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岡田啓

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このページを印刷する最終更新日:2019年3月22日

<岡田啓>尾張藩士・国学者。地理、物産、医法、数学を修め、広い知識で「尾張志」等の編集にあたった

プロフィール

氏名

岡田 啓(おかだ ひらく)

中川区内のゆかりの地

中川区中野新町・小本本町西生寺

人物の紹介

 岡田啓(文園)は天明元年(1781)愛知郡中野新田(中川区中野新町)で生まれ、長じて尾張藩に仕えました。六石二人扶持の微禄で後、藩校「明倫堂」の取次ぎ役(謁者(かっしゃ))になり一石を加増されましたが数ある足軽の一人に過ぎませんでした。学問一筋の人で、1万巻にも及ぶ書物(自ら書き写した)に埋もれ、蔵書を愛読書「一葉抄」の名に因み「一葉文庫」と名付けています。
 転機が訪れたのは52歳のころ、尾張藩が「張州府志」(30巻)の補訂にかかり中根義(よし)稲(ね)とともに編者に抜擢されたことで、後世名を残すことになり、後にそれは「尾張志」(60巻)と名付けられることになります。編纂に携わる御用人の下働きに過ぎない啓でしたが、彼の知識は無視できない存在となっており、歴史的な問題で分らない事があると啓に聞き編集を進めたといわれています。また、同時に枇杷島の青物問屋・野口道直(梅居)と共同で「尾張名所図会」(絵は小田切春江)の制作に取り組みました。その後も「小治田之(おわりだの)真(ま)清水(しみず)」「新撰美濃志」に着手しています。
万延元年(1860)80歳で死去。墓碑は中川区小本本町の西生寺にあります。

参考文献

「東海郷土文化史考(文園岡田啓が事)」市橋鐸

「名古屋市史. 人物編」名古屋市

「国学者伝記集成. 続編」日本文学資料研究会
注記:「小治田之(おわりだの)真(ま)清水(しみず)」は「尾張名所図会」の拾遺版 「啓」の読みは愛知県図書館等の案内も「けい」とあるが本名は「ひらく」、「けい」でも図書館に準じたとすれば可か。

『中川区人物事典』とは

『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

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