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令和元年度被災地支援リポート -陸前高田市・気仙沼市- 1月分の記事

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このページを印刷する最終更新日:2020年1月22日

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令和元年度被災地支援リポート-陸前高田市・気仙沼市-

令和2年1月14日(火曜日)

 みなさんこんにちは。陸前高田市建設課に派遣されている職員です。

 陸前高田市は、「岩手の湘南」とも呼ばれ、元々雪はあまり積もらず温暖と言われておりますが、私が派遣されている三年目の中でも今年の冬は過去二年と比較するととても暖かく感じます。(とはいえ、名古屋の冬と比較すると格段に寒いですが・・・)
 私は、復興事業だけでなく、通常の道路と河川の維持管理も担当しています。

 今回は復興事業のことではなく、陸前高田市の管理する道路と河川における台風19号による被害等をリポートさせていただきたいと思います。

 昨年発生した台風19号において、全国で大きな被害をもたらしたことは皆様の記憶にも新しいところではあるかと思います。
 岩手県内においても、沿岸北部を中心に甚大な被害があり、県内他市町村と比較すると被害は少なかった陸前高田市においても、大小合わせて100件ほどの道路、河川の被害がありました。
 その内被害が特に大きい11件において、国に災害復旧事業の申請を行い、12月に災害査定を行い、無事に全件採択(事業化)されました。

 災害復旧事業の申請を行い、今後復旧工事を行う1つの現場を紹介したいと思います。

 災害発生時の状況です。

陸前高田市の台風19号発生時の状況
 道路が土砂と木により閉塞し通行できない状況となっていました。道路の先には宿泊もできる入浴施設があったことから、土砂及び木の撤去を行い、大型土のうにて応急復旧を行いました。次の写真は応急復旧が完了した状況の写真です。
応急復旧完了状況の写真
 その後、コンサルタントによる調査を行い、被害の全容把握を行いました。
ドローンによる空撮での被害状況の様子

  調査の結果、東日本大震災後に落石対策として設置した木柵の背面に多くの雨水が溜まってしまい、法面の土砂崩壊を発生させたことが判明しました。

 被害発生メカニズムを図で示したものがこちらです。

被害発生メカニズムの図

 その後復旧工法の検討を行い、積算(工事設計金額の算出)を行った後、国土交通省の査定官に被害状況及び復旧方法等を現地にて説明し、承認いただいて事業化することができました。

 東日本大震災に関する復興関連事業においても事業完了に向けてラストスパートの時期となっていますが、今回の災害復旧事業においても少しでも早い復旧ができるよう、体調に留意しながら今後の業務を進めていきたいと思います。

令和2年1月20日(月曜日)

 こんにちは。教育委員会に配属されている職員です。

 陸前高田市で3度目の冬を迎えておりますが今年は暖冬です。岩手の湘南と言われる陸前高田市はもちろん県内各地、雪はほとんど降っておらず温暖化を目の当たりにしています。

 今回のリポートでは、私が担当している業務のご紹介をいたします。

 学校の災害復旧工事はすべて完了しているので、各学校の営繕工事や区画整理事業により高田小学校が2学期から新校舎へ移転となったため、支障となっている旧小学校の解体工事を行っています。

 次の写真は移転となった高田小学校新校舎落成式の様子です。

高田小学校新校舎落成式の様子

 式の最後に全校172名の児童から感謝の歌が披露されました。明治6年から続く伝統ある高田小学校で、歴史も感じられるように旧校舎内の掲示物も極力移設を行いました。ステージの両側の掲示物も卒業記念制作の校歌が掲げられています。

 次の写真は創立百周年記念石を撮影したものです。

創立百周年記念石の写真

 高田小学校旧敷地内には道路のほか、運動場のあった場所には市役所の建設工事が進められており、令和3年には新しい庁舎が完成予定です。
 写真奥の建物が解体中の旧高田小学校校舎です。写真左側の更地は体育館が建っていた場所で解体完了後まもなく道路工事が開始されました。解体中の校舎の手前に見えるのが建設中の市役所新庁舎です。建てている場所は運動場のあった場所で、津波で浸水した区域のため、かさ上げされて建てられています。

陸前高田市役所の建築の様子
 次の写真は解体前の校舎を撮影したものです。
解体前の高田小学校の写真

 学校の営繕工事では、運動場に仮設住宅が建っていた影響で使用できずに老朽化した学校の遊具改修工事や和式トイレの洋式化工事等を担当しています。

 次の写真は左が工事前、右が工事後の学校のトイレの様子を撮影したものです。

  • 工事前のトイレの様子
  • 工事後のトイレの様子


 秋は市内でイベントが多数開かれ、教育委員会でも11月に行われた産業まつりに砂金取り体験ブースの出店をしました。

 金の比重が重いことから水の中の砂を皿ですくい、遠心力で軽い砂を飛ばしながら金を探します。

 私も実演を行い来訪者に説明を行いましたが、皿を回す力のいれ方を伝えるのが難しく上手く砂が飛ばないなどありましたが皆さんに金を見つけていただくことが出来ました。

 次の写真は産業まつりの砂金取り体験ブースの様子です。

砂金取り体験ブースの様子
 次の写真のマスコットキャラクターは陸前高田市矢作町内で出土した石棒をモチーフとした、陸前高田市立博物館のマスコット「せき坊」です。
  • 陸前高田市立博物館のマスコットのせき坊
  • 陸前高田市矢作町内で出土した石棒
 体験参加でプレゼントされる色々な「せき坊」の缶バッジを作ることができました。
プレゼントされたせき坊の缶バッジ
 次の写真は砂金取り体験ブースで使用された砂金取りの皿の写真です。2枚目の写真は砂金の部分を拡大しています。
砂金取りの皿の写真
砂金取りの皿の中を拡大した写真

 次の写真は集めた砂金を撮影しています。

 砂金を集めると結構な量になりました!

砂金取りで集めた砂金の写真

 現在、陸前高田市内での産金は行われておりませんが、産金の歴史は古く、奈良時代からと言われています。

 日本初の金の産出は奈良時代の749年に陸奥国(現在の岩手県や宮城県を含む)であるため日本の産金当初より産金が行われていたことになります。

 また、中尊寺金色堂にも使用された金は、『みちのくGOLD浪漫 黄金の国ジパング、産金のはじまりの地をたどる』として平泉町を含む2市、3町と共に日本遺産に認定されています。
 戦国武将としても有名な伊達正宗も竹駒町内の玉山金山を開発し、膨大な金と良質な水晶を産出し、氷上山山頂までの道々には「製錬所跡」、「検問所」や最盛期の坑道口「千人抗」などが遺されています。陸前高田市にお越しの際は、是非お立ち寄りください。

 最後に2月13日の日本遺産の日(2(にほん)/13(いさん))にあわせてPRイベントが東京の有楽町駅前で令和2年2月11日から13日に行われます。陸前高田市も出店していますので是非お越しください。

このページの作成担当

名古屋市被災地域支援本部(防災危機管理局危機対策室)
電話番号: 052-972-3585
ファックス番号: 052-962-4030
電子メールアドレス: a3585@bosaikikikanri.city.nagoya.lg.jp

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