9ページ 参考資料1 ○この条例がめざす社会とその実現のための考え方 →この条例がめざす社会は・・・  「障害の有無にかかわらず、誰もが人格と個性を尊重され、住み慣れた地域で安心して暮らせる社会」 →めざす社会の実現は・・・  正しい理解を深め、障害者に対する誤解や偏見等を取り除き差別をなくすことによる →どのように達成していくかの考え方については・・・  市民・事業者が正しい理解を深め主体的な取組を行えるよう誘導する手法によることを基本としつつ、実効性の担保として補完的に規制的な手法によるものと考えるがどうか。 ・条例がめざす社会については、まず前文で記述することになります。 ・前文は、規範性を持つものではありませんが、条例の一部を構成し条例の各条項の解釈基準となることから、各条項について検討する参考として、専門部会で前文に関していただいていた意見を掲載しています。 ○意見提出シートにおける関連意見からの抜粋 ・第1回終了後 障害のある人が日常生活、社会生活、災害時においても差別を受けることがないようにすることを前文に入れる。(岡田委員) 差別を受けても仕方ないとあきらめている人たちに差別解消の仕組みを示すことにより、障害のある人もない人も、共に暮らす社会の実現を目指す。(岡田委員) 基本理念や条例の目指すべき方向性について名古屋市の決意表明といった内容を取り入れる。(王子田委員) 名古屋市が障害者差別の解消に向けて取り組む姿勢を宣言すべきである。(田中(伸明)委員) 名古屋市は、「○○○な都市を目指す」との宣言を入れてはどうか。条例のタイトルにも関わってくるが。(牧委員) 障害者が感じている「障壁」はみんなで取り除こうというような文章が望ましい。(荒川委員) 社会的障壁を取り除く取り組みの促進を明記する。(小山委員) 愛知県条例の前文よりもよりわかりやすく市民が身近に感じられる表現を使う。(加藤委員) 一人の人間として・法の下に平等な権利主体として、「地域社会の中で自立した生活を営む権利」・「地域生活支援サービスを受ける権利」・「移動の権利」などを補償する。(近藤委員) 10ページ 障害のある人が障害のない人と等しく、誰とどこに住むかを選択できることや、ある特定の生活様式を義務付けられないことを盛り込む必要がある。(近藤委員) 手話を言語として認めるほか、意思疎通を図るための障害の特性に応じたコミュニケーションの促進を明記する。(小山委員) 女性障害者は障害に加えて女性であることによる複合差別があり、その除去に取り組む姿勢を明記する。(小山委員) 防災訓練や発災時の障害の特性に応じたコミュニケーションの促進を明記する。(小山委員) 障害者の権利を認め差別をなくす方法を記述している条例であることを盛り込む(小山委員) 障害者の権利が無視されたような場合に、互いに理解し合える仕組みを示している条例であることを盛り込む。(小山委員) ・第2回終了後 この条例は、障害者権利条約、及び障害者基本法第4条(差別をなくす)障害者差別解消法に基づく「障害を理由とする差別をなくし誰もが共に等しく尊重され、安心して暮らせる社会」を目的とします。 この条例の主体は「名古屋市・事業者・市民で構成する社会全体」であり、その責務と役割を規定し、障害者差別解消法のみでは実現出来ない「何人も障害を理由として差別をしない、誰もが等しく尊重され、共に暮らしやすい社会参加の出来る」共生のまち名古屋市を目指すため、この条例を制定する。 (国連の障害者権利条約、及び障害者基本法第4条(差別の禁止)、障害者差別解消法に基づくことを市条例であることを前文で規定することが必須である。そして各法に基づき、市の責務、事業者の責務を果たすことは当然の事であり、共生社会を築くためには、条例において市・事業者、そして市民を加えた「社会の構成員の責務」であることを明確にする必要があります。)(仁木委員) 障害者に対する誤解・偏見に、目にみえる障害だけではない、外見ではわかりにくい障害の事も、記述してほしい。(岡田委員) 名古屋市民の中に、あえて子どもから大人まで全ての市民を入れることは出来ないか。(岡田委員) 11ページ 前文または基本理念について、障害者と障害者でない者、という分け方に違和感を持つ。障害者は皆生まれながらに障害者であり(そういう場合もあるが)、障害者でない者は今後も障害者にはならない、といった前提に立っているように感じる。本来人間は自分を中心にして、漠然と「普通」という概念を持っており、「普通」でないものに対して警戒をするように思われる。姿かたちにせよ、性格や行動様式にせよ、障害者を「普通」でない者ととらえてしまうと、そこには差別的な感情が生まれることは容易に想像できる。障害者への差別を解消するためには、障害者でない者の想像力を喚起することがとても重要であると思う。障害者を弱者、障害者でない者を強者と考えると、現在のこの国にはびこる、強者が弱者を差別する構図に行き当る。弱者は障害者だけでなく、母子家庭や老人、生活保護受給者等も含まれる。強者が公然と弱者を糾弾し差別する、思いやりのない分断社会にいつの間にかこの国はなってしまった。 とりあえず今のところ僕は障害者ではないが、交通事故に遭ったり、脳梗塞を発症すれば、明日から障害者となる。突発事項がなくとも長生きして高齢になれば、足腰の衰えた弱者となる。障害者ではない者に、明日は自分自身が障害者になるかもしれない、そうなったとしても、できる範囲でこれまでと同じように楽しく愉快に暮らしたい、そのためには自分が今は障害者ではなくても、障害者を差別してはならない、という理路を伝える努力が必要だと思う。そのうえで、「障害者と障害者でない者」という文言を、「障害者と、今のところ障害者ではない者」という言い方に替えるといいのではないかと思う。強者はいつまでも強者のままでいられるわけではない、ある日突然、あるいは徐々に弱者の仲間入りをする運命にある。 条例を制定するにあたり、事業者や市民に対して「禁止」や「責務」という強い文言を多く使用すると、今のところ障害者ではない者を法的に縛ることにはなるが、自発的に、心から差別は良くない、と思い至ることにはならず、表面的もしくは事務的な振る舞いに留まってしまうのではないか。 この条例は障害者のためのものだが、読んでほしいのは障害者でない者たちである。障害者でない者に、障害者に対してああしろ、こうしろ、これはするな、これは義務だ、これは責務だ、と声高に訴えることで、僕たちの思いは障害者でない者たちの心に届くでしょうか。これまで国や地方自治体が作ってきた法律や条例はどれもがそういった立ち位置で制定されているように感じられる。それはそれでもちろん大事ではあるが、同じような立場で名古屋市として条例を作っても、大同小異、障害者でない者に大きなインパクトを与えるとは考えにくく、単に我々部会員や市の職員の自己満足に終わってしまうのではないでしょうか。 この条例は障害者のために制定されるが、障害者とは他人ではなく、あなた自身である。あなたやあなたにとって大切な人のために制定されるものである。つまり障害者とはすべての人のことである。既に障害者であるか、未だ障害者ではないかという違いにすぎない。こういった考えを繰り返し書き込むことにより強者の行動変容を引き起こすことができれば、名古屋市としての、とてもユニークな条例になると思う。(牧委員) 12ページ (空白)