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守山探検隊リモートでまちあるき(令和2年度)

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このページを印刷する最終更新日:2020年11月25日

ページの概要:守山探検隊の活動報告

令和2年度 守山探検隊リモートでまちあるき

新型コロナウイルス感染症の観点から、令和2年度の守山探検隊まちあるきイベントはリモートで開催いたします!

守山区は豊かな自然や歴史的・文化的財産に恵まれた素晴らしい「まち」です。是非、音声付き解説を聞きながら例年とは違ったまちあるきを体験してみませんか。

アンケートに答えてくれた先着200名の方にはささやかなモリタン(守山探検隊マスコットキャラクター)オリジナルグッズなどをプレゼント!(アンケート回答方法は当ウェブサイトの以下「アンケート回収方法」をご覧ください。)

参加方法

  1. 当ウェブサイト以下「守山探検隊まちあるきマップ」をもとに散策します
  2. 各訪問場所に到着したら、該当訪問場所の説明文、音声付き解説を視聴します。
  3. 散策を終えたらアンケートにご協力ください。

開催期間

11月11日(水曜日)から2月10日(水曜日)

コース名

小幡・川村コース-在りし日の古跡を訪ねて-

行程(約3.9キロメートル)

(スタート)守山区役所→小幡城跡→生玉稲荷神社→牛牧遺跡→川村南城跡→長命寺→白沢渓谷→川村北城跡→川東山1から4号墳→(ゴール)城土公園

「守山探検隊リモートでまちあるきマップ」は、以下「小幡・川村コース-在りし日の古跡を訪ねて-」のリンクから覧いただけます。

※以下のファイルはすべてテキスト情報のない画像データです。内容を確認したい場合は<守山区役所地域力推進室 電話番号052-796-4524>までお問い合わせください。

守山探検隊まちあるきマップ

Adobe Reader の入手(別ウィンドウで開く)
PDFファイルの閲覧には Adobe Reader が必要です。同ソフトがインストールされていない場合には、Adobe 社のサイトから Adobe Reader をダウンロード(無償)してください。(外部リンク)別ウィンドウで開く

説明文(解説付)

小幡城跡

小幡城跡(おばたじょうし)

 大永2(1522)年尾張源氏山田氏の庶流岡田重篤が築城したと言われ、城の規模は東西約200m、南北約70mでした。
重篤は織田家の家臣です。天文4(1535)年家康の祖父松平信康が尾張に軍を進めた時在城し、また織田信光の居城でしたがのち廃城となりました。天正12(1584)年小牧長久手の戦いでは、徳川家康が修復し三河との連絡用の城として活用し長久手合戦の時は家康も一時在城しています。又付近は太平洋戦争中小幡陣地(照空隊)がありました。

「小幡城跡」音声付き解説はこちらから

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生玉稲荷神社

生玉稲荷神社(いくたまいなりじんじゃ)

 創建は不明ですが、社伝によると西暦1200年頃の創建とされています。その後天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代(信長の甥)は、この社を城内守護神として奉祀されました。天正12(1584)年4月、徳川家康が小牧・長久手の戦いのために、小牧城から長久手へ向かいました。その折に、家臣がこの稲荷の霊験著しさを言上し、稲荷山より竹を伐り旗竿を作り献上したころ、家康は大いに喜んだとされています。また軍用のぼりに文書を付し信仰の誠を記したとされています。江戸末期には「小幡稲荷」とも呼ばれ、明治12年に現在の社名となりました。慶安3(1650)年9月、大洪水により社殿を流失しましたが、再建しその後も幾度かの改修・造営を行っています。太平洋戦争の大空襲によりほぼ全焼しましたが、総代会や崇敬者の皆様の御尽力により昭和49(1974)年5月に現在の社殿を竣工しました。今では、名古屋地区最大級の稲荷神社として守山区はもとより周辺市区町村から多くの参拝者が訪れています。

「生玉稲荷神社」の音声付き解説はこちらから

牛牧遺跡

牛牧遺跡(うしまきいせき)

 牛牧遺跡は、守山区大字牛牧・高島町・小幡中三丁目周辺に所在し、小幡ヶ原台地の北西縁に入り込む小浸蝕谷の南側に位置しています。昭和33・34・36(1958・1959・1961)年に当時の守山市教育委員会により一次・二次・三次の発掘調査が行われました。この結果、多くの縄文時代晩期の土器を主として甕棺墓群や竪穴住居跡、弥生時代、古墳時代の遺物などが見つかりました。その後、県営守山住宅の建て替えに伴う事前調査で、愛知県埋蔵文化財センターにより平成11・12(1999・2000)年発掘調査が行われ、縄文時代の土器や多くの甕棺墓のほか中世・戦国期にわたる遺物が出土しました。出土品については、守山市及び名古屋市が発掘調査した際のものは名古屋市博物館に、愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査した際のものは同センターにそれぞれ収蔵されています。

「牛牧遺跡」の音声付き解説はこちらから

川村南城跡

川村南城跡(かわむらみなみじょうあと)

 川村と牛牧村の境界にあったとされ、川村にはかつて城郭が2つあり区別するために川村南城といわれています。
水野右京進が築城しており、『蓬州旧勝録』の系図では「右京進清忠-右衛門左忠正-内蔵助久重-兵左衛門忠重-保信永重」、「忠重からは民間に降り保信は医術を生業とした」(『守山市史』)とのことで、城主は、右京進から内蔵助までの3代とされ、『東春日井郡誌』によると「右京進は織田信長に仕え属したり・・」とあります。長命寺の本堂裏手に水野氏石碑が現存しています。 区画整理により、遺構は消滅していますが、『春日井郡小幡村古城絵図』三の丸東北端に「此ノ岸ヨリ河村城至迄五丁二拾間余」との記述があり、長命寺から150メートル南東の丘陵上(現在は住宅地、旧字城山)に存在しました。

「川村南城跡」の音声付き解説はこちらから

長命寺

長命寺(ちょうめいじ)

 もとは現在の川嶋神社付近にあり、天台宗のお寺だったとされています。天正12(1584)年「小牧・長久手の戦い」で焼失しましたが、本尊の薬師如来像は、川村南城主・水野内蔵助右京之進によって救出されました。その後、水野保信が痛んでいた本尊を修復すると共に本堂を建立しました。元禄13(1770)年に長母寺(臨済宗・東福寺派)の末寺、医王山 長命寺と号し開山しました。墓地の奥に川村南城主・水野右京之進の碑があります。寺の東にある白沢公園付近は、かつて川村南城跡の一部だったといわれています。

「長命寺」の音声付き解説はこちらから

白沢渓谷

白沢渓谷(しらさわけいこく)

 白沢川:この地域は庄内川の南に広がる湿地帯でした。
壕雨の度に緑地公園周辺の山から水と共に大量の土砂が流れこの地区一帯に(小幡地区含)多くの被害をもたらしました。元禄年間(1689から1704)堰止め工事により庄内川に流す工事が行われました。明和4 (1767) 年、明和大洪水により翌明和5 (1768) 年従来の流れに堤を築き、堰を止め、北側の山(余慶の碑周辺)を開削し庄内川に流れるように川筋工事がされました。明治37 (1904) 年に、白沢川を堰き止めた緑ヶ池が完成しました。
 白沢渓谷:名古屋市内唯一の渓谷です。平成5(1993)年から8(1996)年に行われた白沢川護岸整備の1つとして人工的に作られ、ロックガーデンの滝とまた市内唯一のつり橋(25m、高さ9m)が架けられました。耐用年数により平成28年つり橋が撤去され、経費の都合でコンクリート製の「ほほえみ橋」が架けられました。この辺り一帯が城土公園として整備され平成9年度には建設省都市景観大賞、名古屋市都市景観賞を受賞しました。当公園は桜の名所としてまた、白沢川が庄内川に流れる堤防に桜が植えられ多くの皆さんに親しまれています。

「白沢渓谷」の音声付き解説はこちらから

川村北城跡

川村北城跡(かわむらきたじょうあと)

 川村には、南北に2つ城があったとされており、区別するため川村北城とされています。
津田武永が築城、『尾州古城志』によれば、斯波氏の一族とあります。『東春日井郡誌』には「此の城初め津田武永の築く所なり、武永男子なし、故に娘婿岡田伊勢守時常に城村を譲り此れを興ふ後、時常之に居りしが、又男子なし、之を女婿牧下野守長義に譲り自ら隠居せり、因て遂に牧長義の居城となるに至れり。」と3代に亘る城主が記されています。牧長義の子は信長の妹を妻とし、天正12(1584) 年小林城(名古屋市中区)に移っています。区画整理により、遺構は消滅しているが、『川村絵図』(江戸期)や『牧氏祖先墳墓発見録』の記述から、ゆとりーとライン「白沢渓谷」駅の北西の丘陵上に存在していたと思われます。

「川村北城跡」の音声付き解説はこちらから

川東山1から4号墳

川東山1から4号墳(かわひがしやま1から4ごうふん)

 この地域は、川東山古墳群として9基の円墳が発掘されました。この地点には、4基の円墳がありましたが、昭和初年この一帯の丘陵は、川東山耕地整理組合により、農地として開発されました。
その後白沢遊園地の余慶山と称して組合の手で開発され、第1号墳上には四方屋が建てられました。その後太平洋戦争時には防空監視所が設けられるなど、墳丘の外部施設は大きく変形されました。
丘陵端の頂の平坦な地に、平行四辺形を描きつつ至近距離に存在し、同一氏族、又は一集落を基盤として相互に深いつながりのある古墳の群れと考えられます。
 第1号墳は、直径35m、高さ1mの円墳で、葺石の痕跡があります。横穴式石室の敷石が確認されています。須恵器、直刀、鉄鏃、馬具、水晶製切子玉が出土しました。
 第2号墳は、直径10m、高さ0.5mの円墳です。横穴式石室の基底部が残存しており、直刀、刀子や須恵器が出土しました。
 第3号墳は、直径10m、高さ1mの円墳で、土師器の破片と若干の骨片が出土しました。
 第4号墳は、直径15m、高さ1mの円墳と推定されます。調査時には10cm程度の高まりに過ぎず、埴輪と須恵器が散布することから古墳と認められたものです。
 第1号墳と第2号墳は、6世紀中葉から後葉にかけての築造と推定されます。この古墳群に使用されていた石材の多くは、川村北城築城に際して抜き取られたとも考えられ、名古屋城築城時に石垣用として持ち去られたとも言われています。

「川東山1から4号墳」の音声付き解説はこちらから

アンケート

アンケート回答方法

添付ファイル「守山探検隊まちあるきアンケート用紙」に記入の上、メール・郵送・窓口にてご提出ください。

守山探検隊リモートでまちあるきにご参加された方は是非、アンケートにご協力ください!

守山探検隊まちあるきアンケート

  • 守山探検隊まちあるきアンケート用紙 (DOC形式, 104.50KB)

    アンケートに記載していただいた個人情報は、アンケートの回答特典であるプレゼント郵送以外には使用しません。また、本アンケートに記載していただいた個人情報は、管理責任者を定めて、不正アクセスや紛失、漏洩等が発生しないよう安全対策を実施します。

このページの作成担当

守山区役所区政部地域力推進室区の特性に応じた地域の活力向上担当

電話番号

:052-796-4524

ファックス番号

:052-796-4508

電子メールアドレス

a7964524@moriyama.city.nagoya.lg.jp

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