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市街を水害から守る堀川

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このページを印刷する最終更新日:2010年10月21日

ページID:3562

ページの概要:名古屋のまちを水害から守ってきた堀川の紹介をします。

市街を水害から守る堀川のバナー画像

市街を水害から守る堀川

城下の主な水路(江戸末期から明治初期)

川の最大の役割は水を安全に流すことです。時には大雨が降り一時に大量の水が川に集まり、水害により大きな被害を与えることもあります。また、市街地の排水が十分でないと、伝染病がまん延することもあります。
堀川は地域の川として大きな役割を担ってきました。碁盤割の市街地は名古屋台地にあり水害を受けにくい場所ですが、台地の北や西には土地が低く、何度も水害にあっています。明和4年(1767)には矢田川の堤防が切れ、名古屋城の幅下門近くまで水につかり、人々が舟で行き来したとの記録が残っています。これをきっかけに天明4年(1784)に江川へ流入していた大幸川は、堀川へ流入するよう流路が変えられています。

堀川沿川の伊勢湾台風での浸水区域

また、昭和34年(1959)の伊勢湾台風では堀川の護岸も崩れ、高潮と重なり中下流域は大きな被害を受けました。このため名古屋港に沿った高潮防潮堤と堀川の河口に防潮水門が設置されました。

堀川に注ぐ紫川(「御船御行列之図」部分・市博物館所蔵)

下水道が整備されるまで、各戸の排水は側溝を流れ、支川や幹線の排水路を経て堀川に流れ込んでいました。堀川の支川で一番大きいのは紫川でした。古地図を見ると碁盤割の市街地を南北に流れる水路と、広小路を東西に流れる水路があり、碁盤割の市街地の排水を集め、今の新洲崎橋付近で堀川に流入していました。市博物館所蔵の「御船御行列之図」にも、紫川が画かれています。

堀川流域の下水幹線など

下水道が整備された現在では、家庭などから排水される汚水を下水管で集め、水処理センターで処理してから川に放流しています。堀川の流域は、汚水と雨水を同じ管で集める合流式下水道を採用しているため、降雨時には一定量までの雨水は水処理センターで処理されますが、一定量を越えた雨水は所々に設けられた雨水吐などから堀川に放流され、堀川と下水道で街を浸水から守っています。

このページの作成担当

緑政土木局河川部河川計画課堀川総合整備担当

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