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奥村伊三郎

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このページを印刷する最終更新日:2023年10月25日

ページID:115830

〈奥村伊三郎〉菊人形の製作技術を向上し、菊人形の展示を全国的に普及させた人

プロフィール

氏名

奥村 伊三郎(おくむら いさぶろう)

中川区内のゆかりの地

盛福寺(中川区高畑3丁目)

人物の紹介

 奥村伊三郎は1848(嘉永1)年、愛知郡高畑村(現中川区高畑)に生まれ、最初は菊の栽培師でしたが、その後、菊人形師として1894(明治27)年に大須・万松寺境内に菊人形展示場「奧村黄花園」を開きました。菊人形はその50年程前に、江戸近郊で植木屋が菊細工で歌舞伎を題材にするようになったのが始まりですが、伊三郎は1902(明治35)年に三河吉浜(高浜市吉浜)の細工人形師を黄花園の菊師として雇い、細工人形の技術を生かして精巧で豪華な菊人形に仕上げました。さらに菊人形に電気仕掛けや活動写真を取り入れ、ショービジネス化し、黄花園は人気を博して大繁盛しました。
同時に地元高畑の人に材料の菊の栽培を勧めて買い取ったので、高畑地区で菊の栽培が盛んになりました。黄花園は最盛期には50人の菊師を雇用し、人材派遣・技術指導、出張余興などで、東京両国、大阪枚方、伊勢、博多など全国的に菊人形余興を展開しました。
伊三郎は1913(大正2)年に逝去し、墓は中川区高畑3丁目の盛福寺にあります。その死後は三河吉浜の菊師が全国の菊人形作りを支えることになります。黄花園は1936(昭和11)年に閉鎖しますが、万松寺の菊人形展として1940(昭和15)年の戦時中で禁止になるまで続きます。

【参考文献】

  1. 『都市の自然としての菊人形-高浜市の吉浜細工人形と菊師』愛知教育大 野地恒有
  2. 『歴史写真集名古屋再発見』 服部鉦太郎著 中日新聞本社 1984年
  3. 『総合名古屋市年表』
  4. 『写真図説 大正の名古屋』
  5. 『中川区史』 昭和62年10月
  6. 『名古屋アーカイブ 大須レトロ』 2010年9月

『中川区人物事典』とは

『中川区人物事典』とは、中川区で誕生や活躍などされたゆかりの深い偉人、有名人を紹介するものです。

中川区ゆかりの人物について、区民をはじめとする多くの市民に知ってもらい、人物を通して区の歴史や文化、産業を再発見し、地域への関心を高める目的で実施しています。

(注)掲載されている文章等を、無断で転載、複写することを固く禁じます。

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