ちて、それを拾い集めて大切に保管されていました。 しばらく行方不明になってたんですが、最近これは発見されたものです。それと国宝、国宝っていうのは、先程市長さんが名古屋城は国宝第1号だったとおっしゃいました。それは確かにその通りで、日本の文化財保護法を遡って見ていきますと、明治30年にまず古社寺保存法というのができます。これは廃仏毀釈等で存続が危うくなった古いお寺を救済するっていう、あるいは仏教美術品を救済するっていうのが目的なんですが、古社寺保存法というのができて明治30年です。その第1号として法隆寺金堂ほか44件の建物が、当時は特別保護建造物っていうものに指定されました。その後、文化財の、当時の特別保護建造物がどんどん増えていきまして、古社寺に限らず城郭建築であるとか、あるいは旧大名家が持っていたような美術品、こういうものも文化財にしていこうと。それでは、古社寺保存法という古社寺に限定されたものではなくて、もっと対象が広くなりますので、それで昭和4年に国宝保存法という法律に変わります。国宝保存法に法律が変わって、法隆寺金堂以下、既になっていたものもそのまま国宝になりますし、新たに城 5ページ 郭建築として名古屋城が第1号として国宝に指定されます。それは昭和5年のことです。当時は、戦争も危惧されていました、そういう時代でしたので、国宝に指定された後、昭和7年から5か年計画で記録保存をする。この記録保存よりも前に、名古屋城では、例えば、藩政期の最後の城主、藩主徳川慶勝さんが、非常に写真愛好家で、当時非常に数少ない写真を撮られる方でその写真もあります。これも非常に珍しいものですけどね。 そういう写真に加えて、昭和7年から、いつどうなるかわからない、もし万一のことがあっても記録が残っていれば、という目的で7年から5か年計画で写真をまず撮ります。ガラス乾板写真っていって、ちょっと昔のフイルムではなくて、ガラスの板にフイルムと同じような乳剤を塗って、それに写すというようなもの、下敷きぐらいの大きさのガラスの乾板なんですが、そこで約800枚も城内全体の建物について写真を撮りました。これはたまたま、なんかの記念写真を撮ったっていうんではなくて、建物を記録するという目的で隅々まで撮っていたんですね。 それと合わせて、今度は図面を作っていた。当時正確な実測図っていうのは、正確な創建当初の図面っていうのは全くない。というのは、400年前は図面なしであの建物を造っていた時代です。図面はありません。それを正確な実測図を作る、それには実測調査が必要だっていうんで、五重の金の鯱のところまで足場をかけて実測調査をして、それを元に今度は実測図を作る。5か年計画と言いました。昭和7年から12年かけてですが、この調査をした後で実測図を作るという行為は昭和27年まで続きました。そのぐらい延々と実測図、消失後も実測図は作られました。これを昭和の実測図と呼んでますが、全ての建物で280枚程作られました。天守については71枚残っております。こういうことをやった、記録写真を撮った、記録保存をしたっていうのは日本中どこを探してもないです。計画的に記録保存したっていうのは名古屋城だけで、それでこんなに詳細な史料が残されているっていうことなんです。 具体的に、今度はこの焼損金具、これは焼け落ちた金具なんですが、これがですね、天守の古写真です。名古屋城に所蔵されている古写真なんですが、ちょうどここの部分の銅板が落下して、それを拾い集めたもの。この写真だけでは意匠がぼやけてわからないっていうところがここでははっきりわかるし、銅板をどのように彫金しているかっていうことも正確にわかります。 そしてこれは鬼瓦とか鬼板と呼ばれるものです。これも残って、軒先の瓦の銅の瓦、これは五重のものですが、丸瓦の先端の部分です。これも彫金、意匠デザインと彫金技法がわかります。この地になるところも菊石目というタガネで叩いて文様が付いています。それまでちゃんとわかるんですね。そしてこれは、平たい部分の軒先の瓦のデザインと、地の部分の彫金技法がわかります。五重目の、丸と平とこれが交互に並んでるんですが、そこのデザインが写真ではわからないんですが、この実物があることによって正確にわかります。 古写真です。たくさん撮られている写真の一部を見ていきたいと思います。これは小天守の外観、内部、大天守の外観、いろんな角度から撮っています。意図的に撮ってるのがわかりますよね。そして、実測調査のために足場を作ってましたから、金の鯱も真横から写真を撮ってます。内部、階段、そしてこれは五階。こういうものが膨大な写真があって、よくわかる。こういう写真からここにこんな意匠の階段があるっていうだけではなくて、この写真を拡大することによって、木材、これは何なのか、ヒノキなんですが、ヒノキのどういう材料なのか、仕上げがどうなっているのか、なんてことも読み取ることができるんですね。 そして実測図です。穴蔵、各階の実測図があるんですが、そしてその上の1階の床組、床の床 6ページ 板を剥がしたその下がどうなってるか。さらに1階の床はどうなってるのか、寸法なんかも書いてあります。そして今度は1階から天井を見上げたところ。天井裏っていうことなんですが、これは実際には2階の床下が見えてる。これが3階の床。屋根の所と屋根の下のここがこう、部屋になってるんですが、部屋の部分も書いてある。この下もこういう部屋になってるんですね。その上、ちょっと1階ずつ飛ばしてますが、これは5階の床。そしてその上の天井。5階だけ天井があります。 立面図。これは昭和の実測図に、私が学生の頃、師匠の内藤先生に言われて石垣も全部調査して、石垣全部埋めてしまえって言われて、苦労して測って書いたものなんですけどね。 そして大天守に、小天守とか、ずっと向こうに見える西南隅櫓であるかとか、そういうものも合わせて書けって言われて苦労して書いた図面です。 昭和の実測図のトレースを行ってるんですが、そしてこれが昭和の実測図の断面図。大きな断面図だけではなくて、ある部分の断面図。先程、焼損金具があったっていうのは、こういうところです。この部分の金具です。その断面図もあります。 昭和の実測地図がたくさんあると同時に、もう1つ、天守が400年前に建てられてから、140年ほど後に、大きな堀のある北と西側の石垣が沈下して建物そのものが北西側に大きく傾いた。それを修理する時の設計図が作られました。宝暦っていう時代で、1752年から55年に行われた大修理ですが、その宝暦大修理の時に作られた当時の設計図です、これは。それぞれの立面や断面や平面図があって、さらに、平面図には、柱の位置が描いてあって、その柱に、黒い柱と、赤の丸で囲んだ柱と両方あるんですが、赤で囲った柱っていうのは、1階から2階への通し柱、1、2階を1本の柱にした、長い柱を用いてるっていうのが、描き分けられています。 それを元に、これは私が作ったものですが、大天守、小天守のどこに通し柱があるかっていうのを、今の図面史料をもとに模式化したものです。 西と北の石垣の上の部分は解体して、石垣も解体して、石垣の積み直しも兼ねた建物の修復工事が行われました。その設計図、これもその設計図。そして、さらに石垣を、これが南って書いてますが、こっちが北、こっちが西ですが、どういう順番に石垣を解体していってどのように積み直していくっていう、その修理の手順が起絵図(おこしえず)って言いますが、こういうふうに何枚かの紙を開きながら、順番が書いてある。石垣の反りは、こういう反りだっていうこともその当時書かれました。 それと、今でも建築工事をやる時には設計図と仕様書と積算書、お金がいくらかかるかっていう見積とその3つを作るんですが、当時もどういう仕様で工事をするかっていうのが文章で書かれています。これも崩し字ですが丹念に読んでいくと、本当に見事な工事内容で修理したっていうことがわかります。今申し上げたような史料が豊富にあるので、非常に忠実な、これはもう日本中の史跡の復元の中で他では真似ができない程忠実な復元ができます。名古屋城ではできます。 忠実な復元をしたらそれだけでいいかっていうと、それではダメですね。今の巨大地震、極稀に発生する巨大地震、阪神淡路地震とか東北の地震とか、ああいう地震でも倒壊しないようなことが求められる。耐震診断をして、必要な耐震補強が行われないといけない。 これはその例として姫路城の大天守ですが、姫路城の大天守は国宝になってるし、世界遺産ですが、これは、今ある建物をいかに修理、補強するかということで、こんな風に鉄骨で補強しています。そして、柱の、この上の部分ですね、ここにはこういう金具が付いていて、このまま見 7ページ えちゃちょっとみっともないっていうんで、木の箱状のもので隠すようなことがしてあります。 今度は、そういう耐震補強が必要ですし、まず火災に遭わないようにしないといけない、それは首里城が火災で燃えた、そういうこともありますし、幸いあれは夜だったからいいんですが、昼間火災に遭うと今度はここに来ている見学者に甚大な被害が及ぼされますので、そういう設備も必要です。自動火災報知設備、自動的に火災を報知する、火が起きるとベルが鳴るっていうものですね。そういうものを付けるし、落雷があった時に建物を直撃しないように、その雷を避ける避雷設備っていうのがあります。この2つは防火設備ですね、火災が起きないような設備。 でも、万一火災が起きてしまった場合には、今度は消火設備が必要になってきます。これは姫路城の消火設備です。こういう管の中に水が通っていて、ここには消火栓がある。そして姫路城の場合はさらにスプリンクラーが付いてます。そういうものをつけようとすると、姫路城の場合、やはり外から見えるような、配管はどうしても外から見えるような形でしか取り付けることができない。あるいは、縦に降ろしてくる部分をこういう階段の裏を使って配管をする。それをまた木のボックスで隠す、こういうことが必要になってきます。 このようなものは、現代設備として建物を守ると同時に観覧者の安全も守るために必要です。名古屋城でも、当然、史実に忠実な復元をすると同時に、併せてこういう防災設備というものも今設計しております。 今度は一番最後、この最後に価値の話ですが、意義の話ですが、それは天守の変遷の中で、名古屋城がどういう位置にあるのか、それを、今復元することにどれだけ意義があることかっていう話を最後にします。 これは、天守の発達っていうのは、一番最初に天守ができるのは、信長の安土城だと言われています。でも安土城は、本能寺の変で無くなりました。その後、わずか60年の間に急激に意匠とか構造とかが発達します。それを現在わかるもので見ていきますと、今現存の中で一番古い形式なのが犬山城天守です。ただ犬山城天守がこのような姿になったのは江戸時代の改造の後で、その前にはこういう姿をしていました。これは、私が調査をした上で復元図を作成したものですが、こういうところの装飾が無かったんですね、元はね。これが最初の姿。そしてそれが姫路城のようになって、名古屋城になって、江戸城になって、っていうような変遷をします。この変遷を上の段、下の段で大きく分けて、上の段のこれが望楼型。というのは、この大きな建物の屋根の上に望楼が乗ったような形。実際には、この上に城主が上がって城下を見渡すっていう、そういう意味合いはないんですが、高い所にある楼閣が乗ったっていうような形式なんですが、それを一般的に望楼型といってます。全体を見ると歪になってますよね。大きな建物の上に、小さな望楼が乗ってる、これをどんどん、どんどん整えていって、何層にも重なった塔のような建築にするのを目指したんです。 塔のような建築にしていったその時代を層塔型、何層にも重なった塔という意味合いで層塔型といってます。名古屋城、江戸城は層塔型。そしてそれをさらに前期と後期に分けて、犬山城は前期望楼型、姫路城は後期望楼型、名古屋城は前期層塔型、江戸城が後期層塔型という様式の分類をしています。 なぜ犬山城は前期望楼型かというと、この上、大きな建物の上にこういうものが乗ってるっていうのは、実はこの上だけ見ると金閣とほとんど同じものが乗ってるんですね。これが大きな屋根の上に乗るので、外観から見ると、1、2、これは屋根裏の窓です。1、2、3重です。内部の 8ページ 床はっていうと1、2、3、4階です。大きな屋根があるので、ここに屋根裏部屋としての階が1階できる、犬山城の場合は3階。そこにもやっぱり窓が欲しいというので、このような窓を付けて、屋根裏階から3重目、最上階の4階に行く。石垣上の話ですけどね。これは、外観3重内部4階っていう風に、外観の重数よりも内部の階数の方が1つ多い、1階多いっていうのがこの望楼型の特徴です。 姫路城は、名古屋城のように随分塔のような形になってるじゃない、というふうに思うんですが、実はこれも大きな、2重の大きな屋根の上に3重の楼閣風のものが乗っているんですね。石垣の上、1、2、3、4、5重ですが、内部はっていうと、今ここで見えてる石垣がここで、これは穴蔵階で、この上、1階、2階、3階、4階、5階、6階、5重6階です。というのは、やっぱりここに屋根裏階が1つ設けられているからなんですけどね。だから、姫路はまだ望楼型で、後期望楼型のものだっていう扱いになります。 これに対して、名古屋城、姫路城よりもっと大きいんですが、名古屋城は石垣の上に1重、2重、3重、4重、5重で、ここは穴蔵で、石垣の上はここからになるんですが、1階、2階、3階、4階、5階で、外観の5重と内部の5階が一致している、階数が一致してる。これが層塔型の特徴。ただし、ちょっとまだ未発達な部分があって、ここが通し柱になっているものですから、1、2重が通し柱になっているので、同じ大きさです。 その上から一定の比率で小さくなっている。 これが江戸城になると、1重、2重、3重、4重、5重と全部一定の逓減率っていいますが、一定の比率で小さくなって、ここで層塔型が完成すると見るんですが、名古屋城がその1歩手前で、むしろこっちよりももっと格好いいんですけどね。 今度、これは現存する12の天守、それに名古屋城と13天守を合わせて縮尺を同じにして石垣の上を同じ高さにして並べたものです。古い方から、犬山城から順番に並べていってます。 犬山城は小さなお城のように見えて、名古屋城以降の江戸時代の城の方がずっと小さくて、犬山城はまだ大きいんですね。概して名古屋城より前の天守は大きくて、名古屋城より後の天守は小さいです。これは理由があるんです。というのは、天下人が大きな天守を造って、その天下人を超えるような天守は造れなかった。信長が安土城を造った後は、安土城を越える天守を造った大名はいなかったんです。今度、豊臣秀吉が天下人になると大坂城を造って、大坂城を超えるような天守を誰も造らなかった。天下人を超えるような天守は造らなかった。でも、豊臣秀吉が亡くなって、まだ豊臣政権が、秀頼の時代が続いてた時に、徳川家康の勧めによって、巨大な姫路城を作りました。この姫路城で大体豊臣秀吉の大坂城と同じぐらいの規模だと言われています。ということはですね、天下人と同じようなものが池田家によって造られた。そうすると、もう豊臣家は一大名に過ぎなくなってきた。豊臣家の力っていうのは、大大名程度になったっていうことになる。その姫路城を造った後で、豊臣家を滅亡させる直前にはるかに大きな名古屋城を造るんですね。家康は造らせる。これを天下普請で西国大名達に石垣は造らせるし、この木造部分は幕府の直営で、この巨大な天守を造る。そうすると、もう戦国大名の誰の目にも、もうこれは家康の時代だなっていうのがわかるんですね、この力関係で。天守の大きさによってそういうことがわかる。もう徳川の時代だ。これを造った直後に、大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家は滅亡させられて、そして徳川政権がこの後続いていく。特に徳川政権が安定してくると、それ以降、幕府から許されて天守を造る場合も、もうそういう力の大きさを誇示する必要はないので、非常に小さ 9ページ な、名古屋城の隅櫓程度の天守しかもう造られなくなってしまう。天守の大きさ、これは権力の大きさだと思ってください。 最後に、姫路城に比べて名古屋城はこんなに大きい、大きいんだ。先程の国宝城郭建築第1号は名古屋城だ、城郭建築の第2号は姫路城なんですが、残念ながら名古屋城は焼失してしまいましたので、法隆寺と一緒に世界遺産に登録されたのは姫路城ですが、 もし残っていたら当然名古屋城が世界遺産、法隆寺と同時に世界遺産になってたでしょうし、その時の同時になった理由としては、法隆寺から始まる日本の木造建築がどんどん、どんどん発達していって、1番最高、技術が最高になった到達点、それが名古屋城の天守っていうふうに言えると思います。それを今回復元することによって、外観だけではなくて、内部に入っていって木組み、先ほど古写真で見ていただいたような木組みまで詳しくわかる。これが日本の木造建築の最高の到達点なのかっていうのが実際に見て取れる。姫路城の中に行くとああ立派だなと思いますが、それをもっと大きな空間が名古屋城の中で体験できる。そういう意義があるということです。 時間がちょっとオーバーしてしまいましたが、以上で私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。 司会 先生、どうもありがとうございました。もう一度大きな拍手をお願いします。ありがとうございました。 (3)名古屋市からの説明 司会 それでは続きまして、名古屋城総合事務所所長の上田より、「名古屋城木造天守復元とバリアフリー」についてご説明いたします。 名古屋城総合事務所長 麓先生の大変興味深いお話、ずっと聞いていたかったんですが大変参考になりました。ありがとうございました。 名古屋城総合事務所長の上田と申します。ここからは、「名古屋城木造天守復元とバリアフリー」ということで、名古屋市の事務局の方から簡単にご説明をさせていただきます。本日、3つの部分に分けてお話をさせていただきます。木造天守復元、バリアフリー対応、そして木造天守復元の進捗状況と今後の予定でございます。 まず、先程先生から大変興味深いお話を頂戴しましたので、さらっとおさらいですが、慶長15年、1610年に、名古屋城は徳川家康の命によりまして築城が始められまして、 慶長18年までの2年間でですね、ほぼ天守が完成したと。18年以降はですね、ご存じの方もいらっしゃいますが、その当時、尾張の中心であった清須の町から町ぐるみで引っ越しが行われまして、名古屋に城下町が誕生した。まさに名古屋城は、名古屋の都市形成と文化芸能、芸術産業のルーツであったというふうに考えています。 その中で平成30年度に名古屋市としてですね、この特別史跡名古屋城跡保存活用計画という計画を策定しまして、 この名古屋城を後世につなぐため保存、活用、そして整備をしっかりと進め 10ページ てまいりたいということで行政計画を作りました。 その中でも特にですね、中心的なエリアで本丸といっておりますけれども、この本丸を整備する基本構想というのを策定しております。この本丸という場所、本丸御殿とそれから今手がけております天守、あるいは隅櫓などがございます。非常に重要な場所ですが、 ここをですね、江戸時代の名古屋城の本丸の姿にしっかり再現をしていきたい、今ある石垣や建物、これをしっかりと守りながら、今失われたものにつきましても、できる限り復元をしっかりしまして、段階的に整えて、本丸全体を、その当時、往時のですね、姿が皆様に実体験していただけるような形で、整備をしてまいりたいという風に考えております。 その中で、木造天守を復元する意義でございます。先生お話ありましたが、世界最大級の高層木造建築物、これを外観はもとより内部の空間の構造とか意匠デザインの細部に至るまで、史実に忠実に復元をしてまいりたい。その中で天守を外から眺めるとともに、内部空間に入りまして実体験をしていただく、そういったことを狙いとしております。そうした中で、この特別史跡名古屋城跡の本質的価値、そういったものをしっかり高めまして、理解をしっかりしていただくということを狙いとしております。 その中で、ちなみにですが、建築基準法という法律がございますが、その中の解説の文書がございまして、抜粋ですが「国宝などの文化財は先人が我々に伝えた貴重な財産であり、 これを保存し、後世に伝え、あるいはその活用を図って、国民ひいては世界の文化に寄与することは我々の任務である」というような記述もございます。 ここから、我々が木造天守復元でお世話になってます、株式会社竹中工務店さんの作ったCGがございますので、木造天守復元のイメージということでご覧いただければと思います。 (株式会社竹中工務店制作の天守閣木造復元イメージCGを表示) 以上ですが、これはYouTubeの方でも「天守閣木造復元イメージCG」と検索していただきますと出ておりますので、ご参考にしていただければと思います。 史実に忠実な復元とバリアフリーということでございます。先程来説明しております史実に忠実な復元が重要である一方で、障害のある人もない人も共に木造天守を体感していくためのバリアフリーも大変重要であると考えております。 その中で障害者関係の法律、主に2つありまして、一般的にバリアフリー法とよばれているものと障害者差別解消法という、2つ大きな法律がございますが、その太字にもありますように、移動等円滑化のために必要な措置を講ずるということとか、あるいは社会的障壁の除去のため必要な環境の整備に努めなければならない、というようなことが記載されております。 そうした中、私どもでは、3つの復元の方針を立てております。1点目が、調査研究に基づく史実に忠実な復元、これは先生が先程おっしゃっておりました「昭和実測図」「ガラス乾板写真」「金城温古録」、そういった過去の史料に基づく忠実な復元を目指す。それから2つ目として、遺構の保存に十分に配慮するということで、残された貴重な遺産、遺構をしっかりと守っていくと。3つ目といたしまして、防災上の安全確保とバリアフリーということで、出火防止や避難誘導、初期消火等々、それからバリアフリーのスロープ、昇降設備など、こういったものについてもしっかり捉えてまいりたいと考えております。 その中で、2つの大きな考え方に整理をさせていただいています。1点目が「柱・梁を傷めない」こと。先程、先生のお話にもありましたが、本質的な価値として主要な構造部である柱や梁 11ページ を切り欠いたり取り除いたりしない。また、後から付加したものは取り外すことによりまして、往時の状態に戻すことができること、この2つを重視したいと考えております。 一般的なエレベーターを天守に備えることはできないのかということについてでございますが、ここの図にございます。この柱、上から見た平面図の部分ですが、縦横に梁が通っておりますが、この網掛けをしたところがですね、一般的なエレベーターが必要とするスペースでございまして、エレベーターを設置しますと梁を取り除く必要がありますので、先程の方針に反してしまう。このように、車いす利用者、高齢者、けが人等の方々の円滑な移動のための対応が新たに必要になりまして、木造天守の昇降に関する付加設備の方針を定めることとなりました。 ちょっと細かいですので、後程お手元の資料でご覧いただければと思いますが、基本方針として4点あげております。その方針に基づきまして、昇降技術、これの公募をさせていただきました。昨年度、令和4年度に公募をしまして、結果としてこちらにあります最優秀者、株式会社MHIエアロスペースプロダクション、本社名古屋の会社ですが、その提案技術を最優秀として選びました。これ、フェリーなどの船舶の中で、もしくは飛行場で航空機に搭乗する機材として、そういったところに使われている技術、そういった導入実績のある技術をベースに開発をしていきたいというような提案です。 こちらにありますのは、左側がフェリーなどの船舶の中の昇降設備の写真、右側が飛行場などにあります車いす等で飛行機に乗ることができる機材の例でございます。 この技術が一般的なエレベーターとどう違うかということですが、こちら左側のですね図が一般的なロープ式のエレベーターでございます。上に巻上機というのが付いて、ロープでかごを吊り下げておりまして、下には緩衝器といって万が一かごが落ちた場合にですね、下でクッションになるようなそういった機構を埋めてあるという形ですが、今回の右側の提案につきましては、そういった上の部分の機械室はいらない、あるいはピットも必要がないということで、片側で支持をするシステムになっておりまして、チェーンでですね上げ下げをするということで、非常にコンパクトなスペースで設置ができる。これ上から見た平面図ですが、全体的にぎゅっと小さい仕組みで、こういった部分がいらないという形で考えられております。 具体的には、定員が4名もしくは車いす利用者1名と介助者1名が登場が可能であると。構造の中の柱・梁を取り除かずに設置ができるように小型化を進める。また、取り外すことによりまして、史実に忠実な状態に戻すことが可能である、という内容が提案されております。 実際にこういう技術を使ったらどうなるのかなということで、大天守の地階平面図を模式的に表しておりますが、矢印を色分けしております。これもお手元の資料でまたご覧いただければと思いますが、動線が赤い一般の方々の登り動線であったり、昇降設備を使った登り動線が紫で示されておりまして、それぞれ交差をなるべくしないように円滑な昇降ができるような設定をされております。 こちらは地階から大天守1階まで上がりますと、大天守の方で下から上がってくる動線があって、また下っていく動線がありますので、こういったことで昇降ができるような想定をしております。 仮にこれを入れるとどんなイメージになるかと建物の内観ですね、これについてCGを作っていただいております。これは付いていない状態です。大天守の4階の想定ですが、こんな感じです。 12ページ それでこういったものが昇降機として設置されることになります。これ大きさとかはまだ正確ではないので、開発によって若干変わりますのと、こういった今は白いものになっておりますが、こういったところの仕上げをどうするのかはまだ検討する必要がありますが、いずれにしてもこういうものが付いてしまうと。ここのところのグレーのところは、車いすで乗り降りするためのスロープが必要となりますので、こういったものを設置することになります。 これは斜め上から見た図なんですが、立体図になっておりますが、これ仮に4階から5階に設置した際の模式図なんですが、四角く白くなっておりますのが5階の部分にできた昇降装置です。この昇降装置は1層部分を上に行ったり下に行ったりするということですので、各層に順に上がっていく形にはなりますが、仮に5層まで行きますと、ちょっと見にくいですが十文字に壁が付いておりまして、4つの部屋に仕切りが付いておりますが、この1部屋分に相当するスペースを使うかなという風に考えております。 これは同じ5階の部分ですが、色んな処理の仕方によって若干変わりますが、例えばこういった部分に昇降機が設置される可能性が出てまいります。 あと、昇降機以外にも地上から石垣の中に入るということで、大天守の地階に入るバリアフリーについても検討しておりまして、これは昇降機とは別にスロープを設置してはどうかと考えております。こちらが小天守ですけども、こういったところがスロープで上がってくるというようなことで考えております。こちらが大天守、こちらが小天守ですね。上の方が本丸御殿で、ここからこういう風に入っていきまして、小天守に入りまして、小天守から大天守を通ってこちらに入ってくるというようなことを考えております。 ちょっと駆け足ですが、最後になりますけども進捗状況と今後の予定でございます。昨年度ですね、木造天守整備基本計画という全体の復元の計画の素案をまとめまして、4月から本日ご参加の皆様に市民アンケート調査にご協力をいただき、本日、市民討論会を開催しております。この後、5日の日にバリアフリー検討会議ということで、専門家の有識者の方々にご意見をおうかがいする場を設けまして、またそれが終わりますと議会の皆様にご審議をいただき、その後順調にいきましたらこの整備基本計画を文化庁に提出をし、先程先生からご説明がありましたような復元検討の専門家の委員会に諮って、許可が下りましたらいよいよ復元の工事に着工するということで、まだまだ先が長い事業でございますが、今後一日も早く木造天守が実現できますように、名古屋市は全力で取り組んでいく所存でございますので、ぜひともお力添えをいただければと思います。私からは以上、簡単ではございますが、説明を終了させていただきます。ありがとうございました。 司会 はい、ありがとうございました。それでは10分程の休憩とさせていただきます。今、麓先生のお話、それから名古屋城の説明についてご質問がある方は、お配りしている黄色の質問・意見用紙の方にご記入の上、この休憩時間中に受付に提出してください。後半の市民討論会で一部紹介させていただきます。よろしくお願いします。 また先程も紹介しましたが、後方ではVR体験ができますし、前方には天守閣木造復元模型がありますのでご覧ください。それでは開始時間は15時14分、中途半端ではありますけど15時14分開始ということでお願いできればと思います。では休憩に入ってください、以上です。 13ページ (4)討論会 司会 お待たせいたしました。ここからは、討論会に移らせていただきます。最初にですね、ご登壇いただいている有識者の先生方をご紹介させていただきます。 こちらの画面の方に、今日、急遽名古屋に来れないということで、堀越哲美先生にお越しいただいております。堀越先生どうぞよろしくお願いいたします。 堀越先生 よろしくお願いします。 司会 堀越先生はですね、愛知産業大学非常勤講師で都市環境、都市デザインがご専門です。久屋大通再生有識者懇談会の座長をはじめ、名古屋市の様々な政策の委員を歴任され、大変名古屋市もお世話になっているところでございます。先生どうぞよろしくお願いいたします。 次に阿部先生でございます。阿部先生は趣味であるオートバイレース中の事故により車椅子生活となりましたが、一級建築士として障害者として独自の視点から、バリアフリーの住まい作りを進められています。 そして先ほどの前半にご講演いただいていた麓和善先生にも、こちらの方にお越しいただいてます。どうぞよろしくお願いいたします。 次にですね討論会の進行をお手伝いいただく、名古屋おもてなし武将隊のなつさんにご登場いただきます。どうぞよろしくお願いします。 武将隊なつ よろしゅうお願いいたしまする。名古屋おもてなし武将隊陣笠隊なつと申します。われら名古屋おもてなし武将隊はこたびの題材にも挙がっておりまする名古屋城を拠点に日々、名古屋の魅力を観光発信させていただいておる、武士(もののふ)集団でござりまする。 この名古屋城にいつも出陣しておる視点も含めまして、この度は皆様と一緒に、この名古屋城のことについて、様々学べていけたらなというふうに思っております、どうぞよろしゅうお願いいたしまする。 司会 なつさん、ありがとうございます。それではですね、これから市民討論会を始めていきます。この市民討論会では、最初に堀越先生、阿部先生の順に名古屋城のバリアフリーに関するご意見を伺います。 次に、前半の講演や名古屋市からの説明に関することについて、この会場の皆様から質疑ということで、先ほどあの黄色い紙にご記入いただいたかと思いますが、こちらの紙をもとにしまして、質疑を行った後、後半討論会へと移っていきたいというふうに考えております。 ご参加の皆様には、まず率直なご意見を賜りたいと思っておりますので、できるだけ多くの意 14ページ 見を伺えるように、なつさんと進めてまいりたいというふうに思っております。 最後に、皆様にご回答していただいたアンケートの結果ですね、市長からも先ほどお話がありましたが5,000人の皆様に無作為でお送りして、その後回収できたアンケートの結果につきましては、最後のところでご報告をさせていただく予定でございます。ということでこのような進め方をさせていただきます。 ではまず、名古屋城木造天守復元とバリアフリーに関するご意見につきまして、堀越先生、阿部先生の順にお聞きします。では、堀越先生、よろしくお願いいたします。 堀越先生 はい、じゃあお話させていただきます。本日、豪雨のため新幹線の運転見合わせで、名古屋へ行けなくなったので遠隔で失礼いたします。 バリアフリーと、ユニバーサルデザインの実務と研究に関わった経験からお話をさせていただきたいと思います。初めてバリアフリーに関わる仕事は1980年ぐらいに、私、鉄道会社に勤務していたのですが、高架駅におけるホームまで車椅子の方が移動できる可能性ですね、その調査を行う仕事、これに携わったのが始めでした。大学では特に高齢者の移動や休憩空間、それから、歴史的な変遷について、バリアフリー、ユニバーサルデザインに関して授業を担当し、また学生さんと共に調査研究してきたことがあります。またインテリアプランナー制度ができたときに、担当した更新講習の中心だったのが、ちょうどハートビル法とバリアフリー手法の両方の講義でした。 その中で、こんなふうに考えておりました。バリアフリーは、いわゆるハンディキャップを持つ人たちにとって物理的障害(例えば段差など)だけではなく、身体・高齢など何らかのハンディがある人たちが社会生活をしていく上で、障壁となるバリアを除去するという意味で、元々住まいを造る上で必要なこととして、段差の解消、廊下幅の確保、手すりの設置などそういう暮らしのための用語として登場してきたという事が現実にあったのです。 その後、公共的な建築物で、高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる建築物の建築を促進するために措置を講ずるという目的で、1994 年に旧、古いですねハートビル法というのができたのです。これの目的とするところは、これも今回に関わっていて重要ですが、要するにバリアなく、すなわち障害がなくて行けるという意味が重要で、その目的地がある上で、そこまで行けるというアクセシビリティの確保のためということが、重要だといわれていました。インテリアプランナーの更新講習会なんかでも強調された点であります。 一方で、交通機関については、高齢者、障害者の公共交通機関を利用した移動利便性、安全性の向上促進を目指した交通バリアフリー法というのが 2000 年にできたわけです。エレベーター・エスカレーター等の段差解消、誰でも使えるトイレ、サイン系の整備、ノンステップ車両の充実などを目指したものであります。これら二つが、2006 年にバリアフリー法に統一され、その範囲が広がったということになります。 いわゆる公共交通機関や特殊建築物、公園施設や道路、広場など一体として整備を推進するというところまで広がっていったところです。そういう意味で、現在ではバリアフリーは、物理的な整備を終えて、より広く、ハンディキャップのある人にとって、そしてある場合において、社会参加を困難にしている社会的、制度的、心理的な全ての障壁を除去するというものということ 15ページ になります。そういう意味では、先ほど申し上げましたアクセシビリティですね、目的となるところへバリアなく行けることが大事であることと考えられます。すなわち目的とする所および経路を含めてですけれども、それをどのように考えるかによって、設備施設の何が必要なのか、名古屋城の場合は、その復元後はどうするのかを考えることになると思います。 一方で、ユニバーサルデザインというものがございまして、あらかじめこちらは障害の有無、年齢、性別、人種に関わらず、多様な人々が利用しやすいように都市や生活環境をデザインする考え方であります。将来的には多様性の対処は、選択制を含めて、ユニバーサルデザインのさらなる普及が望まれると思います。バリアフリーとの使い分けの議論もあります。 バリアフリーやユニバーサルデザインがどのように始まったかといいますか、その芽生えみたいなものですね、これは江戸時代の町にも見られました。急な寺社の階段に対しての斜路や、緩い階段の迂回路の設置、商店などお店の表示として、漢字、かな、店紋の併記を行っていた。現代のサイン系です。各種休憩空間の用意などもあります。江戸や尾張の図会にも見られます。公共の空間にとっての工夫が入ってきたということと考えられます。 その意味では、現代生活は住まいをはじめ、公共的な場所でのバリアフリーの確保が求められることになっています。今回のような特別史跡における文化財に関わる城郭の天守復元のような事例に当たっては、敷地全体を含めて、それをどのような建物などがあるかを知り、環境として、バリアフリーをどのように位置づけをしてあげるか、そしてそれをどうやって考えるかが重要です。これを行うことによって、そしてまた、技術的な課題も含めて、バリアフリーの実際をどう考えられるのか、ということを示すことが求められていると思われます。 最後に、この課題を含めて感じたバリアフリーの難しさのお話させていただきたいと思います。 私は、筋肉の病気で実は階段の昇降が殆どできません。例えばノンステップバスは車体を傾けるっていう機能が備えてありますけれども、それが使われないことがあったりしますと、乗降がかなり大変です。また、手すりも階段部分にはあってもその前後にわずかでも延びていないと昇降困難になります。設備や仕掛けがあるだけでは本当の意味でバリアフリー化が達成されるものではないと考えます。そういう意味では、復元天守等でのバリアフリーにおきましても、機能性の管理や充実ばかりでなく、実効性が担保される利用や管理運営の本質をみんなが知る事の普及、そして本来的に必要な機能とは何かを知ることが、多分本当は必要なのではないかと考えます。以上でございます。 司会 ありがとうございます。大学の先生やられる前に国鉄の方に勤められて、そのときからの経験をもとに、法体系がずっと変わってきている中で、当初はハード的なクリアっていうことがあったんだけどやはりそれは、それだけじゃなくても今の時代は、社会参加を含めたその障壁をどうなくしていくか、ハードプラスその管理運営の中でどうやってきた上での名古屋城を全体で考えていくべきというところで、先生お話いただいたかなというふうに思います。どうもありがとうございます。続きまして阿部先生、よろしくお願いいたします。 阿部先生 皆さんこんにちは。私は、一般社団法人バリアフリー総合研究所の代表理事をしています阿部 16ページ 一雄と申します。普段はバリアフリーの住宅や施設建築の企画運営を手助けしております。私がここにいるのは、車椅子の建築士としてバリアフリーの観点から、そして建築の観点からとともに、障害者、そして健常者の立場、両方やっておりましたのでその立場から、ここにいるのかなというふうに思います。 さて、名古屋城のバリアフリーのことに関してなんですが、今、麓先生、それから堀越先生からも色々な意見が出されたわけですが、名古屋城は35mほどの、ビルに匹敵しますと、12 階建てに相当する建物の大きさなんですよね。この木造施設ってのは、世界に例がない高さでございまして、これを史実に忠実に復元しようということの事業でございます。 元々こういったお城というのは、人が入りにくいように造られていた建物になるので、そこにバリアフリーという観点を入れようとすると、建築的な観点そしてバリアフリーの観点が、相反する部分が出てくるんですね。なので、ここの部分をいかに融合していくかが、大変だというふうに考えるわけです。麓先生からもおっしゃったように、火災の面とか、地震の面、非常にですね、なすべき問題は建築的にはたくさんあります。 一方、バリアフリーに関しては、バリアフリー法をはじめ文化庁から、合理的な配慮を求められておりまして、そこの部分をどのように解消していくかっていうのが、今回の市民討論会でも導かれる道の一つになればいいなというふうに思っております。 課題を克服するために実はですね、名古屋市は着々と障害者団体や高齢者団体から意見を聞いてきています。名古屋市は平成 29 年から丁寧に障害者団体とか、高齢者の方に説明を重ねてきています。私は、当初からそういう会の方にアドバイザーとして参画をしてまいりまして、これずっと今スクロールしていただくと出てくると思うんですが、なかなかですね、表には見えない側面なんですが、着実に障害者団体に対しての説明や意見を話して参りまして、ここから出て来ました課題に対して、障害者団体に、丁寧に説明を行ってきた経緯もあったのも確かな話です。 一方で、障害者団体やその個人で見たときに、そういった説明が必ずしも納得するというような内容ではないかもしれないんですけど、確かに丁寧に聞き、そして丁寧に説明してきたという経緯もあります。そういった部分を、今回のMHIの昇降装置という形で皆さんにお示しされ、最終的には方針として出していると思うんですけど、私は本日、中立的な立場で皆さんの意見を聞いて、やっぱり皆さんが一刻も早くこの名古屋城の建築に取りかかれるように思ってみえると思うんですけど、私もその一員として、この道筋を皆さんとともに期待しながら進めていきたいというふうに思っております。私の挨拶をこれで終わります。 司会 はい、阿部先生ありがとうございます。阿部先生の方も、特にバリアフリーに関する検討会それから障害者団体との意見交換会も現場で見られて、最後に言っていただきましたように中立な立場で、この市民討論会等々今後の動きを見ていきたいというふうにおっしゃっていただきました。そういった有識者の先生からご意見なり、講演なりいただいたということで、これから、前半の講演それから名古屋市の説明に関して質問を受ける時間としていきたいというふうに考えております。 これから皆さんに書いていただきました質問・意見用紙を使ってご質問に答えていけたらなというふうに思いますが、なつさん、順番に読んでいただいて、よろしいでしょうか。 17ページ 武将隊なつ はい、かしこまりました。紹介させていただきまする。日本国内において木造建築は外国の材料が使われることも多いと聞きますが、今回の復元において日本の木材を使われるのか、また外国の材料を使われるのかを聞きたいということでございまする。 司会 これは名古屋市の方ですね。 武将隊なつ はい、お願いいたしまする。 天守閣整備主幹 材料については日本国内の材料を使用してまいりたいということで、今手配を進めております。今は柱や梁などの大きな材料を取得しているところでございます。 武将隊なつ ありがとうございまする。続きまして、エレベーターの設置は決定しているのでしょうかという質問でございまする。こちらも、名古屋市の方からお答えをいただきまする。 木造天守閣昇降技術開発等主幹 エレベーターの設置が決まっているのかという点につきましては、本日、このように無作為で選ばれた皆様にご意見をいただく場っていうのを設けさせていただきまして、市民皆様からのご意見をまずはお聞きしたいと、そういう思いで今日集まっていただいておりますので、本当に今日は忌憚ないご意見をいただければと思っております。エレベーターの設置については、そこからまたご意見を聞いて考えてまいりたいというふうに考えてございます。 武将隊なつ ありがとうござりまする。では続きましての質問でござりまする。障害者差別解消法が2024年4月1日に一部改正されますが、そのことをどう思われますかというご質問でございます。 司会(補助) 民間業者にも義務化されるという流れが、法律ではありますけども、そのことについてどう思われますか。 木造天守閣昇降技術開発等主幹 法令の方が整備されているというようなことですね、我々も先ほどの説明の中でお話させていただいた通り、承知しているところではございますが、名古屋城の木造天守、この事業に当たりましては、歴史的な資料、これに基づきまして、忠実に復元してまいりたいと。それと、先ほど 18ページ の説明にありました通り、バリアフリーをどうするか、こちらを考えていきたいと、このように考えているところでございます。 武将隊なつ ありがとうござりまする。では続きましての質問でございます。現存天守12城などで、名古屋城のようなバリアフリー計画を持っている城はあるのでしょうかと、そしてもう一つ同じような質問なんですけれども、他の城の天守にはバリアフリー設備はあるのか、もしあるとしてエレベーターは設置されているのかということを聞きたいというご質問でございます。 司会 麓先生よろしくお願いします。 麓先生 バリアフリー対策については、どこのお城でも苦心されていると思います。天守に限らず、櫓とか城内のバリアフリー化っていうことは苦心されていると思います。ただし、なかなかエレベーターを設置するというようなところまで、今進んでるところは現在のところありません。以上です。 武将隊なつ ありがとうござりまする。では続きましての質問でございます。名古屋城周辺の特別史跡としての整備計画全体像を教えてください。本丸御殿と合わせてそれ以外の建物などの復元もあるのでしょうか、とのことでございます。 名古屋城総合事務所長 本丸の整備はですね、先ほど本丸整備基本構想というものがありますよということで、本丸御殿に引き続き、木造の天守、その後は、東南隅櫓という焼失を逃れた貴重な櫓がありますが、そういったものが傷んでおりますのでしっかりそれを直したい。その後は、戦災で焼失をしました東北隅櫓という櫓がありまして、こちらもしっかり資料が残っておりますので、それを復元してまいりたい。合わせて、今ちょっと将来、だいぶ先なんですが、多聞櫓といって櫓と櫓の間を繋ぐ大きな塀のような櫓がありました。本丸全体を囲んでおったんですけれども、そういったものを将来的にはぜひ復元をして、本当にかつての城はこうだったなあという壮大なスケールの城に復元ができればと思っております。それ以外にも、二の丸というエリアには、二の丸庭園というお城の庭園がありまして、かつての尾張藩主が、そこに住まって、藩主が自らそういった遊んだというか、散策をした全国の中ではトップクラスの大きさの藩主専用のお庭がございましたので、そういったところもぜひ、今順次ですね、復元調査をしておりますので、将来的にはしっかり復元をしてまいりたいというふうに考えています。 武将隊なつ ありがとうございまする。では続きまして、忠実に復元すれば新築でも文化財になるのでしょ 19ページ うかと、そしてもう一つあわせまして、家康さまは年老いても自力で登っていたものなのでしょうかというご質問でございまする。 麓先生お答えいただけますか、ありがとうございまする。 麓先生 新築された建物が文化財かどうかそれはですね、微妙な問題があるんですけど、特別史跡っていうのは、あの堀の外側からずっとこの城内が特別史跡になっていて、その中に重要文化財の建造物も3棟の隅櫓と、3棟の門が重要文化財としてあります。それ以外の例えば今既に復元されている本丸御殿であるとか、今度復元しようとしている天守が文化財かどうか、私は特別史跡の中の史跡の構成要素の一つっていうふうに考えています。だから全く文化財ではないよっていうことではない、だけど、重要文化財に指定されているものと同じ文化財かと言われると、いやそれはそうではないという答え方になるんですね。 私は本丸御殿の復元のときにも関わっておりまして、ずいぶん工法的に問題がある工法で復元しようとしたものですから、それには全部異議を唱えたんです当時、本丸御殿の復元のときにね。そのときにあるその委員会の委員の中から、いや、所詮新築の建物で、文化財じゃないんだから、そんなに厳しく昔のものに忠実に復元することはないじゃない。新築なんだから文化財じゃないっていうような言われ方をしたんですよね。でも私はそうじゃない、特別史跡の構成要素なんだから、文化財に準じる工法で新しく造る必要がある。そうやってちゃんと復元されると、それを将来的にわたって100年200年あるいは 1000 年ずっと永久に未来へ将来にもわたって保存されていく。いずれは文化財に指定されるでしょう。それは時間の経過とともに、建造物としての文化財としての価値もどんどん上がっていくだろう。 だから今は、特別史跡の中の構成要素っていう意味では、新築であっても文化財の、その中の一部なんだっていう考え方です。 司会 ありがとうございます。 麓先生 もう一つ、何かありましたね。 武将隊なつ 家康様はご高齢になってもそのまま登られたのでしょうかというご質問でございます。 麓先生 これね、夢をなんだか壊すようで申し訳ないんですけど、日本中の天守でそこに藩主、城主お殿様が登ったかというと登ってないんです。名古屋城でもそうなんです。天守の上に登ったということはない。じゃあなんで天守は必要なの。それはさっき説明しましたように、天守の規模が、その城主の力の大きさ、特に豊臣政権を滅ぼす前に、豊臣家を滅ぼす前に徳川政権の時代だっていうことを見せるために、諸国の大名に見せるために、そういう戦いをしない戦略的な理由で巨 20ページ 大な天守を作ったんですね。 その後は、家康も登ってないし、初代藩主義直が登ったか、それ以降の藩主が登ったか、登ってないです、大事に管理はしてたんですけど、そういうのを登って、今のように観光客が上がっていって上から景色がいいなっていうふうに見る、そういう建物ではなかった。でも、全国の城で、都市の城下町の繁栄のシンボルとして天守は大事だったんですね。だから、今でも全国の城下町ではやはり天守が焼失しても、天守を復元したいっていうのがずっとあると。シンボルです。決してお殿様が上に上がって、城下を見渡すための建物ではなかったんです。夢を壊したらごめんなさい。 武将隊なつ ありがとうござりまする。では続きましての質問でございます。史実に忠実なという定義はとてもよくわかり、名古屋城が持つ歴史的意義価値も理解できました。 一方、耐震や消防の要請に基づき、様々な現行制度への適合も要することがわかり、その両立に向けて、努力している皆様に感謝しています。という状況なので、本討論会で何か意見対立しているのでしょうかと、この問題設定がよくわかりません。両立させていくのではないのですかというご質問でございます。 名古屋城総合事務所長 対立っていう言い方だと何か喧嘩をしてるようなんですが、今回ですね市民討論会というか意見交換の場を設けさせていただいたのは、ちょうど昨年の12月ですかね、先ほどスライドでもご紹介をしました昇降技術の公募をしまして、中身を公表しました。そのときに一部の報道でも、こういう技術が選ばれましたよということがあって、その後、私共名古屋城の事務所の方にもかなりいろんなご意見をいただきました。史実に忠実な復元ならそんな昇降装置はいらないだろうと、そんなものをつけるなと、こういうご意見であったり、やはり今バリアフリーが標準の世の中なので、そういったことにやっぱりしっかり対応すべきだろうというような話とか、多種多様な意見がございましたので、これは我々が勝手に決めるわけにいかないだろうということで、今回 5,000 人の無作為抽出のアンケートをとらせていただいて、さらにしっかり皆様の生の声をお聞きしながらですね、しっかり我々勉強させていただきたいということで、こういう趣旨で本日お願いをしてお集まりをいただきました。なので、いつというよりは、最終的にこれどういうふうに昇降技術を活かしていくのか、活かさないのか、そういったことについての我々としてしっかり市民の皆様のご意見を参考にさせていただきたいということで、お集まりをいただいたということです。 武将隊なつ ありがとうございまする。 司会 ありがとうございます。皆様からも、こちらの記入用紙にいろいろなご質問もいただきまして、もうちょっとありそうなんですけど実は、やはりこの今日の本題である討論会っていうことで、 21ページ 本当にたくさんの意見をいただいております。 ですので、せっかく書いていただきましたので、そのカードを紹介しながら、許す限り、それをたくさん読んでいって、その書いていただいた方にちょっと補足していただく形で会場の方、マイクがございますので、会場のスタッフがマイクを向けた場合に、ご発言をいただけたらなというふうに思っております。 この時点で、私、ちょっとこれ、写真映るの嫌って言う人いらっしゃいます?大丈夫ですか。もちろん後から映すなどきちんと配慮した形で、映像が映る場合は、そういうふうに取らせていただきますし、それから今流しているインターネットは最初に申し上げましたように、基本的にプライバシーに配慮した形で写しておりますので、その点はご了承いただけたらなというふうに思っております。そうしましたら、なつさん、今度はご意見の方、発表をお願いします。 武将隊なつ かしこまりました。紹介させていただきまする。現在の技術では対応できないこともあり、現時点で完成というのではなく、将来的にバリアフリーの機材は、さらなる技術の進歩があれば見直していくことが必要。また、建物の設備という面ではなく、身体機能をアシストするパワースーツなどの発達が進んでいけば、遠い将来は設備を撤去することも可能かもしれないと、ご意見頂戴しておりまする、これを書いてくださった方は、できれば挙手をお願いできますでしょうか。ありがとうございまする。 市民A パワースーツっていうのは別の特別番組みたいなもので見たりしたんですけど、まだまだ機材が大きくて、非常に高価なので一般に普及っていうのはすごく遠い将来かもしれませんけども、身体障害者やいろんな形の、健常者とは違う形の人をアシストするっていう面で発達もしてきていると思いますので、そういう設備ではなくって、体の方をアシストするという部分も、並行して、遠い将来は進んでいくかと思いますので、そちらの面に期待したいなっていうのはあるんですけれども、建物の方もやはり文化財としての価値っていうのも、麓先生言われた通り、例えば薬師寺だとか、奈良の大極殿の平城京のような形でも誰でも入れるっていう状態ではないので、やはり単なる公共建築物というよりは文化財としての建物という面が重要かなというふうに思いますので、現在可能な範囲の中での対応をして、将来、例えば10 年ごとで見直して、設備を変えていくとか、より上の階に行けるようになるとかっていうことは見直していく必要があるのかなというふうに思えました。 司会 はい、ありがとうございます。続きまして。 武将隊なつ はい、続きましてのご意見紹介させていただきます。あの美しいお城の内観が失われてしまうことを悲しく思わない人がいることが不思議なくらい、まずはそこにあることが大切でと思うのですが、でも法律もあるんですねということで、1階まで希望ですと。人間生まれてから死ぬまで 22ページ 平等なことなんて一度だってないんですから、境遇を享受してできる範囲で生きていきたいし、そうしてほしいですとご意見頂戴しております。これを書いてくださった方、挙手をしていただければと思いまする。ありがとうございまする。 市民B 補足ですか。再現VTRを竹中さんが作ってくださってる、あれを見る限り、めちゃくちゃ綺麗じゃないですか。あれを見た後に、何でしたっけ、4階5階部分のバリアフリー対応のイメージ図ですかね。これを見ると、もうなんか勿体なくてしょうがない。せっかく国産の木材を使って、せっかく戦火を免れた資料がたくさんあって、忠実な再現ができるようなお城で、それはもちろんいろんな方がいるので、多様性っていう時代なんでしょうがないんだろうなと思うんですけれども、まず文化財としての、美しさを残したいなと思うんですよ、だからさっきご紹介があった意見はすごく好きだなと思います。今できる範囲をやって今後どんどん見直して撤去できるなら撤去していきたいっていうのはすごくいいなと思います。 武将隊なつ ありがとうございまする。 司会 では次、お願いします。 武将隊なつ では続きましてでございます。話を聞いて、このような素晴らしい名古屋城を平等に見ていただきたいので、ぜひ最もベストな方法を見つけ出しお城全部を見ていただきたいものですと、ご意見頂戴しておりまする。これを書いてくださった方、手を挙げていただけますでしょうか。ありがとうございまする、後から係の方が。 市民C やはり、全ての方に見ていただきたいですね。もう名古屋っ子で、72年以上名古屋に住んで、生きてきて、やっぱり事前に頂いたアンケートに書いたんですけど、名古屋でどこ案内するって言われたらやっぱり名古屋城って言いたいですよね。やっぱり、他にもこまごまとジブリとかできましたし、ありますけど、私も色んな城を見てきましてね。やっぱり自分の暮らしてる名古屋城が一番好きですよ。だから、あらゆる人に見ていただきたいです。差別なく、それが私の意見です。 司会 はい、ありがとうございます。はい、じゃあ次お願いします。 武将隊なつ はい、ご紹介いたします。麓先生のお話をお聞きし名古屋城が世界に誇れる建造物であったこ 23ページ とがわかり、木造天守の復元に対してワクワクする気持ちになった。バリアフリーに関しては、多くの方に見てもらえる環境作りなので、進めていただきたいです。復元への配慮がなされているので良いと思いました。世界に誇れる名古屋城の復元について、もっと PR していただけるといいと思いましたとご意見頂戴しておりまする。 これを書いてくださった方、手を挙げていただけますか。ありがとうございます。 市民D 恥ずかしながら私名古屋市民でずっと暮らしてはいたんですけど、名古屋城についてあまり知らなかったっていうのが実情です。 で、今麓先生のお話をお聞きしまして、こんな素晴らしいお城が名古屋にあったんだっていうことが、身をもって分かったというか、身にしみました。なので、今回復元に対してもそんなに興味を持って実は耳を聞いてなかったっていうところもあったので、名古屋の職員の皆様には、もっともっと PR していただいていろんな方法でいろんな方に届くように復元についても広く知っていただけるような活動をしてほしいなと思って意見、書かさせていただきました。 多分復元ができた暁には、きっと多くの人が訪れていただけるんだろうなと、あの、想像してました。ありがとうございます。 武将隊なつ ありがとうございまする。続きましてのご意見ご紹介させていただきまする。付加設備の方針についてご意見を頂戴しております。外付けのエレベーターは計画していませんかと、今の計画で 5階までつけるというので良いのですかという。ご意見を頂戴しております。これを書いてくださった方、手を挙げていただけますか。ありがとうございます。こちらから前から失礼致しまする。 市民E 今日、城郭の素晴らしさとかそういうお話は以前から聞いていて、自分もお城は好きなのでね。私の生まれた松山には、松山城ってお城があります。そこにもね、上がれない。犬山城にも上がれない。名古屋城唯一、名古屋城、大阪城はエレベーターで上がれていました。何回も上がりましたけど、新しくするとそれが無くなるっていうね。今まであったものを失くしてしまうというのは、我々障害者が排除されているっていうふうにしか思えないですよ。 それで、史実に忠実にこしらえるっていう話、それは反対してませんよ。ただ皆が同じように同じ階層に行って見られるっていうのであれば、高い12階建てかどうかわからないですけど、どこですかね、清州の方、海部郡の方ですか。エレベーターのテストするようなあんな高いものもあったりするんだから。外付けで、中身を傷つけない、空から渡り廊下で上がれるようなね、そういったものを後で付けるとかそういうことをしてもらわないと。今のエレベーターの大きさわかりませんよね。寸法書いてないし。車いすが一人乗れますよって、車いすが乗れればいいっていう話じゃなくて、電動車いすだったりとか、全身のまひの人が来たいって言って具合悪くなった時、横になって救急車のような、ストレッチャーがね、乗るのか乗らないのかとかそういった説明がないと思うんですよ。こういうふうにするっていうのをきちっと、パワースーツがどうと 24ページ か、VR、あのね、VRで見ろとかそんなものでは我々は納得できない。排除されているっていうふうに感じてるんですよ。だからこの討論会をアリバイ作りにしてもらってもいかん。ちゃんとした前向きな方針を教えて欲しいなっていうのが私の意見です。 武将隊なつ ありがとうございまする。 司会 今のご意見について、名古屋市さんからちょっと。 木造天守閣昇降技術開発等主幹 いくつかご質問いただき、また貴重な意見もいただきましてありがとうございます。外部からアプローチできるようなエレベーターにつましては、過去に、外部のエレベーターは付けないで、その上で木造天守を史実に忠実に復元するどのようなバリアフリーまたは利用できるのかというようなことで考えさせていただきました、というのがまず一つ目の答えとなります。二つ目でございますが、エレベーター、内部のエレベーター、本日ですねご説明させていただきました昇降技術につきましては、このようにですね、本日もいろんなご意見ですね、頂いております。そういったご意見をいただきながら、しっかり考えさせていただきたいというところが、今のところでございます。あとは大きさなどについてもご質問をいただいております。先ほどご説明させていただきました昇降設備につきましては、ストレッチャーを乗せられるような大きさとなってございません。 市民E それだと、先ほど説明があったような安全面という点で当てはまらないじゃない。 木造天守閣昇降技術開発等主幹 こちらも先ほど説明させていただきましたけれども、歴史的な資料に基づきまして復元ということで、梁や柱、こちらを史実に忠実に復元をするという前提で昇降技術の方を選定をさせていただいております。先ほど紹介させていただきました、大人4人あるいは車いす1台と介助者1名、こちらが納められるかごの大きさとなります。 市民E それじゃあ、平等にって、誰もが上がれることにはならないんじゃないですか。四肢まひの全身性の人だったら、助ける事できないから来なくていいと言っているようにしか聞こえないじゃないですか。 木造天守閣昇降技術開発等主幹 そのような貴重なご意見もいただきながら、今後しっかりと今回説明させていただいた昇降技術を考えさせていただきたいという風に思っております。 25ページ 司会 ありがとうございます。まだ他の方の意見もいただきたいのもございますので、言い足りないところとか確認したいことあるかと思いますが、またその辺、アンケートの方でも書いていただけるといいかなというふうに思います。じゃあ、続いてお願いいたします。 武将隊なつ 紹介させていただきます。お話を聞き、復元されると城としては日本レベルではなく、世界に発信しても良いレベルの感じを受けました。であれば、それ相応のCMをする必要はありませんが、かなりの投資をするものですから、工事中も含めて本格的木造建築ですので、世界に発信してお客を獲得してほしい。槍鉋の実践を見たことがあります。そんなことも考えられませんかと、ご意見頂戴しておりまする。これを書いてくださった方、ありがとうございます。 市民 その話ってね、今回のバリアフリーと関係ないよね。もう終わるよ。時間がないよ。 司会 そうですね。ありがとうございます。じゃあ次の方に行きたいと思いますが、いいですか。 もうでもだいぶ出尽くしましたかね。書いていただいた部分もあるかと思いますが、ご意見ここで言っておきたいっていう方ももしいらっしゃれば。はい、ちょっと後ろの方からお願いしたいと思います。 次のそちらの方で、順番にいきたいと思います。お願いします。 市民F ■■■■■■■■■と名古屋市の方がやってるやり取りを聞いて、このまま4時10分で終わるとバリアフリーをどうやって進めていくかっていう会で終わるはずなんですね。私の結論を言うとまっぴらごめんで、■■■■■■■■■■■■■■って話なんですよ。 これから造る美術館とか公共とか今ある地下鉄にエレベーターをつけるとか、人街条例とか建築基準法の変遷もありますよね。そういうのは対応していけばいいんですけども、河村市長が造りたいと言ってるのは、エレベーターも電気も無い時代に造られたものを再構築するって話なんです。その時に何でバリアフリーの話が出るのかなっていうのが荒唐無稽で、ピラミッドの改修するときにエスカレーターをつけようやって言ってるのと一緒なんですよ。■■■■■■■■■って話で、■■■■■って話なんですよ。 市民 (音声不鮮明により解読不能) 市民F ■■■■■■■■■月に1回も行くような話じゃないじゃないの。400年前の建物を建てるの 26ページ に、当時の老人も上れませんでしたよ。 市民 (音声不鮮明により解読不能) 市民F あなたとは後でやりましょうよ。そういうことで、私が言いたいのは、今日の会議がこのまま終わると、雰囲気的にはバリアフリーをどうやっていこうかってことなんですけど、アクセシビリティを考慮するとか。あとなんだったけな。木造とバリアフリーの融合とか、東京の方も言われたユニバーサルデザインとかそういう話じゃないんですよ。エレベーターを付けるか付けないかって話をしてるんです。 付けるんだったら再構築する意味ないじゃないですか。今のままやっても補備・修繕したら50年持ちますよ。今度作る木造のその史実に基づいたやつはですね、たぶん200年もつんですよ。200年後にはもっとすごいエレベーターみたいの出来てますよ。ドラえもんのどこでもドアみたいなのも出来てるかもわからないし。だけど、それを造らないっていうのが再構築の意味なんですよ。わかります。以上です。 司会 ありがとうございます。ちょっとその前にまず赤い方、お願いします。 市民G このお城はですね、家康が造ったそのものを作る。そういう風に私は名古屋市から聞いてるんだけどね。それで私どもは寄付をさせていただいた。だから木造の、電気もない、そういうお城を作ると、すべてそれが、将来50年、100年後には世界遺産、国宝じゃなくてもう一つ上の世界遺産になることを願って我々は寄付したはずです。お城というのはまず攻めにくいようにできとる。階段だって急だよ。そんな急な階段があって当たり前。櫓門もこれから作るんだけどまた櫓門で昇降を造れと言われる、問題になる、同じことが起きる。これから櫓門を造ると先ほどおっしゃったけど、またそこにもエレベーターを付けよと。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、皆さん。本当の木造を造ってください。それが名古屋城ですので。本当の木造、家康が 27ページ 造った木造を造ってください。野球の選手が書いたあれはちゃんと展示する、先日、その大きな柱が、どこに使ってあるか、それはそれでいいじゃないですか。はい、以上です。 司会 ありがとうございます。あとお一方、ちょっとお話いただいた後、アンケートの結果の方も簡単に紹介していきたいと思います。お願いします。 市民H 今日ここに来るまで本当に自分が何を議論してるか全然わかんなくて、もうもうとしていたんですけども、お2人の意見を聞いてとても面白かったです。僕のスタンスは実は全然逆で、バリアフリーやるに決まってるじゃない。だから市の方からバリアフリーをやろうって言ってるから、何も議論することないじゃんって思って来ていて、何だったのこの会はって思ってる中でそういう反対の意見があるっていう、熱くっていうことが知れてとても楽しかったです。 名古屋市の皆さんに言うのはやっぱりこんだけ熱い意見があるのをちゃんとしっかり、対立は喧嘩だからっていってるけど、違うんですよ。ちゃんと対立させないから喧嘩になる。きっちりといらないっていう人と、やらないとやめだって人の意見をちゃんともっと議論させてくださいよ。で、何が問題で、彼らが大事だって言ってるもの、それを守るものと、バリアフリーの人を守るもの、それを両立することを考えるのが知恵であり、行政であり、市政の皆さんの見解じゃないですか。皆さんと、いらないって言った人たちと一緒に考えたいですよね。僕は逆の意見ですけど、もっとちゃんと対立させてください。以上です。 司会 ありがとうございました。時間も迫ってまいりましたので、今日、お越しいただいてる皆様、アンケートにご回答いただいてますので、その内容だけちょっと簡単にご紹介をさせていただきたいと思います。 今回ですね、18 歳以上の名古屋市に居住する5,000人の方、外国人を含む方に無作為でお送りさせていただいて、その抽出方法というのが住民基本台帳から、層化無作為抽出、各区の人口比に応じまして比例配分して抽出して送らせていただいております。4月19日から5月8日っていう短い期間ではございましたが5,000人の中で1,448人の回答をいただいております。回収率は 29%となっております。 公募の最優秀者の昇降技術の設置についてということで、議論になっている天守閣にどういうふうにこうやっていくかっていうことのアンケートをとったところ、基本的に設置しないっていう回答は 23.4%でした。それから1階までっていうのが 16.9%、それから最上階までっていうのが 47.2%と、いう形になっておりました。実は今日お越しにこの会場にお越しになっている方が皆さんも、大体ほぼこんなような比率の方が参加していただいてるということだと思います。 一方で、今日事務局として、ちょっとここまで言っていいのかあれなんですけど、結局なかなかこう説明資料だけで、名古屋城の価値とか、そういうことを伝えきることの難しさっていうのも多分、こういうアンケートで現れるのかなって一方で、最上階まで行きたい人も、本物の木造を見たいから、さらに最上階まで行きたいっていう方も結構自由回答なんかからすると見えたり 28ページ していて、やはりこの名古屋城の天守閣の木造復元に対する期待感っていうのは、最上階までっていう方も、設置しないという方も、一階までっていう方も皆さんに現れていたのかなというふうに自由回答から見ると思われます。 そういった形で集計はできたということですので、一旦このアンケート結果の方を報告させていただきました。速報値ということですが、ご報告をさせていただきました。以上でございます。 最後にお時間も迫ってまいりましたので、今日お越しの有識者の先生にお一言ずついただけたらなというふうに思います。そうしましたら、よろしいですか、お2人の先生から、よろしいでしょうか。お願いします。 麓先生 最初に私は名古屋城の天守が日本城郭史上、あるいは日本建築史上あるいは世界の木造建築史上いかに素晴らしいものであるかということを、お伝えしたかったんです。それを復元して、復元するにあたって、史実に忠実ということはもちろんなんですが、防災上の現代工法もやはり必要であると。 あえてバリアフリーについては私の話の中では申し上げませんでしたが、これまで名古屋市の方は長い間復元の作業を進めると同時に先ほど一覧表も出ましたけども、非常に丁寧に障害者団体の人たちとお話をした上で最終的に様々な昇降技術を公募するような形をして、最終的に昇降技術っていうのが提案されて、それが最優秀賞になったと。それを今度はどの階まで付けるんだっていうようなことがあって、これはもう本当にそういう建物を復元することと、それと、それを広く一般の方々が利用するというか見学するというか、そういうことの両立を目指して今まで頑張ってきたと。それでそれの、なかなかこっちがいいあっちがいいというようなことを単純に言いにくいんですけども、今日のご意見も踏まえて、河村市長さん、名古屋市の方で最終的なこの復元案に加えて、どこまでそういう設備をつけるかということを決定していただける、その材料となるようなお話を私はさせていただくだけで、どちらがいいというのは私の口からちょっと言えないので、以上な話になりました。 司会 ありがとうございます。阿部先生お願いします。 阿部先生 今日の議論ご苦労様です。バリアフリーとですね、建築という立場で私お話を聞いてたんですけど、いろいろな意見があるということで、やはり難しい問題だなというふうに思った次第です。今先生がおっしゃったようにこの両立っていうのは、やっぱり現在の建築における復元ですので、いろんな法的な部分を加味しなきゃいけないってのは、先生もおっしゃったわけですけど、先ほどの経緯の表にあったですね、実はこういう議論というのは、かなり進められてきている段階がありました。 ですが、なかなか全市民に討議に参加してもらうような機会が設けることは、物理的に時間的に難しい面というのがあって、今日こういうふうで皆さん初めて聞いたと思うんですが、やはり最終的にはこういう意見を聞いて、名古屋市、そして河村市長がどのような判断をしていくかっ 29ページ てのは、委ねていただくしかないというところでございまして、そういった部分で我々有識者が、ある程度意見を述べながら調整をしていくという中で方向性が見えてくるかなというふうに思いました。どうもありがとうございました。 司会 ありがとうございます。堀越先生、お願いできますか。 堀越先生 先ほどの市民の方々の意見もございましたけれども、結局これ最終的に、名古屋市さんの方でどういう位置づけのものとして考えるということを、しっかり決めていただくことが必要です。それによってバリアフリーのやり方、もちろんバリアフリー設備の設置の仕方、それを全く考えないことも含めてですね、そこで決まっていくものであるということは間違いないですね。 そういう意味で、どういうようなバリアフリーとするかですね、史実に忠実であるということが基本的なところではありますけど、その中で、例えば防災設備、火災がおきてはやっぱりまずいので必要とかですね、そういう点でやっぱりこれはどうしても法的にも避けられないことですよ、そういうことと同じような状況の中で、バリアフリーをどうするかの判断をしていくことが必要であろうということが、考えなくてはいけない点だということが、ここで理解できたのではないかということです。以上です。 司会 堀越先生ありがとうございます。なつさんも最後に一言お願いします。 武将隊なつ 私、名古屋城におりましても、たくさんの方から様々なお話を聞きまする。どの意見もこの度ご意見くださった皆様の意見も、全ては楽しみにするからこそのご意見だなというふうにいつも感じておりまする。見たいし、そこに行きたいし、本物を見たいし、触りたいしというところの楽しみにするからこその、ワクワクするからこその、ご意見をまた再び皆様がお声をあげてくださって、この名古屋市の方であったり、また有識者の先生方だったりでいろいろ話をしていただいて進んでいくのが、私はこたびさらに楽しみになりましてござりまする。ありがとうございました。 司会 ありがとうございました。ご登壇いただきました堀越先生、麓先生、阿部先生、そしてなつさん、本日はありがとうございました。皆さん拍手でお送りください。どうもありがとうございました。 (5)閉会 司会 では最後に閉会ということで、河村市長、閉会の挨拶をよろしくお願いします。 30ページ 河村市長 はい。それではずっと聞かしていただきましたけど、熱いトークもありまして良かったですね。よう考えさせていただきますけど。さらっと飛ばしってってまったけど、プリントの中に5枚目くらいのところに、なぜ人々は、要するに文化財であると建築基準法の除外になるわけです。そもそも法隆寺の五重塔とか危ないものをですね残しておくのはなぜだろうかと、書いてある。コンメンタールといって条文の解説のところにあるんです、それは人類の任務だと書いてありますね、これ。なるほどと。そうすると、自分達今考えておるんだけど、なんかやっぱり。ちょうど面白い話で、麓先生も言われておったけど、家康(の大河ドラマ)がこれ半年くらいありますけど、一番最後には名古屋城が出てくると思いますけど、これは。NHKの人としゃべったことはないけどね。本当に登ったんだろうかと。これは麓先生が言われたけど確かに、これ登らなかったという積極的な記述はないんですけどね、これは。登ったというのはないです、今のところ調べておるところでは。だけど、わしは大坂の夏の陣を前にですね、自分の息子ではないですけど、かつて世話になった秀吉の息子を殺しに行くわけでしょ、ちょっと高いところに登ってどうだと大坂はお前らあきらめろと、はよと。というぐらいの気持ちでわしは登ったんでないかと思いますけどね。でも記録がないですから、麓先生の言っておったところが正しい事でございます。そういう事であって、どうも人類の中の興味の中には、やっぱり過去何があったかと、本当に人類の中でね。そういうものに触れてみたいというか、そういう気持ちが大事じゃないかね、これ。と僕は思っておるんです。 その中で1つあったのは、例の旭丘高校の校舎を壊す時にですね、座り込んどったんですわ、壊すなって。あれも文化庁が残していこうと言っておったやつでですね。その時に東界寺という新出来町のお寺に集まって、何人かで集まって議論しとった、生徒と一緒に。アメリカの学者が来てね、アメリカ人が、あなた達はそもそも自分の世代だけで校舎を壊すということ、そういうことを決めるというか、そういう権利はないんだよと言ってましたね。びっくりしました、これ。なぜかと言ったら、旭丘なんかは昭和10何年の戦前のですけど、名古屋城の400年の前のじゃないけど、それでもですね、なぜだと言ったら、昔の校舎とか駅舎というのは、昔に味わった人達のものであります。それから今の皆さんのものでもあると。それから将来の皆さんのものでもあると。だから自分達の世代だけで考えていかんと、怒られましたね、アメリカ人に。なるほどなと。そう思うと、確かによほどの例外がない限り、道路ができてどうしょうもならんとか、道路でも曲げれるものは曲げればいいんだけど、それ以外は残さなきゃだめだと。それはなぜかと言うと、あなたの財産じゃないんだと言われましたね。これはちょっとご参考までですけど。僕も若作りしとるけど74でまあすぐ八事行きますけど、やっぱ何かね本物を残していきたいわな、これ。ぜひ、NHKには最後名古屋城をと。 市民 河村市長個人としてはどっちですか。 河村市長 私が言うのはやめておきます。ここで言うと、役所が止めてくれと言っとるわけではないです。 31ページ わしは役人じゃないですから関係ない、関係ないことはないけど、自分の気持ちもありますけど。やっぱどういうかな、先ほども言いましたように任務のようですよ、古くさいものを残していくのは。それが人間を大事にすることであって、巨木なんかでもそうですよね。大谷君のサインのやつ飾ってあるでしょ。あれでも樹齢330年と言ってましたけど、名古屋城の一番いいところの梁に使うんですよ。ありがたいものですよ、330年生きてきたものを。人に聞いたら330年のやつ切ってまったらいかんがやと言ったけど、地元の人らは、大体松というのはそのくらいが寿命らしいですわ。だから本当にありがたいと言ってました。あそこの岩手県の奥州市で、大体寿命だったんだと、もう1本あったんだけどそれは中が腐って倒れちゃったんだと。日本で最古の大きな梁の松ですけど、これを名古屋城で使う。そこに大谷氏がサインをしてくれたのが泣かせるわな。というような、本物の宝みたいなものを、お互いに名古屋の街にご縁あって名古屋におるんだで。ええ話でございまして、ぜひ皆さんで愛する名古屋を盛り上げよまいという事でございます。すみません、Thank you very much。 司会 はい、ありがとうございました。それでは、以上を持ちまして、「名古屋城バリアフリーに関する市民討論会」を終了いたします。最後に感想記入用紙にご回答の上、受付で回収箱に入れていただけたら幸いです。お忘れ物のないよう、お気をつけてお帰りください。本日はご参加いただきまして、どうもありがとうございました。